スッタニパータ1

第一 蛇の章    
  
一、蛇     
二、ダニヤ      
三、犀の角     
四、田を耕すバーラドヴァージャ  
五、チュンダ      
六、破滅      
七、賤しい人      
八、慈しみ      
九、雪山に住む者      
一〇、アーラヴァカという神霊

一、蛇

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)
ひろがるのを薬で制するように
怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

2 池に生える蓮華を
水にもぐって折り取るように
すっかり愛欲を断ってしまった修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
 ──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して
余すことのない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように
すっかり驕慢を減し尽くした修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

5 無花果の樹の林の中に
花を探し求めて得られないように
諸々の生存状態のうちに
堅固なものを見いださない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

6 内に怒ることなく
世の栄枯盛衰を超越した修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
 ──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

7 想念を焼き尽くして余すことなく
心の内がよく整えられた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

8 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
すべてこの妄想をのり越えた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

9 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「世間における一切のものは虚妄である」と
知っている修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

10 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
貪りを離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

11 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
愛欲を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

12 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
憎悪を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

13 走っても疾過ぎることなく
また遅れることもなく
「一切のものは虚妄である」と知って
迷妄を離れた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

14 悪い習性がいささかも存することなく
悪の根を抜き取った修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

15 この世に還り来る縁となる
<煩悩から生ずるもの>を
いささかももたない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

16 ひとを生存に縛りつける原因となる
<妄執から生ずるもの>を
いささかももたない修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

17 五つの蓋いを捨て
悩みなく、疑惑を越え
苦悩の矢を抜き去られた修行者は
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

二、ダニヤ

18 牛飼いダニヤがいった
「わたしはもう飯を炊き
乳を搾ってしまった。
マヒー河の岸のほとりに
わたしは(妻子と)ともに住んでいます。
わが小舎の屋根は葺かれ
火は点されている。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

19 師は答えた
「わたしは怒ることなく
心の頑迷さを離れている。
マヒー河の岸のほとりに
一夜の宿りをなす。
わが小舎(すなわち自身)はあばかれ
(欲情の)火は消えた。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、
雨を降らせよ。」

20 牛飼いダニヤがいった
「蚊も虻もいないし
牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み
雨が降ってきても
かれらは堪え忍ぶであろう。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

21 師は答えた
「わが筏はすでに組まれて
よくつくられていたが
激流を克服して
すでに渡りおわり
彼岸に到着している。
もはや筏の必要はない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

22 牛飼いダニヤがいった
「わが牧婦(=妻)は従順であり
貪ることがない。
久しくともに住んできたが
わが意に適っている。
かの女にいかなる悪のあるのをも
聞いたことがない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

23 師は答えた
「わが心は従順であり
解脱している。
永いあいだ修養したので
よくととのえられている。
わたしにはいかなる悪も存在しない。
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

24 牛飼いダニヤがいった
「私は自活しみずから養うものである。
わが子らはみなともに住んで健やかである。
かれらにいかなる悪のあるのをも
聞いたことがない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

25 師は答えた
「わたしは何人の傭い人でもない。
みずから得たものによって全世界を歩む。
他人に傭われる必要はない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

26 牛飼いダニヤがいった
「未だ馴らされていない牛もいるし
乳を飲む仔牛もいる。
孕んだ牝牛もいるし
交尾を欲する牝牛もいる。
牝牛どもの主である牡牛もいる。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

27 師は答えた
「未だ馴らされていない牛もいないし
乳を飲む仔牛もいない。
孕んだ牝牛もいないし
交尾を欲する牝牛もいない。
牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

28 牛飼いダニヤがいった
「牛を繋ぐ杭は
しっかり打ち込まれていて揺るがない。
ムンジャ草でつくった新しい縄は
よく編まれている。
仔牛もこれを断つことができないであろう。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

29 師は答えた
「牡牛のように結縛を断ち
くさい臭いのする蔓草を
象のように踏みにじり
私はもはや母胎に入ることはないであろう。
神よ、もし雨を降らそうと望むなら
雨を降らせよ。」

