スッタニパータ4

六、サビヤ      
七、セーラ      
八、矢      

六、サビヤ

510 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)は王舎城の竹園林にある
栗鼠飼養の所に住んでおられた。そのとき遍歴の行者サビヤに
昔の血縁者であるが(今は神となっている)一人の神が質問を発した
──「サビヤよ。<道の人>であろうとも、バラモンであろうとも
汝が質問したときに明確に答えることのできる人がいるならば
汝はその人のもとで清らかな行いを修めなさい」と。
そこで遍歴の行者サビヤは、その神からそれらの質問を受けて
次の[六師]のもとに至って質問を発した。
すなわちプーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ
アジタ・ケーサカンバリ、パクダ・カッチャーヤナ
ベッラーッティ族の子であるサンジャヤ
ナータ族の子であるニガタとであるが
かれは<道の人>あるいはバラモンであり
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり
教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇められていた。

[しかるに]かれらは、遍歴の行者サビヤに質問されても
満足に答えることができなかった。
そうして、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず
かえって遍歴の行者サビヤに反問した。
そこで遍歴の行者サビヤはこのように考えた
「これらの<道の人>またはバラモンであられる方々は
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり
多くの人々から立派な人として崇められている。
かれら、すなわちプーラナ・カッサパからさらについに
ナータ族の子であるニガンタに至るまで人々は
わたしに質問されても、満足に答えることが出来なかった。
満足に答えることができないで、
怒りと嫌悪と憂いの色をあらわにしたのみならず、わたしに反問した。
さあ、わたしは低く劣った状態(在俗の状態)に戻って
諸々の欲望を享楽することにしょう」と。

 そのとき遍歴の行者サビヤはまたこのように考えた
「ここにおられる<道の人>ゴータマもまた衆徒をひきい
団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり
多くの人々から立派な人として崇められている。
さあ、わたしは<道の人>ゴータマに近づいて
これらの質問を発することにしよう」と。

 さらに遍歴の行者であるサビヤは次のように考えた
「ここにおられる<道の人>・バラモンがたは
年老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達しているが
長老であり、経験を積み、出家してからすでに久しく
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり
教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇められている。
すなわちプーラナ・カッサパからさらに
ナータ族の子ニガンダに至るまでの人々であるが
かれらはわたくしに質問されても、満足に答えることができなかった。
満足に答えられないで、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず
かえってそこでわたくしに反問した。
<道の人>ゴータマはわたくしの発したこれらの質問に
明確に答え得るであろうか。
<道の人>ゴータマは生年も若いし
出家したのも新しいことだからである」と。

 次いで遍歴の行者サビヤはこのように考えた
「<道の人>は若いからといって侮ってはならない。軽蔑してはならない。
たといかれが若い<道の人>であっても
かれは大神通があり、大威力がある。さあ、わたしは
<道の人>ゴータマのもとに赴いて、この質問を発してみよう」と。

 そこで遍歴の行者サビヤは王舎城に向かって順次に歩みを進め
王舎城の竹園林にある栗鼠飼養所におられる
尊き師(ブッダ)のもとに赴いた。そうして、師に挨拶した。
喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交わしたのち、かれは傍らに坐した。
それから遍歴の行者サビヤは師に詩を以て呼びかけた。──

510 サビヤがいった
「疑いがあり、惑いがあるので、わたくしは質問しようと願って
ここに来ました。わたくしのためにそれを解決してください。
わたくしが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えてください。」

511 師は答えた
「サビヤよ。あなたは質問しようと願って、遠くからやって来ましたね。
あなたのために、それを解決してあげましょう。
あなたが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えましょう。

512 サビヤよ。何でも心の中で思っていることを、わたくしに質問なさい。
わたくしは一つ一つ質問を解決してあげましょう。」

 そのとき遍歴の行者であるサビヤはこのように考えた
「まことにすばらしいことだ。まことに珍しいことだ
──わたくしが他の<道の人>たち、バラモンたちのところでは機会さえも
得られなかったのに道の人ゴータマがこの機会を与えてくれたと。
かれは、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、師に質問した。

513 サビヤがいった
「修行僧とは何ものを得た人のことをいうのですか?
何によって温和な人となるのですか?
どのようにしたならば自己を制した人と呼ばれるのですか?
どうして目ざめた人(ブッダ)と呼ばれるのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

514 師は答えた
「サビヤよ。みずから道を修して完全な安らぎに達し、疑いを超え
生存と衰滅とを捨て、(清らかな行いに)安立して
迷いの世の再生を滅ぼしつくした人──かれが修行僧である。

515 あらゆることがらに関して平静であり、こころを落ち着け
全世界のうちで何ものをも害(そこな)うことなく、流れをわたり
濁りなく、情欲の昂まり増すことのない道の人
──かれは温和な人である。

516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し
この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて
死ぬ時の到来を願っている人──かれは(自己を制した人)である。

517 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを
二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで
生を滅ぼしつくすに至った人──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」

 そこで、遍歴の行者であるサビヤは、師の説かれたことをよろこび
随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快(きんかい)の心を生じて
さらに師に質問を発した。

518 サビヤがいった
「何を得た人をバラモンと呼ぶのですか?
何によって道の人と呼ぶのですか?
どうして沐浴をすませた者と呼ぶのですか?
どうして竜と呼ぶのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

519 師が答えた
「サビヤよ。一切の悪を斥け、汚れなく、よく心をしずめ持って
みずから安立し、輪廻を超えて完全な者となり、こだわることのない人
──このような人はバラモンと呼ばれる。

520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ
この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人
──このような人がその故に道の人と呼ばれる。

521 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落とし
時間に支配される神々と人間とのうちにありながら
妄想分別におもむかない人
──かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。

522 世間のうちにあっていかなる罪悪をもつくらず
一切の結び目・束縛を捨て去り
いかなることにもとらわれることなく解脱している人
──このような人はまさにその故に竜とよばける。

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて
さらに師に質問を発した。

523 サビヤがいった
「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を田の勝者と呼ぶのですか?
何によって巧みなのですか?どうして賢者なのですか?
どうして聖者と呼ばれるのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

524 師が答えた
「サビヤよ。天の田・梵天の田という一切の田を弁別して
一切の田の根本の束縛から離脱した人
──このような人がまさにその故に田の勝者と呼ばれるのである。

525 天の蔵・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して
一切の蔵の根本の束縛から離脱した人
──このような人がまさにその故に(巧みな人)とよばれるのである。

526 内面的にも外面的にも二つながらの白く浄らかなものを弁別して
清らかな智慧あり、黒と白(善悪業)を超越した人は
まさにその故に(賢者)と呼ばれる。

527 全世界のうちで内面的にも外面的にも生邪の道理を知っていて
人間と神々の崇敬を受け、執著の網を超えた人
──かれは聖者である。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて
さらに師に質問を発した。

528 サビヤがいった
「何を得た人をヴェーダの達人とよぶのですか?
何によって知りつくした人となるのですか?
いかにして勤め励む者となるのですか?
育ちの良い人とはそもそも何ですか?
先生おたずねしますが、どうかわたくしに説明してください。」

529 師が答えた
「サビヤよ、道の人ならびにバラモンどもの有する
すべてのヴェーダを弁別して、一切の感受したものに対する貪りを離れ
一切の感受を超えている人、かれはヴェーダの達人である。

530 内的には差別的妄想とそれにもとづく名称と形態とを究め知って
また外的には病いの根源を究め知って
一切の病いの根源である束縛から脱れている人
──そのような人が、まさにその故に知りつくした人と呼ばれるのである。

531 この世で一切の罪悪を離れ、地獄の責苦を超えて努め励む者
精励する賢者──そのような人が勤め励む者と呼ばれるのである。

532 内面的にも外面的にも執著の根源である諸々の束縛を断ち切り
一切の執著の根源である束縛から脱れている人
──そのような人が、まさにその故に育ちの良い人と呼ばれるのである。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し、こころ喜び
楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

533 サビヤがいった
「何を得た人を学識ある人と呼ぶのですか?
何によってすぐれた人となるのですか?
またいかにして行いの具わった人となるのですか?
遍歴行者とはそもそも何ですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

534 師が答えた
「サビヤよ。教えを聞きおわって、世間における
欠点あり或いは欠点のないありとあらゆることがらを熟知して
あらゆることがらについて征服者・疑惑のない者・解脱した者
煩悩に悩まされない者を、学識のある人と呼ぶ。

535 諸々の汚れと執著のよりどころを断ち、智に達した人は
母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って
妄想分別に赴かない──かれをすぐれた人と呼ぶ。

536 この世において諸々の実践を実行し、有能であって
常に理法を知り、いかなることがらにも執著せず、解脱していて
害しようとする心の存在しない人──かれは行いの具わった人である。

537 上にも下にも横にも中央にも
およそ苦しみの報いを受ける行為を回避して
よく知りつくして行い、偽りと慢心と貪欲と怒りと
名称と形態(個体のもと)とを滅ぼしつくし、得べきものを得た人
──かれを遍歴の行者と呼ぶ。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、座から起ち上って
上衣を一方の肩にかけ(右肩をあらわし)、師に向かって合掌して
ふさわしい詩を以て目のあたり師を讃嘆した。

538 「智慧ゆたかな方よ。諸々の道の人の論争にとらわれた
名称と文字と表象とにもとづいて起った六十三種の異説を伏して
激流をわたりたもうた。

539 あなたは苦しみを滅ぼし、彼岸に達せられた方です。
あなたは真の人(拝まれる人)です。
あなたは完全にさとりを開かれた方です。
あなたは煩悩の汚れを滅ぼされた方だと思います。
あなたは光輝あり、理解あり、智慧ゆたかな方です。
苦しみを滅ぼした方よ。あなたはわたくしを救ってくださいました。

540 あなたはわたくしに疑惑のあるのを知って
わたくしの疑いをはらしてくださいました。
わたくしはあなたに敬礼します。
聖者の道の奥をきわめた人よ。心に荒みなき、太陽の末裔よ。
あなたはやさしい方です。

541 わたくしが昔いだいていた疑問を
あなたははっきりと説き明かしてくださいました。
眼ある方よ。聖者よ。まことにあなたはさとりを開いた人です。
あなたは、妨げの覆いがありません。

542 あなたの悩み悶えは、すべて破られ断たれています。
あなたは清涼となり、身を制し、堅固で、誠実に行動する方です。

543 象の中の象王であり偉大な英雄であるあなたが説くときには
すべて神々は、ナーラダ、パッバタの両[神群]とともに随喜します。

544 尊い方よ。あなたに敬礼します。最上の人よ。あなたに敬礼します。
神々を含めた全世界のうちで、あなたに比べられる人はおりません。

545 あなたは覚った人です。あなたは師です。
あなたは悪魔の征服者です、賢者です。
あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから[彼岸に]渡りおわり
またこの人々を渡すのです。

546 あなたは生存の要因を超越し
諸々の煩悩の汚れを滅ぼしておられます、あなたは獅子です。
何ものにもとらわれず、恐れおののきを捨てておられます。

547 麗しい百蓮華が泥水に染まらないように
あなたは善悪の両者に汚されません、雄々しき人よ
両足をお伸ばしなさい。サビヤは師を礼拝します。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは尊き師(ブッダ)の両足に頭をつけて礼して
言った
──「すばらしいことです、譬えば倒れた者を起こすように
覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように
あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで
真理を明らかにされました。
ここでわたくしはゴータマ(ブッダ)さまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。
わたくしは師のもとで出家したいのです。完全な戒律を受けたいのです。」

 (師はいわれた)
「サビヤよ。かって異説の徒であった者が
この教えと戒律とにおいて出家しようと望み
完全な戒律を受けようと望むならば、かれは四カ月の間別に住む。
四カ月たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧はかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせる。
しかしこの場合は、人によって(期間の)差異のあることが認められる。」

尊いお方さま。もしもかつて異説の徒であった者が
この教えと戒律とにおいて出家しようと望み
完全な戒律を受けようと望むならば、かれは四カ月の間別に住み、
四カ月たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧がかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせるのであるならば
わたくしは(四カ月ではなくて)、四年間別に住みましょう。
そうして四年たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧はわたくしを出家させて、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせてください。」

 さて遍歴の行者サビヤは(直ちに)師のもとで出家し完全な戒律を受けた。
それからまもなく、この長者サビヤは独りで他人から遠ざかり
怠ることなく精励し専心していたが、やがて無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派に人々はそれを得るために正しく家を出て
家なき状態に赴いたのであるが──
を現世においてみずからさとり、証し、具現して日を送った。

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」
とさとった。そうしてサビヤ長老は聖者の一人となった。

七、セーラ

 わたくしが聞いたところによると、──或るとき師は
大勢の修行僧千二百五十人とともにアングッタラーパ[という地方]を
遍歴して、アーバナと名づけるアングッタラーパの或る町に入られた。
結髪の行者ケーニヤはこういうことを聞いた
「シャカ族の子である<道の人>ゴータマ(ブッダ)は
シャカ族の家から出家して、修行僧千二百五十人の大きなつどいとともに
アングッタラーパを遍歴して、アーバナに達した。
そのゴータマさまには、次のような好い名声がおとずれている
──すなわち、かの師は、真の人・さとりを開いた人
明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知った人・無上の人
人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)
尊い師であるといわれる。
かれは、みずからさとり、体得して、神々・悪魔・梵天を含む
この世界や道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどもに
教えを説く。

かれは、初めも善く、中ほども善く、終りも善く、意義も文字も
よく具わっている教えを説き、完全円満で清らかな行いを説き明かす、と。
ではそのような立派な尊敬さるべき人に見えるのは幸せ
みごとな善いことだ。」

 そこで結髪の行者ケーニヤは師のおられるところに赴いた。
そうして、師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶のことばを
交わしたのち、かれは傍らに坐した結髪の行者ケーニヤに対して
師は法に関する話を説いて、指導し、元気づけ、喜ばされた。
結髪の行者ケーニヤは、師に法に関する話を説かれ、指導され
元気づけられ、喜ばされて、師にこのように言った
「ゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」

 そのように告げられて、師は結髪の行者ケーニヤに向かって言われた
「ケーニヤよ。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいます。
またあなたはバラモンがたを信奉しています。」

 結髪の行者ケーニヤは再び師に言った
「ゴータマさま。修行僧の方々は大勢で、千二百五十人もいるし
またわたくしはバラモンがたを信奉していますが
しかしゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」

 師は結髪の行者ケーニヤに再び言われた
「ケーニヤよ。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいます。
またあなたはバラモンがたを信奉しています。」

 結髪の行者ケーニヤは三たび師に言った
「ゴータマさま。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいるし
またわたくしはバラモンがたを信奉していますが
しかしゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」
師は沈黙によって承諾された。

