◯
目覚めてしまえば
すべきことは何もない。
ただ目覚めているだけである。
目覚めは
目的のための手段ではない。
目覚めは
それ自体が目的である。
目覚めた人は
存在し行為をしているという
感覚はない。
目覚めた人は、
常に不動のままであり
行動は自動的に発生する。
覚醒している人は、
自然に完全な行為が
起きるまでは
不動のまま、とどまる。
◯
目覚めた人は
何もしない。
しかし
やり残すこともない。
すべてはいつでも
目覚めたものの周りで
目覚めたものを通して
起きているからである。
目覚めた人は
心にビジョンまたは
ゴールを抱くことがない。
ただ行為があるだけである。
目覚めた人は
選択の余地や
希望がないゆえに
自由を体験する。
◯
目覚めた人は
意思を持たず
幻想を抱くこともない。
目覚めた人は
ただ現実にとどまっている。
目覚めた人は
何も達成することもない。
達成することは
何もないからである。
目覚めた人は
何も知ることもない。
知ることは
何もないからである。
◯
目覚めた人は
物事について知らず
あるいは理解していないが
見ている。
目覚めた人は
物事をあるがままに見
それらをコントロールしたり
型にはめようとはしない。
目覚めた人は
多数のものを
ひとつとして見る。
目覚めた人は
あらゆる見解や概念に
とらわれることがなく
あるがままのものと
ひとつになっている。
◯
目覚めた人は
学ぶべきものは何もない
ということを知っている。
必要なことは、
ただ学んだものを
捨てるだけである。
目覚めた人は
絶えず学んだことを捨てている。
それゆえいつも
重荷から解放されていて
自由の中に生きている。
目覚めた人は
自分を知っている。
ゆえに賢明である。
目覚めた人は
自分とのあいだに
葛藤がないので
真の力を備えている。
◯
目覚めた人は
あらゆるものに対して
心を開き
あらゆるものが
適所に置かれている。
目覚めた人は
他人を
説得しようとはしない。
目覚めた人は
謙虚であり
あえて謙虚であろうと
努力することはない。
目覚めた人は
空っぽであり
ゆえに有能である。
目覚めた人は
しようとする必要もなく
自然に生きとし生けるものを
支えている。
◯
目覚めた人は
世界が虚空から
現れるのを見る。
それゆえ世界を
あるがままに
受け入れる。
目覚めた人は
自分を受け入れており
世界も目覚めた人を
受け入れている。
目覚めた人は
世界をあるがままに
受け入れるので
本来の自己に
確立されている。
目覚めた人にとって
世界とは自分自身である。
したがって、世界を
自分自身のように愛し
いたわる。
◯
目覚めた人にとって
すべてはそのままで
完璧である。
目覚めた人は
世界を変えようとはしない。
目覚めた人にとって
世界は完全であり
神聖なものである。
目覚めた人は
不完全であること自体を
完全であると見
それゆえに、
あるがままの中に喜びを感じる。
◯
目覚めた人の喜びには
理由がない。
よって、いかなるものも
その喜びに
影響を及ぼすことはない。
目覚めた人は
起こるべきことは起き
そうでないことは起きず
宇宙とは永遠に
コントロールできないもの
であることを知っている。
目覚めた人は
人生という神秘を生きる。
目覚めた人には
確たる計画もなければ
目標もない。
◯
目覚めた人は
何事にも執着しないが
ゆえにすべてと一つである。
目覚めた人は
宇宙誕生以前から
そこにあったものと
一つになっている。
それは永遠に存在し
生まれることも
死ぬこともなく
始まりも終わりもなく
決して変わらず
孤高、空、無限
至福に満ちた
永遠の「私」である。
◯
目覚めた人は
ありのままでいる。
目覚めた人は
常に体験している。
目覚めた人の体験には
意識以外に何もない。
すべては
意識だからである。
◯
目覚めた人は
恐れがないことを知っている。
目覚めた人は
死ぬ覚悟ができている。
目覚めた人は
死を受け入れている。
目覚めた人には
死が存在しないからである。