 そこで結髪の行者ケーニヤは、師が承諾されたのを知って
座から起って、自分の庵に赴いた。
それから、友人・朋輩・近親・親族に告げていった
「友人・朋輩・近親・親族の皆さん。わたくしのことばをお聞きなさい。
わたくしは<道の人>ゴータマを修行僧の方々とともに
明日の食事に招待しました。
だから皆さんは、身を動かしてわたくしに手伝ってください。」

 結髪の行者ケーニヤの友人・朋輩・近親・親族は、「承知しました」と
かれに答えて、或る者は竈の坑を掘り、或る者は薪を割り
或る者は器を洗い、或る者は水瓶を備えつけ、或る者は座席を設けた。
また結髪の行者ケーニヤはみずから(白い帳を垂れた)
円い集会場をしつらえた。

 ところでそのときセーラ・バラモンはアーバナに住んでいたが
かれは三ヴェーダの奥義に達し、語彙論・活用論・音韻論
語源論(第四のアタルヴァ・ヴェーダと)第五としての史詩に達し
語句と文法に通じ、順世論や偉人の観相に通達し
三百人の少年にヴェーダの聖句を教えていた。
そのとき結髪の行者ケーニヤはセーラ・バラモンを信奉していた。

 ときにセーラ・バラモンは三百人の少年に取り巻かれていたが
(長く坐っていたために生じた疲労を除くために)膝を伸ばす散歩をし
あちこち歩んでいたが、結髪の行者ケーニヤの庵に近づいた。
そこでセーラ・バラモンは、ケーニヤの庵に属する結髪の行者たちが
或る者は竈の坑を掘り、或る者は薪を割り、或る者は器を洗い
或る者は水瓶を備えつけ、或る者は座席を設け
また結髪の行者ケーニヤはみずから円い集会場をしつらえているのを見た。
見てから結髪の行者ケーニヤに問うた
「ケーニヤさんは息子の嫁取りがあるのでしょうか?
あるいは息女の嫁入りがあるのでしょうか?
大きな祭祀が近く行われるのですか?
あるいはマガダ王セーニヤ・ビンビサーラが軍隊とともに
明日の食事に招待されたのですか?」

 「セーラよ。わたくしには息子の嫁取りがあるのでもなく
息女の嫁入りがあるのでもなく、マガダ王セーニヤ・ビンビサーラが
軍隊とともに明日の食事に招かれているのでもありません。
そうではなくて、わたくしは近く大きな祭祀を行うことになっています。
シャカ族の子・道の人ゴータマ(ブッダ)は、シャカ族の家から出家して
アングッタラーパ国を遊歩して、大勢の修行僧千二百五十人とともに
アーバナに達しました。
そのゴータマさまには次のような好い名声がおとずれている
──すなわち、かの師は、真の人・さとりを開いた人
明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知った人・無上の人
人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)
尊き師であるといわれる。
わたくしはあの方を修行僧らとともに明日の食事に招きました。」

 「ケーニヤさん。あなたはかれを<目ざめた人>(ブッダ)と呼ぶのか?」
 「セーラさん。わたくしはかれを<目ざめた人>と呼びます。」
 「ケーニヤさん。あなたはかれを<目ざめた人>と呼ぶのか?」
 「セーラさん。わたくしはかれを<目ざめた人>と呼びます。」

 そのときセーラ・バラモンは心に思った。
「<目ざめた人>という語を聞くことは
世間においてはむずかしいのである。
ところでわれわれの聖典の中に偉人の相が三十二伝えられている。
それを具えている偉人にはただ二つの途があるのみで
その他の途はありえない。
[第一に]もしもかれが在家の生活を営むならば
かれは転輪王となり、正義を守る正義の王として四方を征服して
土人民を安定させ、七宝を具有するに至る。
すなわちかれは輪という宝・象という宝・馬という宝・珠という宝
資産者という宝及び第七に指揮者という宝が現われるのである。
またかれには千人以上の子があり、みな勇敢で雄々しく外敵をうち砕く。
かれは、四海の果てるに至るまで、この大地を武力によらず
刀剣を用いずに、正義によって征服して支配する。
[第二に]しかしながら、もしもかれが家から出て出家者となるならば
真の人・覚りを開いた人となり
世間における諸々の煩悩の覆いをとり除く」と。

 「ケーニヤさん。では真の人・覚りを聞いた人であられる
ゴータマさまは、いまどこにおられるのですか?」

 かれがこのように言ったときに、結髪の行者ケーニヤは
右腕を差し伸ばして、セーラ・バラモンに告げていった
「セーラさん。この方角に当って一帯の青い林があります。
(そこにゴータマさまはおられるのです)。」

 そこでセーラ・バラモンは三百人の少年とともに
師のおられるところに赴いた。
そのときセーラ・バラモンはそれらの少年たちに告げていった
「きみたちは(急がすに)小股に歩いて、響きを立てないで来なさい。
諸々の尊き師は獅子のように独り歩む者であり、近づきがたいからです。
そうしてわたしが<道の人>ゴータマと話しているときに
きみたちは途中でことばを挿んではならない。
きみたちはわたしの話が終るのを待て。」

 さてセーラ・バラモンは尊き師のおられるところに赴いた。
そこで、師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交わしたのち
かれは傍らに坐した。
それから、セーラ・バラモンは師の身に三十二の<偉人の相>が
あるかどうかを探した。セーラ・バラモンは、師の身体に
ただ二つの相を除いて、三十二の偉人の相が殆んど具わっているのを見た。
ただ二つの<偉人の相>に関しては
(それらがはたして師にあるかどうかを)かれは疑い惑い
(<目ざめた人(ブッダ)>)であるということを)信用せず、信仰しなかった。
その二つとは体の膜の中におさめられた隠所と広長舌相とである。

 そのとき師は思った
「このセーラ・バラモンはわが身に三十二の偉人の相を
殆んど見つけているが、ただ二つの相を見ていない。
ただ体の膜の中におさめられた隠所と広長舌相という
二つの偉人の相に関しては
(それらがはたしてわたくしの身にあるかどうかを)かれは疑い惑い
(目ざめた人(ブッダ)であるということを)信用せず、信仰していない」と。

 そこで師は、セーラ・バラモンが師の体の膜の中におさめられた
隠所を見得るような神通を示現した。
次に師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし
両耳孔を上下になめまわし、前の額を一面に舌で撫でた。

 そこでセーラ・バラモンは思った
──「道の人ゴータマは三十二の偉人の相を完全に身に具えていて
不完全ではない。しかしわたしは
『かれがブッダであるか否か』ということをまだ知らない。
ただわたしは、年老い齢高く師またはその師であるバラモンたちが
『諸々の<尊敬さるべき人、完全な覚りを開いた人>は
自分が讃嘆されるときには自身を示現する』と語るのを聞いたことがある。
さあ、わたしは、適当な詩を以て、<道の人>ゴータマ(ブッダ)を
その面前において讃嘆しましょう」と。そこでセーラ・バラモン
ふさわしい詩を以て尊き師をその面前において讃嘆した。──

548 「先生あなたは身体が完全であり、よく輝き
生れも良く、見た目も美しい。黄金の色があり、歯は極めて白い。
あなたは精力ある人です。

549 実に、生れの良い人の具えるすがた・かたちは
すべて、偉人の相として、あなたの身体のうちにあります。

550 あなたは、眼が清らかに、容貌も美しく
(身体は)大きく、真っ直ぐで、光輝あり
道の人の群の中にあって、太陽のように輝いています。

551 あなたは見るも美しい修行者(比丘)で、その膚は黄金のようです。
このように容色が優れているのに、
どうして道の人となる必要がありましょうか。

552 あなたは転輪王(世界を支配する帝王)となって、戦車兵の主となり
四方を征服し、ジャンブ州(全インド)の支配者となるべきです。

553 クシャトリヤ(王侯たち)や地方の王どもは
あなたに忠誠を誓うでしょう。ゴータマ(ブッダ)よ。
王の中の王として、人類の帝王として、統治をなさってください。」

554 師(ブッダ)は答えた
「セーラよ。わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。
真理によって輪をまわすのです──(だれも)反転しえない輪を。」

555 セーラ・バラモンがいった
「あなたは完全にさとった者であると、みずから称しておられます。
ゴータマ(ブッダ)よ。あなたは『われは無上の真理の王であり
法によって輪をまわす』と説いておられます。

556 では、誰が、あなたの将軍なのですか?
師の相続者である弟子は誰ですか?あなたがまわされたこの真理の輪を
誰が(あなたに)つづいてまわすのですか?」

557 師が答えた
「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の真理の輪(法輪)を
サーリプッタがまわす。かれは全き人につづいて出現した人です。

558 わたしは、知らねばならぬことをすでに知り
修むべきことをすでに修め、断つべきことをすでに断ってしまった。
それ故に、わたしはさとった人(ブッダ)である。バラモンよ。

559 わたしに対する疑惑をなくせよ。バラモンよ。わたしを信ぜよ。
諸々のさとりを開いた人に、しばしば見えることはいともむずかしい。

560 かれは(さとりを開いた人々)が、しばしば世に出現することは
そなたらにとって、いとも得がたいことであるが私はその人なのである。
バラモンよ、わたしは(煩悩の)矢を抜き去る最上の人である。

561 わたしは神聖な者であり、無比であり、悪魔の軍勢を撃破し
あらゆる敵を降服させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ。」

562 (セーラは弟子どもに告げていった)
──「きみたちよ。眼ある人の語るところを聞け。
かれは(煩悩の)矢を断った人であり、偉大な健き人である。
あたかも、獅子が林の中で吼えるようなものである。

563 神聖な者、無比なる者、悪魔の軍勢を撃破する者、を見ては
だれが信ずる心をいだかないであろうか。
たとい、色の黒い種族の生れの者でも、(信ずるであろう)。

564 従おうと欲する者は、われにわれに従え。また従いたくない者は
去れ。わたしもすぐれた智慧ある人のもとで出家しましょう。」

565 (セーラの弟子どもが言った)
──「もしもこの完全にさとった人の教えを、先生が喜ばれるのでしたら
わたくしたちもまた、すぐれた智慧ある人のもとで、出家しましょう。」

566 (セーラは言った)
──「これら三百人のバラモンたちは、合掌してお願いしています。
『先生私たちは、あなたのみもとで清らかな行いを実践しましょう。』

567 師(ブッダ)が答えた
──「セーラよ。清らかな行いが、みごとに説かれている。
それは目のあたり、即時に果報をもたらす。
怠りなく道を学ぶ人が、出家して(清らかな行いを修めるのは)
空しくはない」

 セーラ・バラモンは仲間とともに師のもとで出家して
完全な戒律を受けた。

 ときに、結髪の行者ケーニヤは、その夜が過ぎてから
自分の庵で味のよい硬軟の食物を用意させて、師に時の来たことを告げて
「ゴータマ(ブッダ) さま。時間です。食事の用意ができました」と言った。
そこで師は午前中に内衣を着け、重衣をきて、鉢を手にとって
結髪の行者ケーニヤの庵に赴いた。
そうして、修行僧のつどいとともに、あらかじめ設けられた席についた。
それから結髪の行者ケーニヤは、ブッダを初め修行僧らに、手ずから
味のよい硬軟の食物を給仕して、満足させ、あくまでもてなした。
そこで結髪の行者ケーニヤは、師が食事を終り鉢から手を離したときに
みずから一つの低い座を占めて、傍らに坐した。
そうして結髪の行者ケーニヤに、師は次の詩を以て、喜びの意を表した。──

568 火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
王は人間のうちでは最上の者である。
大洋は、諸河川のうちで最上のものである。

569 月は、諸々の星のうちで最上のものである。
太陽は、輝くもののうちで最上のものである。
修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。

 師はこれらの詩を唱えて結髪の行者ケーニヤに喜びの意を示して
座から起って、去って行かれた。

 そこでセーラさんは、自分の仲間とともに、独りで他人から遠ざかり
怠ることなく、精励し専心していたが、まもなく
──諸々の立派な人々がそれらを得るために正しく家を出て
家なきに赴く目的であるところの
──無上の清らかな行いの究極を現世においてみずからさとり、得し
具現していた。
「(迷いの生存のうちに)生まれることは消滅した。
清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そしてセーラさんとその仲間とは、聖者の一人一人となった。

 そののちセーラさんはその仲間とともに師のおられるところに赴いた。
そうして、衣を一方の(左の)肩にかけて[右肩を洗わして]
師に向かって合掌し、次の詩を以て師に呼びかけた。──

570 「先生眼ある方よ。今から八日以前に、
われらはあなたに帰依しましたが、七日のあいだに
われらはあなたの教えの中で身をととのえました。

571 あなたは覚った方(ブッダ)です。あなたは師です。
あなたは悪魔を征服した聖者です。
あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから渡りおわり
またこの人々を渡してくださいます。

572 あなたは生存の素因を超越し
諸々の煩悩の汚れを滅ぼしておられます。
あなたは執著することのない獅子のようです。
恐れおののきを捨てておられます。

573 これら三百人の修行僧は、合掌して立っています。
健き人よ、足をお伸ばしください。
諸々の竜(行者)をして師を拝ませましょう。」

八、矢

574 この世における人々の命は、定まった相なく
どれだけ生きられるかも解らない。
惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。

575 生まれたものどもは、死を遁(のが)れる道がない。
老いに達しては、死ぬ。
実に生ある者どもの定めは、この通りである。

576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく
生まれた人々は死なねばならぬ。
かれらにはつねに死の怖れがある。

577 たとえば、陶工のつくった土の器が
終りにはすべて破壊されてしまうように
人々の命もまたその通りである。

578 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。

579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが
父もその子を救わず親族もその親族を救わない。

580 見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆にくれているのに
人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

581 このように世間の人々は死と老いとによって害われる。
それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。

582 汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。
汝は(生と死の)両端を見きわめないで
わめいて、いたずらになき悲しむ。

583 迷妄にとらわれて自己を害なっている人が
もし泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば
賢者もそうするがよかろう。

584 泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。
ただ彼にはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

585 みずから自己を害いながら、身は痩せ醜くなる。
そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。
嘆き悲しむのは無益である。

586 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。
亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。

587 見よ。他の(生きている)人々はまた自分のつくった業にしたがって
死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕らえられて
この世で慄えおののいている。

588 人々が色々と考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。
壊れて消え去るのは、この通りである。世の成りゆくさまを見よ。

589 たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも
終には親族の人々すら離れて、この世の生命を捨てるに至る。

590 だから(尊敬されるべき人)の教えを聞いて
人が死んで亡くなったのを見ては
「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって
嘆き悲しみを去れ。

591 たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように
そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は
悲しみが起こったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい
──譬えば風が綿を吹き払うように。

592 おのが悲嘆と愛執と憂いとを除け。
おのが楽しみを求める人は、おのが(煩悩の)矢を抜くべし。

593 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく
心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。


九、ヴァーセッタ

 

スッタニパータ3

一四、ダンミカ         

第三 大いなる章      

一、出家      
二、つとめはげむこと      
三、みごとに説かれたこと      
四、スンダリカ・バーラドヴァージャ   
五、マーガ


十四、ダンミカ

376 わたくしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのときダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者とともに
師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。
そこで在俗信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。

376 「智慧ゆたかなゴータマ(ブッダ)さま。
わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は
家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと
どのように行うのが善いのですか?

377 実にあなたは神々とこの世の人々の帰趣と究極の目的とを
知っておられます。奥深いことがらを見る方で
あなたに比ぶ人はいません。世人はあなたを
優れた目ざめた人(ブッダ) だと呼んでいます。

378 あなたはすっかり証(さと)りおわって
生けるものどもをあわれんで、智識と理法を説かれます。
あまねく見る人よ。あなたは世の覆いを開き、汚れなくして
ひろく全世界に輝きたもう。

379 エーラーヴァナと名づける象王は、あなたが勝利者(ブッダ)であると
聞いたので、あなたのもとに来ましたる彼もまたあなたと相談して
(あなたの話を)聞いて、『いいなあ』といって、喜んで去りました。

380毘沙門天王であるクヴェーラも、また教えを請おうとして
あなたに近づいてきました。賢者よ。かれに尋ねられたときにも
あなたは話をなさいました。かれもまた(あなたの話を)聞いて
喜んだ姿を示しました。

381 アージーヴィカ教徒であろうとも、ジャイナ教徒であろうとも
論争を習いとするこれらのいかなる異説の徒でも、すべて
智慧であなたを超えることはできません。立ったままでいる人が
急いで走ってゆく人を追い越すことができないようなものです。

382 論争を習いとするいかなるバラモンでも、老年であろうとも
あるいは(中年、あるしは青年の)バラモンであろうとも
またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも
すべてあなたから<ためになることがら>を得ようと望んでいるのです。

383 先生、あなたがみごとに説きたもうたこの教えは幽微であり
また楽しいものです。あなたにお尋ねしますが
どうぞわれらにお説きください。最高の<目ざめた方>(ブッダ)よ。

384 これらの出家修行者たち、並びに在俗信者たちは、すべて
(目ざめた人の教えを)聞こうとして、ここに集まってきたのです。
けがれなき人(目ざめた人)がさとり、みごとに説いた理法を聞け
──神々がインドラ神のことばを聞くように。」

385 (師は答えた)
「修行者たちよ、われに聞け。
煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。
汝らすべてはそれを持て。目的をめざす思慮ある人は
出家にふさわしいそのふるまいを習い行え。

386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。
定められたときに、托鉢のために村に行け。
時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。
それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。

387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは
ひとびとをすっかり酔わせるものである。
これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに
朝食を得るために(村に)入れよ。

388 そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば
ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い
こころを外に放ってはならぬ。

389 もしもかれが、教えを聞く人、或いは他の修行者とともに
語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。
かげぐちや他の誹謗することばを発してはならぬ。

390 実に或る人々は(誹謗の)ことばに反発する。
かれらは浅はかな小賢しい人々をわれは称賛しない。
(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し
かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

391 智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は
幸せな人(ブッダ) の説きたもうた法を聞いて
食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水とを
よく気をつけて用いよ。

392 それ故に、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水
──これらのものに対して、修行者は執著して汚れることがない
──蓮の葉に宿る水滴[が汚されない]ようなものである。

393 次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。
このように実行する人は善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。
純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)
がこれを達成するのは実に容易ではない。

394 生きものを(みずから)殺してはならぬ。
また(他人をして)殺さしめてはならぬ。
また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。
世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも
すべての生きものに対する暴力を抑えて──。

395 次に教えを聞く人は、与えられていないものは
何ものであっても、またどこにあっても
知ってこれを取ることを避けよ。
また(他人をして)取らせることなく
(他人が)取りさるのを認めるな。
なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。

396 ものごとの解った人は婬行を回避せよ──
燃えさかる炭火の坑を回避するように。
もし不婬を修することができなければ、
(少なくとも)他人の妻を犯してはならぬ。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

398 また飲酒を行ってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、
他人をして飲ませてもならぬ。
他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。──
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って──。

399 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、
また他人の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。
この禍いの起るもとを回避せよ。
それは愚人の愛好するところであるが、
しかし狂酔せしめ迷わせるものである。

400 (1)生きものを害してはならぬ。
(2)与えられないものを取ってはならぬ。
(3)嘘をついてはならぬ。
(4)酒を飲んではならぬ。
(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。
(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

401 (7)花かざりを着けてはならぬ。
芳香を用いてはならぬ。
(8)地上に床を敷いて伏すべし。

これこそ実に八つの項目より成る
ウポーサタ(斎戒)であるという。

苦しみを修滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。

402 そうしてそれぞれ半月の第八日、第十四日、第十五日に
ウポーサタを修せよ。八つの項目より成る完全なウポーサタを
きよく澄んだ心で行え。また特別の月においてもまた同じ。

403 ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は次に
きよく澄んだ心で喜びながら、翌朝早く
食物とを適宜に修行僧の集いにわかち与えよ。

404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は
(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」

<小なる章>第二おわる

この章のまとめの句

 宝となまぐさと、恥と、こよなき幸せと、スーチローマと
理法にかなった行いと、バラモンにふさわしいことと、船の経と
いかなる戒めを、と、精励と、ラーフラ
ヴァンギーサと正しい遍歴と、さらにダンミカと──

 これらの十四の経が「小なる章」と言われる。

第三 大いなる章

一、出家

405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか
かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか。
かれの出家をわれは述べよう。

406 「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。
ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て
出家されたのである。

407 出家されたのちには、身による悪行をはなれた。
ことばによる悪行をもすてて、生活をすっかり清められた。

408 目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の(首都)・山に囲まれた王舎城に行った。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。

409 (マガダ王)ビンビサーラは高殿の上に進み出て、かれを見た。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人を見て、(侍臣に)このことを語った。

410 「汝ら、この人をみよ。美しく、大きく、清らかで
行いも具わり、眼の前を見るだけである。

411 かれは眼を下に向けて気をつけている。
この人は賤しい家の出身ではないようだ。
王の使者どもよ、走り追え。この修行者はどこへ行くのだろう。」

412 派遣された王の使者どもは、かれのあとを追って行った
──「この修行者はどこへ行くのだろう。
かれはどこに住んでいるのだろう」と。

413 かれは、諸々の感官を制し、よくまもり、正しく自覚し
気をつけながら、家ごとに食を乞うて、その鉢を速やかにみたした。

414 聖者は托鉢を終えて、その都市の外に出て、パンダヴァ山に赴いた
──かれはそこに住んでいるのであろう。

415 [ゴータマ(ブッダ)がみずから]住所に近づいたのを見て
そこで諸々の使者はかれに近づいた。
そうして一人の使者は(王城に)もどって、王に報告した、──

416 「大王さま。この修行者はパンダヴァ山の山窟の中に
また獅子のように座しています」と。

417 使者のことばを聞き終るや、そのクシャトリヤ(ビンビサーラ王)は
荘厳な車に乗って、急いでパンダヴァ山に赴いた。

418 かのクシャトリヤ(王)は、車に乗って行けるところまで車を駆り
車から下りて、徒歩で赴いて、かれに近づいて坐した。

419 王は坐して、それから挨拶のことばを喜び交わした。
挨拶のことばを交わしたあとで、このことを語った。──

420 「あなたは若く青春に富み、人生の初めにある若者です。
容姿も端麗で、生れ貴いクシャトリヤ(王族)のようだ。

421 象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて
わたしはあなたに財を与えよう。それを享受なさい。
わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」

422 (釈尊がいった)
「王さま。あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に一つの正直な民族がいます。
昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。

423 姓に関しては<太陽の裔>といい
種族に関しては<シャカ族>(釈迦族)といいます。
王さまよ。わたしはその家から出家したのです。
欲望をかなえるためではありません。

424 諸々の欲望に憂いがあることを見て
また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。
わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」

二、つとめはげむこと

425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために
つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに

426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて
言った。あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。

427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。
きみよ、生きよ。生きたほうがよい。
命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。

428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし
聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。
(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。

429 つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」・・・・

430 かの悪魔がこのように語ったときに
尊師(ブッダ)は次のように告げた。

──「怠け者の親族よ、悪しき者よ。
汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが

431 わたしはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。
悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。

432 わたしには信念があり、努力があり、また智慧がある。
このように専心しているわたくしに
汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?

433 (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。
ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。

434 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。
肉が落ちると、心はますます澄んでくる。
わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。

435 わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから
わが心は諸々の欲望にひかれることがない。
見よ、心身の清らかなことを。

436 汝の第一の軍隊は貪欲であり、第二の軍隊は嫌悪であり
第三の軍隊は飢餓であり、第四の軍隊は妄執といわれる。

437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり
第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり
汝の第八の軍隊はみせかけと強情と

438 誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と
また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。

439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
(勇者は)うち勝って楽しみを得る。

440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか?
(敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。
わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。

441 或る修行者たち・バラモンどもは
この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。
そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには
わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。
わたくしをこの場所から退けることなかれ。

443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが
わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る
──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。

444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し
国から国へと遍歴しよう
──教えを聞く人々をひろく導きながら。

445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ
怠ることなく、専心している。
そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。」

446 (悪魔はいった)
「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。
しかもよく気をつけている正覚者には
つけこむ隙をみつけることができなかった。

447 烏が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって
『ここに柔かいものが見つかるだろうか?味のよいものがあるだろうか?』といって飛び廻ったようなものである。

448 そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。
岩石ら近づいたその烏のように、われらは厭いて
ゴータマ(ブッダ)を捨て去る。」

449 悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた。つ
いで、かの夜叉は意気消沈してそこに消え失せた。

三、みごとに説かれたこと

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師ブッダはサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのとき師は諸々の<道の人>に呼びかけられた「修行僧たちよ」と。
「尊き師よ」と、<道の人>たちは師に答えた。
師は告げていわれた
「修行僧たちよ。四つの特徴を具えたことばは
みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。
諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。
その四つとは何であるか?道の人たちよ、ここで修行僧が

[Ⅰ]みごとに説かれた言葉のみを語り、悪しく説かれた言葉を語らず
[Ⅱ]理法のみを語って、理にかなわぬことを語らず
[Ⅲ]好ましいことのみを語って、好ましからぬことを語らず
[Ⅳ]真理のみを語って、虚妄を語らないならば

この四つの特徴を具えていることばは
みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。
諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。」
尊き師はこのことを告げた。そのあとでまた
<幸せな人>である師は、次のことを説いた。

450 立派な人々は説いた
──[Ⅰ]最上の善いことばを語れ。(これが第一である。)
[Ⅱ]正しい理を語れ、理に反することを語るな。これが第二である。
[Ⅲ]好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。
これが第三である。
[Ⅳ]真実を語れ。偽りを語るな。これが第四である。

 そのときヴァンギーサ長老は座から起ち上がって
衣を一つの肩にかけ(右肩をあらわして)、師(ブッダ)のおられる方に
合掌して、師に告げていった
「ふと思い出すことがあります!幸せな方よ」と。
「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。
そこでヴァンギーサ長老は師の面前で
ふさわしい詩を以て師をほめ称えた。

451 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。

452 好ましいことばのみを語れ。
その言葉は人々に歓び迎えられることばである。
感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るのである。

453 真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に
また理法の上に安立しているといわれる。

454 安らぎに達するために、苦しみを終減させるために
仏の説きたもうおだやかな言葉は
実に諸々のことばのうちで最上のものである。

四、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー
河の岸に滞在しておらめれた。ちょうどその時に
バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。
さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
聖火をまつり、火の祀りを行なったあとで、座から立ち
あまねく四方を眺めていった
──「この供物のおさがりを誰にたべさせようか。」

 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
遠からぬところで尊き師(ブッダ)が或る樹の根もとで
頭まで衣をまとって坐っているのを見た。
見おわってから左手で供物のおさがりをもち
右手で水瓶をもって師のおられるところに近づいた。
そこで師はかれの足音を聞いて、頭の覆いをとり去った。
そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
「この方は頭を剃っておられる。この剃髪者である」といって
そこから戻ろうとした。そうしてかれはこのように思った
「この世では、或るバラモンたちは、頭を剃っているということもある。
さあ、わたしはかれに近づいてその生れ(素姓)を聞いてみよう」と。

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
師のおられるところに近づいた。それから師にいった
「あなたの生まれは何ですか?」と

 そこで師は、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャに
詩を以て呼びかれた。

455 「わたしはバラモンではないし、王族の者でもない。
わたしはヴァイシヤ族(庶民)の者でもないし、また他の何ものでもない。

456 わたしは家なく、重衣を着け、髭髪(ひげかみ)を剃り
心を安らかならしめて、この世で人々に汚されることなく、歩んでいる。
 バラモンよ。あなたがわたしに姓をたずねるのは適当でない。」

457 「バラモンバラモンと出会ったときは
『あなたはバラモンではあられませんか?』とたずねるものです。」

「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば
バラモンでないわたしに答えなさい。わたしは、あなたに
三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」

458 「この世の中では、仙人や王族やバラモンというような人々は
何のために神々にいろいろと供物を献じたのですか?」

 (師が答えた)
「究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る
(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世俗の)人の(祭祀の行為は)
効果をもたらす、とわたくしは説く。」

459 バラモンがいった
「わたくしはヴェーダの達人であるこのような立派な方に
お目にかかったのですから、実にその方に対する(わたくしの)献供は
きっと効果があるでしょう。(以前には)あなたのような方に
お目にかからなかったので、他の人が献供の菓子(のおさがり)を
食べていたのです。」

460 (師が答えた)
「それ故に、バラモンよ、あなたは求めるところあってきたのであるから
こちらに近づいて問え。恐らくここに、平安で、(怒りの)煙の消えた
苦しみなく、欲求のない聡明な人を見出すであろう。」

461 (バラモンがいった)
「ゴータマ(ブッダ) さま。わたくしは祭祀を楽しんでいるのです。
祭祀を行おうと望むのです。しかしわたくしははっきりとは
知っていません。あなたはわたくしに教えてください。
何にささげた献供が有効であるかを言ってください。」

 (師が答えた)
「では、バラモンよ、よく聞きなさい。
わたくしはあなたに理法を説きましょう。

462 生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。
賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり
恥を知って慎むならば高貴の人となる。

463 真実もてみずから制し、(諸々の感官を)慎しみ
ヴェーダの奥義に達し、清らかな行いを修めた人
──そのような人にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

464 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから慎んで
梭(かい)のように真っすぐな人々
──そのような人々にそこ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

465 貪欲を離れ、諸々の感官を静かにたもち
月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。 

466 執著することなくして、常に心をとどめ
わがものと執したものを(すべて)捨て去って、世の中を歩き廻る人々
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝ってふるまい、生死のはてを知り
平安に帰し、清涼なること湖水のような<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

468 全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と
等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。
かれは無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。
<全き人>(如来)はお供えの菓子を受けるにふさわしい。

469 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ
わがものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き
こころ静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく
この世についてもかの世についてもとらわれることがない
<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

471 こころをひとしく静かにして激流をわたり
最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして
最後の身体をたもっている<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

472 かれは、生存の汚れも、荒々しいことばも
除き去られ滅びてしまって、存在しない。
かれはヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して
解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

473 執著を超えていて、執著をもたず
慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく
畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている
<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

474 欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見
他人の教える異なった見解を超越して
何らこだわってとらわれることのない<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

475 あれこれ一切の事物をさとって
それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで
平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

476 煩悩の束縛と迷いの生存への生れかわりとが滅び去った
究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく
清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

477 自己によって自己を観じ(それを)認めることなく
こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し
動揺することなく、疑惑のない(全き人)(如来)は
お供えの供物を受けるにふさわしい。

478 迷妄にもとづいて起る障りは何ら存在せず
あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をたもち
めでたい無上のさとりを得──これだけでも人の霊は清らかとなる
──(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。」

479 「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから
わが供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人としてみそなわせ。
先生、ねがわくはわたくしから受けてください。
先生、ねがわくはわがお供えの菓子を召し上がってください。」

480 「詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)の
なすきまりではない。
詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。
バラモンよ。このきまりが存するのであるから、
これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法)である。

481 全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し
悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。
けだしそれは功徳を積もうと望む者(福)田であるからである。」

482 「先生、わたくしのような者の施しを受け得る人
祭祀の時に探しもとめて供養すべき人、をわたくしは
──あなたの教えを受けて──どうか知りたいのです。」

483 「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し
ものうさ(無気力)を除き去った人、

484 限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め
聖者の特性を身に具えたそのような聖者が祭祀のために来たとき、

485 かれに対して眉をひそめて見下すことをやめ
合掌してかれを礼拝せよ。飲食物をささげて、かれを供養せよ。
このような施しは、成就して果報をもたらす。」

486 「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは
お供えの菓子を受けるにふさわしい。
あなたは最上の福田であり全世界の布施を受ける人であります。
あなたにさし上げた物は、果報が大きいです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
尊き師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように
覆われたものを開くように、方向に迷った者に道を示すように
あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中に灯火をかかげるように、ゴータマさまは
種々のしかたで理法を明らかにされました。
だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。
また法と修行僧のつどい帰依したてまつる。
わたくしはゴータマさまのもとで出家し
完全な戒律(具足戒)を受けたいものです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
師のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは
独りで他から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが
まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て
家なき状態に赴いたのであるが
──を現世においてみずからさとり、証し、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そうしてスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

五、マーガ

 わたくしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ) は、王舎城の<鷲の峰>という山におられた。
そのときマーガ青年は師のおられるところに赴いた。
そこに赴いて師に挨拶した。
喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交したのち、かれらは傍らに坐した。
そこでマーガ青年は師に言った、──

 「ゴータマ(ブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり
寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ
正しい法によって財を求めます。
そのあとで、正しい法によって獲得して儲けた財物を
一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え
五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え
九人にも与え、十人にも与え、二十人にも与え、三十人にも与え
四十人にも与え、五十人にも与え、百人にも与え
さらに多くの人にも与えます。
ゴータマさま。わたくしがこのように与え
このようにささげるならば、多くの福徳を生ずるでしょうか。」

 「青年よ。実にあなたはそのように与え、そのようにささげるならば
多くの福徳を生ずる。誰であろうとも、実に、与える人、施主であり
寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財を求め
そのあとで、法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え
さらにつづいては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は
多くの福徳を生ずるのである。」

487 マーガ青年がいった
「袈裟を着け家なくして歩む寛仁なるゴータマさまに
わたくしはお尋ねします。この世で、施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をめざして供物をささげ、他人に飲食物を与える人が
祀りを実行するときには、何者にささげた供物が
清らかとなるのでしょうか。」

488 尊い師は答えた
「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
この世で他人に飲食物を与えるならば
まさに施与を受けるにふさわしい人々とともに
目的を達成することになるであろう。」

489 マーガ青年はいった
「施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
この世で他人に飲食物を与えるに当って
<まさに施与を受けるにふさわしい人々>のことを
わたしに説いてください。先生」

490 実に執著することなく世間を歩み、無一物で
自己を制した<全き人>がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

491 一切の結び・縛めを断ち、みずから慎しみ、解脱し
苦しみなく、欲求のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

492 一切の結び・縛めから解き放たれ、みずから慎しみ、解脱し
苦しみなく、欲求のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

493 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを減しつくし
清らかな行いを修めている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

494 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ
わがものとして執することなく、欲望をもたぬ人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

495 実に諸々の愛執に耽らず、すでに激流をわたりおわって
わがものという執著なしに歩む人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても
移りかわる生存への妄執の存在しない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

497 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから制して
梭(かい)のように真っすぐな人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

498 欲望を離れ、諸々の感官をよく静かにたもち
月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

499 安らぎに帰して、貪欲を離れ、怒ることなく
この世で(生存の諸要素を)捨て去って
もはや(迷いの生存)に行く道のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

500 生と死とを捨てて余すところなく、あらゆる疑惑を超えた人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

501 自己を洲(よりどころ)として世間を歩み
無一物で、あらゆることに関して解脱している人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

502 『これは(わたしの)最後の生存であり
もはや再び生を享けることはない』ということを
この世で如実にしっている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

503 ヴェーダに通じ、安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて
全きさとりに達し、多くの人々に帰依されている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

504 (マーガがいった)
「実にわたくしの質問はむだではありませんでした。
尊き師は、まさに施与を受けるにふさわしい人々のことを
わたくしに説いてくださいました。
先生、あなたはこの世ですべてのことがらを如実にしっておられます。
あなたはこの理法を知っておられるからです。」

505 マーガ青年が(さらにつづけて)いった
「この世で施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
他人に飲食を与えるに当って、どうしたならば
祀りが成功成就するかということをわたくしに説いてください。先生」

506 尊き師(ブッダ)は答えた
「マーガよ。祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清らしめよ。
祀り実行者の専心することは祀りである。
かれはここに安立して邪悪を捨てる。

507 かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して
日夜つねに怠らず、無量の(慈しみの)心をあらゆる方角にみなぎらせる。」

508 (マーガがいった)
「誰が清らかとなり、解脱するのですか?誰が縛せられるのですか?
何によってひとはみずから梵天界に至るのですか?
聖者よお尋ねしますが、わたくしは知らないのですから説いてください。
尊き師は、わたくしの<あかし>です。
わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。
真にあなたはわれわれにとっては梵天に等しい方だからです。
光輝ある方よ。どうしたならば、梵天界に生まれるのでしょうか?」

509 尊き師は答えた
「マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は
施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば
梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。」

 このように説かれたときに、マーガ青年は師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです。ゴータマさま。
あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように
方角に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで
真理を明らかにされました。
だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。
ゴータマさまはわたくしを在家信者として受け入れてください。
今日から命の続く限り帰依いたします。」

六、サビヤ

 

スッタニパータ2

一一、勝利      
一二、聖者    
 
第二 小なる章 
     
一、宝      
二、なまぐさ      
三、恥      
四、こよなき幸せ      
五、スーチローマ      
六、理法にかなった行い      
七、バラモンにふさわしいこと      
八、船      
九、いかなる戒めを      
一〇、精励      
一一、ラーフラ      
一二、ヴァンギーサ      
一三、正しい遍歴

十一、勝利

193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り
或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす
──これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ
深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて
ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち
肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血
関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔らはつねに不浄物が流れ出る。
眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き
或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり
墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれを喰らい
鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において智慧ある修行者は
覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて
このことを完全に了解する。
なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。
この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と
内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は
不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち
(花や香を以て)まもられている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い
また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

十二、聖者

207 親しみ慣れることから恐れが生じ
家の生活から汚れた塵が生ずる。
親しみ慣れることもなく家の生活もないならば
これが実に聖者のさとりである。

208 すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って
新たに植えることなく
現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば
この独り歩む人を<聖者>と名づける。
かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209 平安の境地、(煩悩の起こる)基礎を考究して
そのたねを弁(わきま)え知って
それを愛執する心を長せしめないならば
かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり
妄想をすてて(迷える者の)部類に赴かない。

210 あらゆる執著の場所を知りおわって
そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ
欲のない聖者は、作為によって求めることがない。
かれは彼岸に達しているからである。

211 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り
いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく
あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

212 智慧の力あり、戒と誓いをよく守り
心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ
落ち着いて気をつけていて、執著から脱して
荒れたところなく、煩悩の汚れのない人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

213 独り歩み、怠ることのない聖者は
非難と賞賛とに心を動かさず
音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
他人に導かれることなく、他人を導く人
──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても
水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち
欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

215 梭(かい)のように真っすぐにみずから安立し
諸々の悪い行為を嫌い
正と不正とをつまびらかに考察している人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

216 自己を制して悪をなさず、若いときでも
中年でも、聖者は自己を制している。
かれは他人に悩まされることなく
また何びとをも悩まさない。
諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

217 他人から与えられたもので生活し
[容器の]上の部分からの食物
中ほどからの食物、残りの食物を得ても
(食を与えてくれた人を)ほめることなく
またおとしめて罵ることもないならば
諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

218 婬欲の交わりを断ち
いかなるうら若き女人にも心をとどめず
驕りまたは怠りを離れ、束縛から解脱している聖者
──かれを諸々の賢者は(真の)<聖者>であると知る。

219 世間をよく理解して、最高の真理を見
激流を超え海をわたったこのような人
束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。
在家者は妻を養うが
善く誓戒を守る者(出家者)は
何ものをもわがものとみなす執著がない。
在家者は、他のものの生命を害って節制することがないが
聖者は自制していて、常に生命ある者を守る。

221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは
どうしても白鳥の速さに及ばないように
在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する
聖者・修行者に及ばない。

   <蛇の章>第一 おわる

 まとめの句

 蛇とダニヤと[犀の]角と耕す人と
チュンダと破壊と賤しい人と、慈しみを修めることと
雪山に住む者とアーラヴァカと、勝利とまた聖者と
── これらの十二の経が「蛇の章」と言われる。


第二 小なる章

一、宝

222 ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。
そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

223 それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。
昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。
それ故に、なおざりにせず。かれらを守れ。

224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも
天界における勝れた宝であろうとも
われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。
この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

225 心を統一したサキヤムニは
(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された
──その理法と等しいものは何も存在しない。
このすぐれた宝は理法のうちに存在する。
この真理によって幸せであれ。

226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

227 善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。
かれらは幸せ人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。
かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

228 ゴータマ(ブッダ)の教えに基づいて
堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく
不死に投入して、達すべき境地に達し
代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

229 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると
四方からの風にも揺るがないように
諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は
これに譬えられるべきである、とわれは言う。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

230 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた
諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は
たとい大いに等閑に陥ることがあっても
第八の生存を受けることはない。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

231 [Ⅰ]自身を実在とみなす見解と
[Ⅱ]疑いと[Ⅲ]外面的な戒律・誓いという
三つのことがらが少しでも存在するならば
かれが知見を成就するとともに
それらは捨てられてしまう。
かれは四つの悪い場所から離れ
また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。
このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

232 またかれが身体によって、ことばによって
またはこころの中で、たとい僅かなりとも
悪い行為をなすならば
かれはそれを隠すことができない。
隠すことができないということを
究極の境地を見た人は説きたもうた。
このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

233 夏の月の初めの暑さに
林の茂みでは枝が花を咲かせたように
それに譬うべき、安らぎに赴く
妙なる教えを(目ざめた人、ブッダが)説きたもうた
──ためになる最高のことがらのために。
このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

234 勝れたものを知り、勝れたものを与え
勝れたものをもたらす勝れた無上の人が
妙なる教えを説きたもうた。
このすぐれた宝が<目ざめた人>(ブッダ)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

235 古い(業)はすでに尽き
新しい(業)はもはや生じない。
その心は未来に執著することなく、種子をほろぼし
それが生長する事を欲しない。
それらの賢者は、灯火のように滅びる。
このすぐれた宝が(つどい)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

236 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間のつかえるこのように完成した
<目ざめた人>(ブッダ)を礼拝しよう。幸せであれ。

237 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間とのつかえるこのように完成した<教え>を礼拝しよう。
幸せであれ。

238 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間とのつかえるこのように完成した<つどい>を礼拝しよう。
幸せであれ。

二、なまぐさ

239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆
野菜・球根・蔓の実を善き人々から
正しいしかたで得て食べながら
欲を貪らず、偽りを語らない。

240 よく炊がれ、よく調理されて
他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を
舌鼓(づつみ)うって食べる人は
なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは
おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら
しかも<わたしはなまぐさものを許さない>と称している。
カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。
あなたの言う<なまぐさ>とはどんなものですか。」

242 「生き物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること
盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと
邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること
──これがなまぐさである。
肉食することが<なまぐさい>のではない。

243 この世において欲望を制することなく
美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ
虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

244 粗暴・残酷であって、陰口を言い
友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり
ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り
嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し
密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

247 この世でほしいままに生きものを殺し
他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め
たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

248 これら(生けるものども)に対して貪り求め
敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は
死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も
裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも
粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも
あるいはまた世の中でなされるような
不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も
供犠も、祭祀も、季節の荒行も
それらは、疑念を超えていなければ
その人を清めることができない。

250 通路(六つの機官)をまもり
機官にうち勝って行動せよ。
理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ
執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は
見聞きしたことに汚されない。

251 以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。
ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。
なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、
跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。

252 目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた
──なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る──ことばを聞いて
(そのバラモンは、)謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し
即座に出家することをねがった。

三,恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って
「われは(汝の)友である」と言いながら
しかも為し得る仕事を引き受けない人
──かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに
ことばだけ気に入ることを言う人は
「言うだけで実行しない人」であると
賢者たちは知りぬいている。

255 つねに注意して友誼の破れることを懸念して
(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。
子が母の胸にたよるように、その人によっても
他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。

256 成果を望む人は、人間に相応した重荷を背負い
喜びを生じる境地と賞讃を博する楽しみを修める。

257 遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって
法の喜びの味を味わっている人は、苦悩を離れ、悪を離れている。

四、こよなき幸せ

 わたたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ
ジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。
そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。

258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。
最上の幸福を説いて下さい。」

259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ
尊敬すべき人々を尊敬すること
──これがこよなき幸せである。

260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて
みずからは正しい誓願を起こしていること
──これがこよなき幸せである。

261 深い学識あり、技術を身につけ
身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること
──これがこよなき幸せである。

262 父母につかえること、妻子を愛し護ること
仕事に秩序あり混乱せぬこと
──これがこよなき幸せである。

263 施与と、理法にかなった行いと
親族を愛し護ることと、非難を受けない行為
──これがこよなき幸せである。

264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ
徳行をゆるがせにしないこと
──これがこよなき幸せである。

265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと
──これがこよなき幸せである。

266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと
諸々の(道の人)に会うこと
適当な時に理法について聞くこと
──これがこよなき幸せである。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること
安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること
──これがこよなき幸せである。

268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず
憂いなく、汚れを離れ、安穏であること
──これがこよなき幸せである。

269 これらのことを行うならば
いかなることに関しても敗れることがない。
あらゆることについて幸福に達する
──これがこよなき幸せである。

五、スーチローマ

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のタンキク石床における
スーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。
そのときカラという神霊とスーチローマという神霊に言った
「かれは<道の人>である」と。(スーチローマという神霊は言った)

「かれは真の<道の人>であるか、或いは似而非の<道の人>であるかを
わたしが知らないうちは、かれは真の<道の人>ではなくて
似而非の<道の人>である。」

 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り
そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。
そこでスーチローマという神霊は師にいった
「<道の人>よ。汝はわたしを恐れるのか。」
(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。
しかし汝に触れることは悪いのだ。」
(スーチローマという神霊はいった)
「<道の人>よ。わたしは汝に質問しよう。
もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し
汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえて
ガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)
「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において
道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで
わが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえて
ガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を
実にわたしは見ない。
友よ、汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。──

270 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生じるのであるか。
好きと嫌いと身の毛もよだつこと(戦慄)とは
どこから生ずるのであるか。
諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?
──あたかも子供らが鳥を投げて棄てるように。

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。
好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。
諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ
──あたかも子供らが鳥を投げて棄てるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。
あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。
それらが、ひろく諸々の執著していることは
譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

273 神霊よ、聞け。それらの煩悩が
いかなる原因にもとづいて起こるかを知る人々は、煩悩を除きさる。
かれらは、渡りがたく、未だかつて渡った人のいないこの激流を渡り
もはや再び生存をうけることがない。

六、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い、清らかな行い
これが最上の宝であると言う。
たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても

275 もしもかれが荒々しいことばを語り
他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば
その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は
目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし
煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。

278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り
母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。
死後には苦しみを受ける。

279 あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。
不潔な人は、実に清めることがむずかしい。

280 修行僧らよ。このような出家修行僧を、実は
<家にたよっている人、邪まな欲望あり、邪まな思いあり
邪まな行いをなし、悪いところにいる人>であると知れ。

281 汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。
籾殻を吹き払え。屑を取り除け。

282 次いで、実は<道の人>であると思いなしている籾殻どもを除き去れ
──悪を欲し、悪い行いをなし、悪いところにいるかれらを吹き払って。

283 みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって
清らかな人々と共に住むようにせよ。
そこで、聡明な者どもが、ともに仲よくして
苦悩を終滅せしめるであろう。

七、バラモンにふさわしいこと

 わたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのときコーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち
──かれらは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが
──かれらは師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。
喜ばしい思い出に関する挨拶のことばを交わしたのち
かれらは傍らに坐した。

 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った
「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモン
昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めに
したがっているでしょうか?」[師は答えた]
バラモンたちよ。今のバラモンたちは
昔のバラモンたちの守ったバラモンの法に従ってはいない。」
「では、ゴータマさんは、昔のバラモンたちの守った
バラモンの法をわれらに話してください
──もしもゴータマさまにお差支えがなければ。」
「では、バラモンたちよ、お聞きなさい、よく注意なさい。
わたしは話してあげましょう。」「どうぞ」と
大富豪であるバラモンたちは、師に答えた。

 師は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。
かれは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)理想を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし
黄金もなかったし、穀物もなかった。
しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし
穀物ともなし、ブラフマンを倉として守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物
すなわち信仰心をこめて調理せられた食物を求める
(バラモンたち)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 豊かに栄えていた地方や国々の人々は
種々に美しく染めた衣服や臥床や住居をささげて
バラモンたちに敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので
かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。
かれらはかれらが家々の戸口に立つのを
なんびとも決して妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。
知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶(めと)らなかった。
かれらはまたその妻を買うこともなかった。
ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは
(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは
その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と
温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモン
実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。

294 この世における聡明な性の或る人々は
かれの行いにならいつつ、不婬と戒律と耐え忍びとをほめたたえた。

295 米と玩具と衣服とバターと油とを乞い
法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。
かれらは、祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。

296 母や父や兄弟や、また他の親族のように
牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297 それから(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え
皮膚に光沢を与え、また楽しませてくれる。
(牛に)このような利益のあることを知って
かれらは決して牛を殺さなかった。

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく
容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って
為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに
熱心に努力した。
かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。

299 しかるにかれらに誤った見解が起こった。
次第に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって

300 また駿馬に牽かせた立派な車、美しく彩られた縫物
種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て

301 バラモンたちは、牛の群が栄え
美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

302 そこでかれはヴェーダの呪文を編纂して
かの甘蔗王のもとに赴いていった
「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。
あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて
──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り
ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り
──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人
またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に
種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが
さらにそれを蓄積することを願った。
かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。
そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが
生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。
祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。
あなたの財産は多い。」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて
幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた。

309 牛は、脚を以ても、何によっても決して
(他のものを)害うことがなくて、羊に等しく柔和で
瓶をみたすほど乳を搾らせてくれる。
しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた。

310 刃が牛におちるや、そのとき神々と祖霊と
帝釈天と阿修羅と羅刹たちは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。
ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは
昔から行われて、今に伝わったという。
何ら害のない(牛が)殺される。
祭祀を行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに
隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し
また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし
妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに
種姓(の制度)によって守られている他の人々も
生れる誇る論議を捨てて、欲望に支配される至った、と。

 このように説かれたときに、大富豪であるバラモンたちは、師にいった
「すばらしいことです!ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです!ゴータマさま。
あたかも倒れた者を起こすように、覆われているものを開くように
方向に迷った者を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、
ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされた。
ここで、われらはゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。
ゴータマさまは、われわれを在俗信者として、受け入れてください。
今日から命の続く限り帰依いたします。」

八、船

316 ひとがもしも他人から習って理解を知るならば
あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくになすべきである。
学識の深いその(師)は、尊敬されれば
その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。

317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して
理法にしたがった教えを順次に実践し
このような人に親しんで怠ることがないならば
識者・弁え知る者・聡明なる者となる。

318 未だことがらを理解せず、嫉妬心のある
くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば
ここで真理(理法)を弁え知ることなく
疑いを超えないで、死に至る。

319 あたかも人が水かさが多く流れの疾い河に入ったならば
かれは流れにはこばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。
かれはどうして他人を渡すことができるであろうか。

320 それと同じく、真理(理法)を弁え知らず
学識の深い人にことがらの意義を聞かないならば
みずから知らず、疑いを超えていない人が
どうして他人の心を動かすことができるであろうか。

321 堅牢な船に乗って、橈と舵とを具えているならば
操縦法を知った巧みな経験者は
他の多くの人々をそれに乗せて渡すように

322 それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ
自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は
実に(みずから)知っていて、傾聴し侍坐しようという
気持ちを起こした他の人々の心を動かす。

323 それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。
ものごとを知って実践しつつ、真理を理解した人は
安楽を得るであろう。

九、いかなる戒めを

324 いかなる戒めをまもり、いかなる行いをなし
いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し
また最上の目的を達し得るのであろうか。

325 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り
法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。
みごとに説かれたことを謹んで聞け。

326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。
ものごとと真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。

327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し
真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。
みごとに説かれた真実にもとづいて暮らせ。

328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺
貪欲、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて
驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。

329 みごとに説かれたことばは、聞いてそれを理解すれば、精となる。
聞きかつ知ったことは、精神の安定を修すると、精になる。
人が性急であってふらついているならば
かれには智慧も学識も増大することがない。

330 聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は
ことばでも、こころでも、行いでも、最上である。
かれらは平安と柔和と瞑想とのうちに安立し
学識と智慧との真髄に達したのである。

十、精励

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。
矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。
この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。
時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。

334 怠りは塵垢(じんこう)である。怠りによって塵垢がつもる。
つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

十一、ラーフラ

335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。
しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか?
諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」

336 (ラーフラは答えた)
「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを
わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を
わたくしは常に尊敬しています。」

以上、序の詩

337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて
信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。」

338 「善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった
騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。」

339 「衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所
──これらのものに対して欲を起こしてはならない。
再び世にもどってくるな。」

340 「戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し
そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。
切に世を厭い嫌う者となれ。」

341 「愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。
その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて
心をしずかに統一せよ。」

342「 無相のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。
そうすれば汝は傲慢をほろぼして
心静まったものとして日を送るであろう。」

 実に尊き師(ブッダ)はこのように
ラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

十二、ヴァンギーサ

 わたしがこのように聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィーにおける
アッガーラウァ霊樹のもとにおられた。
そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が
アッガーラウァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。
そのときヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが
このような思念が心に起こった
──「わが師は実際に亡くなったんだろうか
あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。

 そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て
師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍らに坐った。
傍らに坐ったヴァンギーサさんは師にいった
尊いお方さま。わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき
このような思念が心に起こりました
──<わが師は実際に亡くなったのだろうか
或いはまだ亡くなっていないのだろうか?>」と。

 そこでヴァンギーサさんは座から立ち上がって
衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向かって合掌し
師にこの詩を以て呼びかけた。

343 「現世において、もろもろの疑惑を断たれた
無上の智慧ある師におたずね致します
──世に知られ、名声あり、心が安らぎに帰した[ひとりの]修行者が
アッガーラウァ[霊樹のもと]で亡くなりました。

344 先生、あなたは、そのバラモン
『ニグローダ・カッパ』という名をつけられました。
ひたすらに真理を見られた方よ。
かれは、あなたを礼拝し、解脱をもとめ、つとめ励んでおりました。

345 サッカ(釈迦族の人、釈尊)よ、あまねく見る人よ。
われらはみな、(あなたの)かの弟子のことを知ろうと望んでいます。
われわれの耳は、聞こうと待ちかまえています。
あなたはわれらの師です。あなたは、この上ない方です。

346 われらの疑惑を断ってください。これをわたくしに説いてください。
智慧ゆたかな方よ。かれらが亡くなったのかどうかを知って
われらの間で説いてください
──千の眼ある帝釈天が神々の間で説くように。あまねく見る方よ。

347 この世で、およそ束縛なるものは、迷妄の道であり
無智を棚とし、疑いによって存するが
全き人(如来)にあうと、それらはすべてなくなくなってしまう。
この(全き人)は人間のための最上の眼であります。

348 風が密雲を払いのけるように、[この人](ブッダ)が
煩悩の汚れを払うのでなければ、全世界は覆われて
暗黒となるでありましょう。光輝ある人々も輝かないでありましょう。

349 聡明な人々は世を照らします。聡明な方よ。
わたしは、あなたをそのような人だと思います。
われらはあなたを<如実に見る人>であると知って
みもとに近づきました。集会の中で、われらのために
(ニグローダ)カッパのことを明かにしてください。

350 すみやかに、いとも妙なる声を発してください。
白鳥がその頸をもたげて徐(おもむ)ろに鳴くように
よくととのった円やかな声を徐に発してください。
われらはすべて、素直に聞きましょう。

351 生死を残りなく捨て、悪を払い除いた(ブッダ)に請うて
真理を説いて頂きましょう。諸々の凡夫は[知ろうと欲し言おうと]
欲することをなしとげることができないが
諸々の全き人(如来)たちは、慎重に思慮してなされるからです。

352 この完全な確定的な説明が、正しい智者であるあなたによって
よく持たれているのです。わたくしは、さらにこの合掌をささげます。
(みずからは)知りながら(語らないで、われらを)迷わしたもうな。
智慧すぐれた方よ。

353 あれこれの尊い理法を知っておられるのですから(みずからは)
知りながら[語らないで、われらを]迷わしたりなさいますな。
励むことにすぐれた方よ。夏に暑熱に苦しめられた人が
水をもとめるように、わたしは(あなたの)ことばを望むのです。
聞く者に[ことばの雨を]降らしてください。

354 カッパ師が清らかな行いを行って達成しようとした目的は
かれにとって空しかったのでしょうか?
かれは、消え滅びたのでしょうか?それとも
生存の根源を残して安らぎに帰したのでしょうか?
かれはどのように解脱したのでしょうか
──わたくしたちはそれを聞きたいのです。」

355 師は答えた
「かれはこの世において
名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。
長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」
五人の修行者の最上者であった尊き師はそのように語られた。

356 [ヴァンギーサいわく、──]
「第七の仙人(ブッダ)さま。あなたのおことばを聞いて
わたしは喜びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。
バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。

357 目ざめた人(ブッダ)の弟子(ニグローダ・カッパ)は
ことばで語ったとおりに実行した人でした。
ひとを欺く死魔のひろげた堅固な網を破りました。

358 先生、カッパ師は執著の根元を見たのです。
ああ、カッパ師は、いとも渡りがたい死魔の領域を超えたのです。」

十三、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し
安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。
家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには
どのようにしたらよいのでしょうか。」

360 師はいわれた
「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ
吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって
人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて
順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて
何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず
諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく
他人の誘いに惑わされないならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても
逆らうことなく、正しく理法を知って
ニルヴァーナの境地をもとめるならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく
罵られても心にふくむことなく
他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

367 修行者が、貪りと迷いの生存(煩悩の)矢を抜いたのであれば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

368 修行者が、自分に適当なことを知り
世の中で何ものをも害うことなく
如実に理法を知っているのであるならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

369 かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存せず
悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく
求めることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

370 煩悩の汚れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え
みずから制し、安らぎに帰し、こころが安立しているならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

371 信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見
諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず
貪欲と嫌悪と憤怒とを慎しむならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

372 清らかな行いによって煩悩にうち克った勝者であり
覆いを除き、諸々の事物を支配し、彼岸に達し
妄執の動きがなくなって、生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を
立派に完成するならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

373 過去及び未来のものに関して(妄りなる)はからいを超え
極めて清らかな智慧あり、あらゆる変化的生存の領域から
解脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

374 究極の境地を知り、理法をさとり
煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て
あらゆる<生存を構成する要素>を滅しつくすが故に
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。」

375 「尊いお方(ブッダ)<さま。まことにこれはそのとおりです。
このように生活し、みずから制する修行者は
あらゆる束縛を超えているのです。
かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」

十四、ダンミカ

スッタニパータ1

第一 蛇の章    
  
一、蛇     
二、ダニヤ      
三、犀の角     
四、田を耕すバーラドヴァージャ  
五、チュンダ      
六、破滅      
七、賤しい人      
八、慈しみ      
九、雪山に住む者      
一〇、アーラヴァカという神霊

一、蛇

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)
ひろがるのを薬で制するように
怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

2 池に生える蓮華を
水にもぐって折り取るように
すっかり愛欲を断ってしまった修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
 ──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して
余すことのない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように
すっかり驕慢を減し尽くした修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

5 無花果の樹の林の中に
花を探し求めて得られないように
諸々の生存状態のうちに
堅固なものを見いださない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

6 内に怒ることなく
世の栄枯盛衰を超越した修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
 ──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

7 想念を焼き尽くして余すことなく
心の内がよく整えられた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

8 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
すべてこの妄想をのり越えた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

9 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「世間における一切のものは虚妄である」と
知っている修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

10 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
貪りを離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

11 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
愛欲を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

12 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
憎悪を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

13 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
迷妄を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

14 悪い習性がいささかも存することなく
悪の根を抜き取った修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

15 この世に還り来る縁となる
<煩悩から生ずるもの>を
いささかももたない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

16 ひとを生存に縛りつける原因となる
<妄執から生ずるもの>を
いささかももたない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

17 五つの蓋いを捨て
悩みなく、疑惑を越え
苦悩の矢を抜き去られた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

二、ダニヤ

18 牛飼いダニヤがいった
「わたしはもう飯を炊き
乳を搾ってしまった。
マヒー河の岸のほとりに
わたしは(妻子と)ともに住んでいます。
わが小舎の屋根は葺かれ
火は点されている。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

19 師は答えた
「わたしは怒ることなく
心の頑迷さを離れている。
マヒー河の岸のほとりに
一夜の宿りをなす。
わが小舎(すなわち自身)はあばかれ
(欲情の)火は消えた。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、
雨を降らせよ。」

20 牛飼いダニヤがいった
「蚊も虻もいないし
牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み
雨が降ってきても
かれらは堪え忍ぶであろう。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

21 師は答えた
「わが筏はすでに組まれて
よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり
彼岸に到着している。
もはや筏の必要はない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

22 牛飼いダニヤがいった
「わが牧婦(=妻)は従順であり
貪ることがない。
久しくともに住んできたが
わが意に適っている。
かの女にいかなる悪のあるのをも
聞いたことがない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

23 師は答えた
「わが心は従順であり
解脱している。
永いあいだ修養したので
よくととのえられている。
わたしにはいかなる悪も存在しない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

24 牛飼いダニヤがいった
「私は自活しみずから養うものである。
わが子らはみなともに住んで健やかである。
かれらにいかなる悪のあるのをも
聞いたことがない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

25 師は答えた
「わたしは何人の傭い人でもない。
みずから得たものによって全世界を歩む。
他人に傭われる必要はない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

26 牛飼いダニヤがいった
「未だ馴らされていない牛もいるし
乳を飲む仔牛もいる。
孕んだ牝牛もいるし
交尾を欲する牝牛もいる。
牝牛どもの主である牡牛もいる。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

27 師は答えた
「未だ馴らされていない牛もいないし
乳を飲む仔牛もいない。
孕んだ牝牛もいないし
交尾を欲する牝牛もいない。
牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

28 牛飼いダニヤがいった
「牛を繋ぐ杭は
しっかり打ち込まれていて揺るがない。
ムンジャ草でつくった新しい縄は
よく編まれている。
仔牛もこれを断つことができないであろう。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

29 師は答えた
「牡牛のように結縛を断ち
くさい臭いのする蔓草を
象のように踏みにじり
私はもはや母胎に入ることはないであろう。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

30 忽ちに大雲が現われて
雨を降らし
低地と丘とをみたした。
神が雨を降らすのを聞いて
ダニヤは次のことを語った。

31 「われらは尊き師にお目にかかりました
われらの得たところは実に大きいのです。
眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。
あなたはわれわれの師となってください。
大いなる聖者よ。」

32 「妻も私もともに従順であります。
幸せな人(ブッタ)のもとで
清らかな修行を行いましょう。
生死の彼岸に達して
苦しみを滅しましょう。」

33 悪魔パービマンがいった
「子のある者は子について憂い
また牛ある者は牛について喜ぶ。
人間の執著する元のものは喜びである。
執著する元のない人は
実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた
「子のある者は子について憂い
また牛ある者は牛について憂う。
実に人間の憂いは
執著する元のものである。
執着する元のもののない人は
憂うることがない。」

三、犀(さい)の角

35 あらゆる生きものに対して
暴力を加えることなく
あらゆる生きもののいずれをも
悩ますことなく
また子を欲するなかれ。
況や朋友をや。
犀の角のようにただ独り歩め。

36 交わりをしたならば愛情が生じる。
愛情にしたがって
この苦しみが起こる。
愛情から
禍いの生じることを観察して
犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ
心がほだされると
おのが利を失う。
親しみには
この恐れのあることを観察して
犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は
たしかに枝の広く茂った竹が
互いに相絡むようなものである。
筍が他のものに
まとわりつくことのないように
犀の角のようにただ独り歩め。

39 林の中で縛られていない鹿が
食物を求めて欲するところに赴くように
聡明な人は独立自由をめざして
犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば
休むにも立つにも
行くにも旅するにも
常に人に呼びかけられる。
他人に従属しない独立自由をめざして
犀の角のようにただ独り歩め。

41 仲間の中におれば
遊戯と歓楽とがある。
また子らに対する情愛は甚だ大である。
愛しき者と別れることを厭いながらも
犀の角のようにただ独り歩め。

42 四方のどこでも赴き
害心あることなく
何でも得たもので満足し
諸々の苦痛に堪えて
恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。

43 出家者でありながらなお
不満の念をいだいている人々がいる。
また家に住まう在家者でも同様である。
だから他人の子女にかかわること少し
犀の角のようにただ独り歩め。

44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように
在家者のしるしを捨て去って
在家の束縛を断ち切って
健き人はただ独り歩め。

45 もしも汝が
<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を
得たならば
あらゆる危難にうち勝ち
こころ喜び
気をおちつかせて
かれとともに歩め。

46 しかしもし汝が
<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を
得ないならば
譬えば王が征服した国を
捨て去るようにして
犀の角のようにただ独り歩め。

47 われわれは実に
朋友を得る幸を讃め称える。
自分より勝れあるいは
等しい朋友には
親しみ近づくべきである。
このような朋友を
得ることができなければ
罪過のない生活を楽しんで
犀の角のようにただ独り歩め。

48 金の細工人がみごとに仕上げた
二つの輝く黄金の腕輪を
一つの腕にはめれば
ぶつかり合う。
それを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

49 このように二人でいるならば
われに饒舌といさかいとが起るであろう。
未来にこの恐れのあることを察して
犀の角のようにただ独り歩め。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり
心に楽しく種々のかたちで
心を攪乱する。
欲望の対象にはこの患いのあることを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり
腫物であり、禍であり、病であり
矢であり、恐怖である。
諸々の欲望の対象には
この恐ろしさのあることを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

52 寒さと暑さと、飢えと渇きと
風と太陽の熱と、虻と蛇と
──これらすべてのものにうち勝って
犀の角のようにただ独り歩め。

53 肩がしっかりと発育し
蓮華のようにみごとな巨大な象は
その群を離れて
欲するがままに森の中を遊歩する。
そのように
犀の角のようにただ独り歩め。

54 集会を楽しむ人には
暫時の解脱に至るべきことわりもない。
太陽の末裔<ブッダ>の言葉を心がけて
犀の角のようにただ独り歩め。

55 相争う哲学的見解を越え
(さとりに至る)決定に達し
道を得ている人は
「われは智慧が生じた。
もはや他の人に指導される要がない」と知って
犀の角のようにただ独り歩め。

56 貪ることなく
詐(いつわ)ることなく
渇望することなく
(見せかけで)覆うことなく
濁りと迷妄とを除き去り
全世界において
妄執のないものとなって
犀の角のようにただ独り歩め。

57 義ならざるものを見て
邪曲にとらわれている
悪い朋友を避けよ。
貪りに耽って怠っている人に
みずから親しむな。
犀の角のようにただ独り歩め。

58 学識ゆたかで真理をわきまえ
高邁、明敏な友と交われ。
いろいろと為になることがらを知り
疑惑を去って
犀の角のようにただ独り歩め。

59 世の中の遊戯や娯楽に
満足を感ずることなく
心ひかれることなく
身の装飾を離れて
真実を語り
犀の角のようにただ独り歩め。

60 妻子も、父母も、財産も穀物
親類やそのほかあらゆる欲望までも
すべて捨てて
犀の角のようにただ独り歩め。

61 「これは執著である。
ここは楽しみは少なし
快い味わいも少くて
苦しみが多い。
これは魚を釣る釣り針である」と知って
賢者は
犀の角のようにただ独り歩め。

62 水の中の魚が網を破るように
また火がすでに焼いたところに
戻ってこないように
諸々の(煩悩の)結び目を破り去って
犀の角のようにただ独り歩め。

63 俯して視
とめどなくうつろうことなく
諸々の感官を防いで守り
こころを護り(慎しみ)
(煩悩の)流れ出ることなく
(煩悩の火に)焼かれることもなく
犀の角のようにただ独り歩め。

64 葉の落ちた
パーリチャッタ樹のように
在家者の諸々のしるしを除き去って
出家して袈裟の衣をまとい
犀の角のようにただ独り歩め。

65 諸々の味を貪ることなく
えり好みすることなく
他人を養うことなく
戸ごとに食を乞い
家々に心をつなぐことなく
犀の角のようにただ独り歩め。

66 こころの五つの覆いを断ち切って
すべてに付随して起こる
悪しき悩み(随煩悩)を除き去り
なにものかにかたよることなく
愛念の過ちを断ち切って
犀の角のようにただ独り歩め。

67 以前に経験した
楽しみと苦しみを擲(なげう)ち
また快さと憂いとを擲って
清らかな平静と安らいとを得て
犀の角のようにただ独り歩め。

68 最高の目的を
達成するために努力策励し
こころが怯むことなく
行いに怠ることなく
堅固な活動をなし
体力と智力とを具え
犀の角のようにただ独り歩め。

69 独座と禅定を捨てることなく
諸々のことがらについて
常に理法に従って行い
諸々の生存には
患いのあることを確かに知って
犀の角のようにただ独り歩め。

70 妄執の消滅を求めて
怠らず、明敏であって
学ぶこと深く、こころをとどめ
理法を明らかに知り
自制し、努力して
犀の角のようにただ独り歩め。

71 音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め。

72 歯牙強く獣どもの王である獅子が
他の獣にうち勝ち
制圧してふるまうように
辺地の坐臥に親しめ。
犀の角のようにただ独り歩め。

73 慈しみと平静と
あわれみと解脱と喜びとを
時に応じて修め
世間すべてに背くことなく
犀の角のようにただ独り歩め。

74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て
結び目を破り
命の失うのを恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。

75 今の人々は自分の利益のために
交わりを結び、また他人に奉仕する。
今日、利益をめざさない友は
得がたい。
自分の利益のみを知る人間は
きたならしい。
犀の角のようにただ独り歩め。

四、田を耕すバーラドブァージャ

 わたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)は
マガダ国の南山にある
「一つの茅」というバラモン村におられた。
そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。

 そのとき師(ブッダ)は
朝早く内衣を着け
鉢と上衣とをたずさえて
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが
仕事をしているところへ赴かれた。
ところでそのとき
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
食物を配給していた。

 そこで師は食物を配給しているところに近づいて
傍らに立たれた。
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
師が食を受けるために立っているのを見た。
そこで師に告げていった、

「道の人よ。わたしは耕して種を播く。
耕して種を播いたあとで食う。
あなたもまた耕せ、また種を播け。
耕して種を播いたあとで食え。」と

(師は答えた)、「バラモンよ。
わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う」と。

 (バラモンがいった)
「しかしわれらはゴータマさん(ブッダ)の
軛(くびき)も鋤(すき)も
鋤先(すきさき)も突棒(つくぼう)も牛も見ない。
それなのにゴータマさんは
バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う。』という」と。

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
詩を以て師に呼びかけた。

76 「あなたは農夫であると
みずから称しておられますが
われらはあなたが耕作するのを
見たことがない。おたずねします。
──あなたが耕作するということを
われわれが了解し得るように
話してください。」

77 (師は答えた)
「わたしにとっては
信仰が種である。
苦行が雨である。
智慧がわが
軛(くびき)と鋤(すき)である。
慚(はじること)が
鋤棒(すきぼう)である。
心が縛る縄である。
気を落ちつけることが
鋤先と突棒とである。

78 身をつつしみ
ことばをつつしみ
食物を節して過食しない。
わたしは真実をまもることを
草刈りとしている。
緩慢が私にとって
(牛の)軛を離すことである。

79 努力がわが(軛をかけた牛)であり
安穏の境地に運んでくれる。
退くことなく進み
そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ
甘露の果実もたらす。
この耕作を行ったならば
あらゆる苦悩から解き放たれる。」

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
大きな青銅の鉢に乳粥を盛って師(ブッダ)にささげた。
──「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。
ゴータマさまは甘露の果実をもたらす
耕作をなさるのですから。」

81 詩を唱えて[報酬として]得たものを
わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、このことは
正しく見る人々(目ざめた人々)の
ならわしではない。
詩を唱えて得たものを
目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから
これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

82 全き人である大仙人
煩悩の汚れをほろぼし尽し
悪い行いを消滅した人に対しては
他の飲食をささげよ。
けだしそれは
功徳を積もうと望む者のための
(福)田であるからである。

「では、ゴータマ(ブッダ)さま
この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」

バラモンよ。実に
神々・悪魔・梵天とともなる世界において
神々・人間・道の人・バラモンを含む
生きものの中で
全き人(如来)とかれの弟子とを除いては
この乳粥を食べて
すっかり消化し得る人を見ない。
だから、バラモン
その乳粥を青草の少ないところに棄てよ
或いは生物のいない水の中に沈めよ。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
その乳粥を生物のいない水の中にうずめた。

さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると
チッチタ、チッチタと音を立てて大いに湯煙りを立てた。
譬えば終日、日に曝されて熱せられた鋤先を
水の中に入れると、チッチタ、チッチタと音を立て
大いに湯煙りを出すように
その乳粥は水の中に投げ棄てられると
チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出した。

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
恐れおののいて、身の毛がよだち師(ブッダ)のもとに近づいた。
そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、

──「すばらしいことです、ゴータマさま。
すばらしいことです、ゴータマさま。
譬えば倒れた者を起こすように、覆われたものを聞くように
方向に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように
ゴータマさまは種々のしかたで真理を明らかにされました。
故にわたくしはここにゴータマさまに帰依します。
また真理と修行僧のつどいに帰依します。
わたしはゴータマさまのもとで出家し
完全な戒律(具足戒)をうけましょう。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャさんは
独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが
まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために
正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが
──を現世においてみずからさとり、証、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない。」とさとった。
そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

五、チュンダ

83 鍛冶工のチュンダがいった
「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主
妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に
わたしはおたずねします。
──世間にはどれだけの修行者がいますか?
どうぞお説きください。」

84 師(ブッダ)は答えた
「チュンダよ。四種の修行者があり
第五の者はありません。
面と向かって問われたのだから
それらをあなたに明かしましょう。
──<道による勝者>と<道を説く者>と
<道において生活する者>と及び
<道を汚す者>とです。」

85 鍛冶工チュンダはいった
「目ざめた人々は誰を
<道による勝者>と呼ばれるのですか?
また<道を習い覚える人>は
どうして無比なのですか?
またおたずねしますが
<道によって生きる>ということを
説いてください。
また<道を汚す者>を
わたくしに説き明かしてください。」

86 「疑いを越え、苦悩を離れ
安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ
貪る執念をもたず
神々と世間とを導く人
──そのような人を
<道による勝者>であると
目ざめた人々は説く。

87 この世で最高のものを
最高のものであると知り
ここで法を説き判別する人
疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を
修行者たちのうちで第二の
<道を説く者>と呼ぶ

88 みごとに説かれた
<理法にかなったことば>である<道>に生き
みずから制し、落ち着いて気をつけていて
とがのないことばを奉じている人を
修行者たちのうちで第三の
<道によって生きる者>と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして
ずうずうしくて、家門を汚し
傲慢で、いつわりをたくらみ
自制心なく、おしゃべりで
しかも、まじめそうにふるまう者
──かれは<道を汚す者>である。

90 (彼らの特長を)聞いて
明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は
『かれら(四種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って
かれらを洞察し、このように見ても
その信徒の信仰はなくならない。
かれはどうして
汚れた者と汚れていない者と
清らかな者と清らかでない者とを
同一視してよいであろうか。」

六、破滅

 わたしが聞いたところによると
──あるとき師(ブッダ)は
サーヴァッティーのジェータ林
<孤独なる人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ
ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。
近づいてから師に敬礼して傍らに立った。
そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

91 「われらは、<破滅する人>のことを
ゴータマ(ブッダ)におたずねします。
破滅への門は何ですか?
師にそれを聞こうとして
われわれはここに来たのですが、──。」

92 (師は答えた)
「栄える人を識別することは易く
破滅を識別することも易い。
理法を愛する人は栄え
理法を嫌う人は敗れる。」

93 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第一の破滅です。先生
第二のものを説いてください。
破滅への門はなんですか?」

94 「悪い人々を愛し
善き人々を愛することなく
悪人のならいを楽しむ。
これは破壊への門である。」

95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第二の破滅です。先生
第三のものを説いてください。
破滅への門は何ですか?」

96 「 睡眠の癖あり、集会の癖あり
奮励することなく、怠りなまけ
怒りっぽいので名だたる人がいる
──これは破滅への門である。」

97 「よく分かりました。おっしゃるとおりです。
これが第三の破滅です。先生
第四のものを説いてください。
破滅への門は何ですか?」

98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに
年老いて衰えた母や父を養わない人がいる
──これは破滅への門である。」

99 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第四の破滅です。先生
第五のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

100 「バラモンまたは<道の人>または
他の<もの乞う人>を
嘘をついてだますならば
これは破滅の門である。」

101 「よくわかりました。おっしゃるとうりです。
これが第五の破滅です。先生
第六のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

102 「おびただしい富あり、黄金あり
食物ある人が
ひとりおいしい物を食べるならば
これは破滅への門である。」

103 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第六の破滅です。先生
第七のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

104 「血統を誇り、財産を誇り
また氏姓を誇っていて、しかも
已が親戚を軽蔑する人がいる
──これは破滅への門である。」

105 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第七の破滅です。先生
第八のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り
得るにしたがって得たものを
その度ごとに失う人がいる
──これは破滅への門である。」

107 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第八の破滅です。先生
第九のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

108 「おのが妻に満足せず
遊女に交わり、他人の妻に交わる
──これは破滅への門である。」

109 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第九の破滅です。先生
第十のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

110 「青春を過ぎた男が
ティンバル果のように盛り上がった
乳房のある若い女を誘き入れて
かの女について嫉妬から夜も眠れない
──これは破滅への門である。」

111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第十の破滅です。先生
第十一のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

112 「酒肉に荒み、財を浪費する女
またはこのような男に
実権を託すならば
これは破滅への門である。」

113 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第十一の破滅です。先生
第十二のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が
財力が少ないのに欲望が大きくて
この世で王位を獲ようと欲するならば
これは破滅への門である。

115 世の中にはこのような
破滅のあることを考察して
賢者・すぐれた人は真理を見て
幸せな世界を体験する。」

七、賤しい人

 わたしが聞いたところによると
──あるとき師(ブッダ)は
サーヴァッティーのジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて
托鉢のためにサーヴァッティーに入った。

 そのとき火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャの住居には
聖火がともされ、供物がそなえられていた。
さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、かれの住居に近づいた。
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師が遠くから来るのを見た。

 そこで、師にいった
「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの<道の人>よ、そこにおれ。
賤しい奴よ、そこにおれ」と。

 そう言われたので、師は
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャに言った
バラモンよ。あなたはいったい
賤しい人はなにかを知っているのですか?
また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」

 「ゴータマさん(ブッタ)。
わたしは人を賤しい人とする条件をも
知っていないのです。
どうか、わたしが賤しい人を
賤しい人とさせる条件を知り得るように
ゴータマさんはわたくしに
その定めを説いてください。」

バラモンよ、ではお聞きなさい。
よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」

 「どうぞ、お説きください」、と火に事える
バラモン・バーラドヴァーシャは師に答えた。

師は説いていった
116 「怒りやすく恨みをいだき
邪悪にして、見せかけであざむき
誤った見解を奉じ、たくらみのある人
──かれを賤しい人であると知れ。

117 一度生まれたもの(胎生)でも
二度生まれるもの(卵生)でも
この世で生きものを害し
生きものに対するあわれみのない人
──かれを賤しい人であると知れ。

118 村や町を破壊し、包囲し
圧制者として一般に知られる人
──かれを賤しい人であると知れ。

119 村にあっても、林にあっても
他人の所有物をば
与えられないのに盗み心をもって取る人
──かれを賤しい人であると知れ。

120 実際に負債があるのに
返済するように督促されると
『あなたからの負債はない』といって
言い逃れる人
──かれを賤しい人であると知れ。

121 実に僅かの物を欲しくて
路行く人を殺害して
僅かの物を奪い取る人
──かれを賤しい人であると知れ。

122 証人として尋ねられたとき
自分のために、他人のため
また財のために、偽りを語る人
──かれを賤しい人であると知れ。

123 或いは暴力を用い
或いは相愛して
親族または友人の妻と交わる人
──かれを賤しい人であると知れ。

124 己は財豊かであるのに
年老いて衰えた母や父を養わない人
──かれを賤しい人であると知れ。

125 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち
またはことばで罵る人
──かれを賤しい人であると知れ。

126 相手の利益となることを
問われたのに不利益を教え
隠し事をして語る人
──かれを賤しい人であると知れ。

127 悪事を行なっておきながら
『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み
隠し事をする人
──かれを賤しい人であると知れ。

128 他人の家に行っては
美食をもてなされながら
客として来た時には
返礼としてもてなさない人
──かれを賤しい人であると知れ。

129 バラモンまたは<道の人>
または他の<もの乞う人>を
嘘をついてだます人
──かれを賤しい人であると知れ。

130 食事のときが来たのに
バラモンまたは<道の人>を
ことばで罵り食を与えない人
──かれを賤しい人であると知れ。

131 この世に迷妄に覆われ
わずかの物が欲しくて
事実でないことを語る人
──かれを賤しい人と知れ。

132 自分をほめたたえ
他人を軽蔑し
みずからの慢心のために
卑しくなった人
──かれを賤しい人であると知れ。

133 人を悩まし、欲深く
悪いことを欲し、ものおしみをし
あざむいて
(徳がないのに敬われようと欲し)
恥じ入る心のない人
──かれを賤しい人であると知れ。

134 目ざめた人(ブッダ)をそしり
或いは出家・在家の
その弟子(仏弟子)をそしる人
──かれを賤しい人であると知れ。

135 実際は尊敬さるべき人ではないのに
尊敬さるべき人(聖者)であると自称し
梵天を含む世界の盗賊である人
──かれこそ実に最下の賤しい人である。

わたしがそなたたちに説き示したこれらの人々は
実に<賤しい人>と呼ばれる。

136 生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり
行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが
これによってわが説示を知れ。
チャンダーラ族の子で
犬殺しのマータンガという人は
世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。
多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って
情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ
ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも
しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ
来世においては悪いところに生まれる。
(身分の高い)生まれも、かれらが悪いところに生まれ
また非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人となり
行為によってバラモンともなる。

このように説かれたときに
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは、師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです、ゴータマさま。
あたかも倒れた者をおこすように、覆われたものを開くように
方角に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色を見るであろう』といって暗夜に灯火をかかげるように
ゴータマさまは種々のしかたで法を明らかにされました。
ですから、わたしは、ゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。
ゴータマさまは、わたくしを在俗信者として受けいれてください。
今日以降命の続く限り帰依します。」

八、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が
この平安の境地に達してなすべきことは
次のとおりである。
能力あり、直く、正しく
ことばやさしく、柔和で
思い上がることのない者であらねばならぬ。

144 足ることを知り、わずかの食物で暮し
雑務少く、生活もまた簡素であり
諸々の感官が静まり、聡明で
高ぶることなく
諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

145 他の識者の非難を受けるような
下劣な行いを決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

146 いかなる生物生類であっても
怯えているものでも強剛なものでも
悉く、長いものでも、大きいものでも
中ぐらいのものでも、短いものでも
微細なものでも、粗大なものでも、

147 目に見えるものでも、見えないものでも
遠くに住むものでも、近くに住むものでも
すでに生まれたものでも
これから生まれようと欲するものでも
一切の生きとし生けるものは
幸せであれ。

148 何びとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても
他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて
互いに他人に苦痛を与えることを
望んではならない。

149 あたかも、母が已が独り子を
命を賭けて護るように、そのように
一切の生きとし生れるものどもに対しても
無量の(慈しみの)意を起すべし。

150 また全世界に対して
無量の慈しみの意を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく
敵意なき(慈しみを行うべし)。

151 立ちつつも、歩みつつも
坐しつつも、臥つつも
眠らないでいる限りは
この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

152 諸々の邪まな見解にとらわれず
戒を保ち、見るはたらきを具えて
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は
決して再び母胎に宿ることがないであろう。

九、雪山に住む者

153 七岳という神霊(夜叉)がいった
「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ
われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」

154 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった
「このように立派な人のこころは
一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。
望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても
かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

155 七岳という神霊は答えた
「このように立派なかれ(ブッダ)のこころは
一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。
また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても
かれの意欲はよく制されている。」

156 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは与えられないものを取らないであろうか?
かれは生きものを殺さないように心がけているであろうか?
かれは怠惰から遠ざかっているであろうか?
かれは精神の統一をやめないであろうか?」

157 七岳という神霊は答えた
「かれは与えられないものを取らない。
かれは生きものを殺さないように心がけている。
かれは怠惰から遠ざかっている。
目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることができない。」

158 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは嘘をつかないであろうか?
粗暴なことばを発しないであろうか?
中傷の悪口を言わないだろうか?
くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」

159 七岳という神霊は答えた
「かれは嘘をつかない。
粗暴なことばを発しない。
また中傷の悪口を言わない。
くだらぬおしゃべりを言わない。」

160 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか?
その心は濁っていないだろうか?
迷妄を越えているであろうか?
諸々のことがらを明らかに見とおす
眼をもっているだろうか?」

161 七岳という神霊は答えた
「かれは欲望の享楽に耽らない。
その心は濁っていない。
迷妄を越えている。
目ざめた人として
諸々のことがらを明らかに見とおす
眼をもっている。」

162 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは明知を具えているだろうか?
かれの行いは全く清らかであろうか?
かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか?
かれはもはや再び世に生まれるということが
ないであろうか?」

163 七岳という神霊は答えた
「かれは明知を具えている。
またかれの行いは清らかである。
かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。
かれはもはや再び
世に生まれるということがない。」

163a (雪山に住む者という神霊がいった)
「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。
明知と行いとを完全に具えているかれを
汝が讃嘆するのは、当然である。」

163b 「聖者の心は
行動とことばとをよく具現している。
明知と行いとを完全に具えているかれに
そなたが随喜するのは、当然である。」

164 (七岳という神霊がいった)
「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。
さあ、われらは明知と行いとを
完全に具えているゴータマに見えよう。」

165 (雪山に住む者という神霊がいった)
「かの聖者は羚羊のような脛があり
痩せ細って、聡明であり
小食で、貪ることなく
森の中で静かに瞑想している、
来たれ、われらはゴータマ(ブッダ)に見えよう。

166 諸々の欲望をかえりみることなく
あたかも獅子のように象のように
独り行くかれに近づいて、われらは尋ねよう
──死の縛めから解き放たれる道を。」

167 (その二つの神霊がいった)
「説き示す人、説き明かす人
あらゆることがらの究極をきわめ
怨みと恐れを越えた目ざめた人
ゴータマに、われらは問おう。」

168 雪山に住む者という神霊がいった
「何があるとき世界は生起するのですか?
何に対して親しみ愛するのですか?
世間の人々は何ものに執著しており
世間の人々は何ものに悩まされているのですか?」

169 師は答えた
「雪山に住むものよ。
六つのものがあるとき世界が生起し
六つのものに対して親しみ愛し
世界は六つのものに執著しており
世界は六つのものに悩まされている。」

170 「それによって世間が悩まされる
執著とは何であるか?
お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてください。
どうしたら苦しみから解き放たれるのでしょうか。」

171 「世間には五種の欲望の対象があり
意(の対象)が第六であると説き示されている。
それらに対する貪欲を離れたならば
すなわち苦しみから解き放たれる。

172 世間の出離であるこの道が
汝らに如実に説き示された。
このことを、われは汝らに説き示す
──このようにするならば
苦しみから解き放たれるのである。」

173 「この世において誰が激流を渡るのでしょうか?
この世において誰が大海を渡るのでしょうか?
支えなくよるべのない深い海に入って
誰が沈まないのでしょうか?」

174 「常に戒を身にたもち、智慧あり
よく心を統一し、内省し
よく気をつけている人こそが
渡りがたい激流を渡り得る。

175 愛欲の想いを離れ
一切の結び目(束縛)を越え
歓楽による生存を滅しつくした人
──かれは深海のうちに沈むことがない。」

176 (雪山に住む者という神霊がいった)
「深い智慧があり、微妙な意義を見
何ものをも有せず、欲の生存に執著せず
あらゆることがらについて解脱し
天の路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

177 世に名高く、微妙な意義を見
智慧をさずけ、欲望の起る根源に執著せず
一切を知り、よく聡明であり
気高い路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

178 今日われわれは美しい[太陽]を見
美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった。
激流をのり越え、煩悩の汚れのなくなった<覚った人>に
われらは見えたからである。

179 これらの千の神霊どもは、神通力あり
誉れたかきものどもであるが、かれらはすべてあなたに帰依します。
あなたはわれらの無上の師であります。

180 われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう
──覚った人をも、真理のすぐれた所以をも礼拝しつつ。」

十、アーラブァカという神霊

 わたしか聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)は
ア-ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。
そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
「よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊は言った)、「道の人よ、入れ」と。
「よろしい、友よ」といって、師は入った。

ふたたびアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。
「よろしい、友よ」といって師は出て行った。

(また神霊は言った)、「道の人よ、入れ」と。
「よろしい、友よ」といって師は入った。
三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊は言った)、「道の人よ。入れ」と。
「よろしい、友よ」といって師は入った。

四たびまたアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。

(師は答えた)
「では、わたしはもう出て行きません
汝のなすべきことをなさい」と。

 (神霊が言った)
「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。
もしも汝がわたしに解答できないならば
汝の心を乱し、汝の心臓を裂き
汝の両足をとらえて
ガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」

(師は答えた)
「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において
道の人・バラモン・神々・人間を含む
生けるものどものうちで
わが心を乱し、わが心臓を裂き
わが両足をとらえて
ガンジス河の向こうの岸に
投げつけ得るような人を
実にわたしは見出さない。友よ。

 汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。
そこでアーラヴァカ神霊は
師に次の詩をもって呼びかけた。──

181 「この世で人間の最高の富は何であるか?
いかなる善行が安楽をもたらすのか?
実に味の中での美味は何であるか?
どのように生きるのが
最上の生活であるというのか?」

182 「この世では信仰が人間の最上の富である。
徳行に篤(あつ)いことは安楽をもたらす。
実に真実が味の中で美味である。
智慧によって生きるのが
最高の生活であるという」

183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか?
いかにして海を渡るのであるか?
いかにして苦しみを越えるのであろうか?
いかにして全く清らかとなるのであるか?」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り
精励によって海を渡る。
勤勉によって苦しみを超え
智慧によって全く清らかとなる。」

185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか?
いかにして財を獲るのであるか?
いかにして名声を得るのであるか?
いかにして交友を結ぶのであるか?
どうすれば、この世からかの世に赴いたときに
憂いがないのであろうか?」

186 [師いわく、──]
「諸々の尊敬さるべき人が
安らぎを得る理法を信じ
精励し、聡明であって
教えを聞こうと熱望するならば
ついに智慧を得る。

187 適宜に事をなし
忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得
何ものかを与えて交友を結ぶ。

188 信仰あり在家の生活を営む人に
誠実、真理、堅固、施与という
これら四種の徳があれば
かれは来世に至って憂えることがない。

189 もしもこの世に
誠実、自制、施与、耐え忍びよりも
さらに勝れたものがあるならば
さあ、それら他のものをも広く
<道の人>、バラモンどもに問え。」

190 [神霊いわく、──]
「いまやわたしは、どうして道の人
バラモンどもに広く問う要がありましょうか。
わたしは今日<来世のためになること>を
覚り得たのですから。

191 ああ、目ざめた方がア-ラヴィーに住むためにおいでになったのは
実はわたくしのためをはかってのことだったのです。
わたしは今日、何に施与すれば
大いなる果報が得られるかということを知りました。

192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう
──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」


十一、勝利

シュリ・バガヴァン

目覚めてしまえば
すべきことは何もない。
ただ目覚めているだけである。 

 

目覚めは
目的のための手段ではない。
目覚めは
それ自体が目的である。

 

目覚めた人は
存在し行為をしているという
感覚はない。

 

目覚めた人は、
常に不動のままであり
行動は自動的に発生する。

 

覚醒している人は、
自然に完全な行為が
起きるまでは
不動のまま、とどまる。

 

 

目覚めた人は
何もしない。
しかし
やり残すこともない。

すべてはいつでも
目覚めたものの周りで
目覚めたものを通して
起きているからである。

 

目覚めた人は
心にビジョンまたは
ゴールを抱くことがない。
ただ行為があるだけである。

 

目覚めた人は
選択の余地や
希望がないゆえに
自由を体験する。

 

 

目覚めた人は
意思を持たず
幻想を抱くこともない。
目覚めた人は
ただ現実にとどまっている。

 

目覚めた人は
何も達成することもない。
達成することは
何もないからである。

 

目覚めた人は
何も知ることもない。
知ることは
何もないからである。

 

 

目覚めた人は
物事について知らず
あるいは理解していないが
見ている。

 

目覚めた人は
物事をあるがままに見
それらをコントロールしたり
型にはめようとはしない。

 

目覚めた人は
多数のものを
ひとつとして見る。

 

目覚めた人は
あらゆる見解や概念に
とらわれることがなく
あるがままのものと
ひとつになっている。

 

 

目覚めた人は
学ぶべきものは何もない
ということを知っている。
必要なことは、
ただ学んだものを
捨てるだけである。

 

目覚めた人は
絶えず学んだことを捨てている。
それゆえいつも
重荷から解放されていて
自由の中に生きている。

 

目覚めた人は
自分を知っている。
ゆえに賢明である。

 

目覚めた人は
自分とのあいだに
葛藤がないので
真の力を備えている。

 

 

目覚めた人は
あらゆるものに対して
心を開き
あらゆるものが
適所に置かれている。

 

目覚めた人は
他人を
説得しようとはしない。

 

目覚めた人は
謙虚であり
あえて謙虚であろうと
努力することはない。

 

目覚めた人は
空っぽであり
ゆえに有能である。

 

目覚めた人は
しようとする必要もなく
自然に生きとし生けるものを
支えている。

 

 

目覚めた人は
世界が虚空から
現れるのを見る。
それゆえ世界を
あるがままに
受け入れる。

 

目覚めた人は
自分を受け入れており
世界も目覚めた人を
受け入れている。

 

目覚めた人は
世界をあるがままに
受け入れるので
本来の自己に
確立されている。

 

目覚めた人にとって
世界とは自分自身である。
したがって、世界を
自分自身のように愛し
いたわる。

 

 

目覚めた人にとって
すべてはそのままで
完璧である。

 

目覚めた人は
世界を変えようとはしない。
目覚めた人にとって
世界は完全であり
神聖なものである。

 

目覚めた人は
不完全であること自体を
完全であると見
それゆえに、
あるがままの中に喜びを感じる。

 

 

目覚めた人の喜びには
理由がない。
よって、いかなるものも
その喜びに
影響を及ぼすことはない。

 

目覚めた人は
起こるべきことは起き
そうでないことは起きず
宇宙とは永遠に
コントロールできないもの
であることを知っている。

 

目覚めた人は
人生という神秘を生きる。
目覚めた人には
確たる計画もなければ
目標もない。

 

 

目覚めた人は
何事にも執着しないが
ゆえにすべてと一つである。

 

目覚めた人は
宇宙誕生以前から
そこにあったものと
一つになっている。

 

それは永遠に存在し
生まれることも
死ぬこともなく
始まりも終わりもなく
決して変わらず
孤高、空、無限
至福に満ちた
永遠の「私」である。

 

 

目覚めた人は
ありのままでいる。
目覚めた人は
常に体験している。

 

目覚めた人の体験には
意識以外に何もない。
すべては
意識だからである。

 

 

目覚めた人は
恐れがないことを知っている。
目覚めた人は
死ぬ覚悟ができている。

 

目覚めた人は
死を受け入れている。
目覚めた人には
死が存在しないからである。

般若心経

観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空
度一切苦厄

観自在菩薩が
智慧の完成と言われる行をして
心身の全てを空と観想して
一切の苦厄を脱した。

舎利子
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
受想行識

舎利子よ
 肉体は空と異ならず
空は肉体と異ならない。
肉体は即ち空であり
空は即ち肉体である。
 感覚も空であり
空は感覚と異ならない。
感覚は即ち空であり
空は即ち感覚である。
 想いも空であり
空は想いと異ならない。
想いは即ち空であり
空は即ち想う事である。
 分別も空であり
空は分別と異ならない。
分別は即ち空であり
空は即ち分別する事である。
 認識も空であり
空は認識と異ならない。
認識は即ち空であり
空は即ち認識する事である。

亦復如是
舎利子
是諸法空相
不生不滅
不垢不浄
不増不減

また同じように
舎利子よ
 全ての事物を空と観想して
生まれる事は無く
滅する事は無く
汚れる事は無く
清くなる事は無く
増える事は無く
減る事も無いと見よ。

是故空中
無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界乃至無意識界

 空と観れば
肉体は無であり
感覚も無であり
想いも無であり
分別も無であり
認識も無である。
 眼も耳も鼻も舌も
身体も意識も無であり
 色も声も香りも味も
触覚も意識の対象も無であり
 眼によって成される界域から
意識によって成される界域も
無である。

無無明亦
無無明尽
乃至
無老死亦
無老死尽
無苦集滅道
無智亦
無得

 修行のための法である無明や
無明が尽きるという事も無く
 老と死も無く
老と死が尽きる事も無い。
 四諦の苦集滅道も無く
智慧も無く
何かの境地を得る事も無い。

以無所得故
菩提薩埵
般若波羅蜜
故心無罣礙
無罣礙故
無有恐怖
遠離一切
顛倒夢想

 得るという事も
無いのであるから
菩薩達は
智慧の完成によって
心の妨げを無として
恐怖も無とする事が出来る。
 全ての顛倒や幻想を
厭離する事が出来て

究竟涅槃
三世諸仏
般若波羅蜜
故得阿耨多羅三藐三菩提

涅槃を極めるのである。
 過去現在未来の諸仏は
智慧の完成によって
無上にして正しい悟りを得るのである。

故知般若波羅蜜
是大神呪
是大明呪
是無上呪
是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪

 故に智慧の完成が一切の苦を除き
真実にして虚しくない事と知りなさい。
 故に智慧の完成の呪文も記すのである。

即説呪曰
羯諦羯諦
波羅羯諦
波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
般若心経

即ち
彼岸へ彼岸へ
彼岸へ到達した
完全に彼岸へ到達した
菩提は幸いである。


自己を観察するための
心身の各要素を
無であり空であると
みなす事によって執着を消し
自分という観念をも
滅する事ができる。

知る事が無く
認識する事も無い
分別の停止した状態を
頭の中に実現し
それを心身の各要素に
当てはめるのが
智慧の完成と呼ばれる法の
正しい使い方。

何度も何度も繰り返し唱えたり
観想したりすることで
空の法は効果を表す。
心身の認識が無くなり
自然に無我に入る。

 

バーヒヤ経

バーヒヤ経

自我のある人間は
なにものかを認識する時、
自分との関連によって認識する。
知覚したものごとに
自分との関連による
意味を与えている。

例えば何かを見れば
自分のものであるとか、
自分のものではないとか、
自分の好きなものとか、
自分の嫌いなものとか
認識している。
 
修行によって自我が薄れてくれば、
自分との関連も薄くなり、
すべてを意味の無いものと
見られる。

昔、バーヒヤという
外道の行者がいた。
修行に行き詰ったのか
お釈迦様に教えを請いに行くと、
お釈迦様は教えた。
バーヒヤさん、このように
あなたは学ぶべきです。

「見られたものにおいては、
見られたもののみがあります。」
「聞かれたものにおいては、
聞かれたもののみがあります。」
「思われたものにおいては、
思われたもののみがあります。」
「識られたものにおいては、
識られたもののみがあります。」

「バーヒヤさん、それですから
あなたは、それとともにいないのです。
「それとともにいないことから、
あなたは、そこにいないのです。」
「そこにいないことから、
あなたは、まさしく
この世になく、あの世になく
両者の中間において
存在しないのです。」
「これこそは、
苦しみのおわりです。」

この教えによって
バーヒヤは即座に悟りを得た。
バーヒヤも外道ではあるが、
それなりに集中の修行をしていたのだろう。
見たものに意味が投射されない
境地であった故に、
自我もそこに無いことに気付けた。
 
自我が無い時には
何を見ても聞いても
そこに意味は投射されない。
見たものは見ただけのものとなり、
聞いたものはきいただけのものとなる。
あらゆる意味と
好悪と是非が消えうせた、
知覚されたままの姿に認識される。

その時
過去の経験の蓄積がある自分
現在知覚している自分
これからも将来のある自分
という観念は存在しない。
それがこの世にも
あの世にも中間にも
自分というものが無いということ。

この言葉によって
バーヒヤも
自分が無いことに気付けた。
何も無いところに
観念による自分を
作り上げていたと知れた。
それが観照
そして厭離が出来た。

見たものが見ただけのものとして知覚されたり

聞いたものが聞いただけのものと知覚される

ということは経験が無い者には

理解しがたい事かもしれない。

それでも真摯に修行していれば

いずれは経験することもあるだろう。

その時は自我を厭離する

よい機会であると知って観察すると善い。

どこにも自分というものが無いことが

明らかに観察される。

そして観照も起こる。