30 忽ちに大雲が現われて
雨を降らし
低地と丘とをみたした。
神が雨を降らすのを聞いて
ダニヤは次のことを語った。

31 「われらは尊き師にお目にかかりました
われらの得たところは実に大きいのです。
眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。
あなたはわれわれの師となってください。
大いなる聖者よ。」

32 「妻も私もともに従順であります。
幸せな人(ブッタ)のもとで
清らかな修行を行いましょう。
生死の彼岸に達して
苦しみを滅しましょう。」

33 悪魔パービマンがいった
「子のある者は子について憂い
また牛ある者は牛について喜ぶ。
人間の執著する元のものは喜びである。
執著する元のない人は
実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた
「子のある者は子について憂い
また牛ある者は牛について憂う。
実に人間の憂いは
執著する元のものである。
執着する元のもののない人は
憂うることがない。」

三、犀(さい)の角

35 あらゆる生きものに対して
暴力を加えることなく
あらゆる生きもののいずれをも
悩ますことなく
また子を欲するなかれ。
況や朋友をや。
犀の角のようにただ独り歩め。

36 交わりをしたならば愛情が生じる。
愛情にしたがって
この苦しみが起こる。
愛情から
禍いの生じることを観察して
犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ
心がほだされると
おのが利を失う。
親しみには
この恐れのあることを観察して
犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は
たしかに枝の広く茂った竹が
互いに相絡むようなものである。
筍が他のものに
まとわりつくことのないように
犀の角のようにただ独り歩め。

39 林の中で縛られていない鹿が
食物を求めて欲するところに赴くように
聡明な人は独立自由をめざして
犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば
休むにも立つにも
行くにも旅するにも
常に人に呼びかけられる。
他人に従属しない独立自由をめざして
犀の角のようにただ独り歩め。

41 仲間の中におれば
遊戯と歓楽とがある。
また子らに対する情愛は甚だ大である。
愛しき者と別れることを厭いながらも
犀の角のようにただ独り歩め。

42 四方のどこでも赴き
害心あることなく
何でも得たもので満足し
諸々の苦痛に堪えて
恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。

43 出家者でありながらなお
不満の念をいだいている人々がいる。
また家に住まう在家者でも同様である。
だから他人の子女にかかわること少し
犀の角のようにただ独り歩め。

44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように
在家者のしるしを捨て去って
在家の束縛を断ち切って
健き人はただ独り歩め。

45 もしも汝が
<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を
得たならば
あらゆる危難にうち勝ち
こころ喜び
気をおちつかせて
かれとともに歩め。

46 しかしもし汝が
<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を
得ないならば
譬えば王が征服した国を
捨て去るようにして
犀の角のようにただ独り歩め。

47 われわれは実に
朋友を得る幸を讃め称える。
自分より勝れあるいは
等しい朋友には
親しみ近づくべきである。
このような朋友を
得ることができなければ
罪過のない生活を楽しんで
犀の角のようにただ独り歩め。

48 金の細工人がみごとに仕上げた
二つの輝く黄金の腕輪を
一つの腕にはめれば
ぶつかり合う。
それを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

49 このように二人でいるならば
われに饒舌といさかいとが起るであろう。
未来にこの恐れのあることを察して
犀の角のようにただ独り歩め。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり
心に楽しく種々のかたちで
心を攪乱する。
欲望の対象にはこの患いのあることを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり
腫物であり、禍であり、病であり
矢であり、恐怖である。
諸々の欲望の対象には
この恐ろしさのあることを見て
犀の角のようにただ独り歩め。

52 寒さと暑さと、飢えと渇きと
風と太陽の熱と、虻と蛇と
──これらすべてのものにうち勝って
犀の角のようにただ独り歩め。

53 肩がしっかりと発育し
蓮華のようにみごとな巨大な象は
その群を離れて
欲するがままに森の中を遊歩する。
そのように
犀の角のようにただ独り歩め。

54 集会を楽しむ人には
暫時の解脱に至るべきことわりもない。
太陽の末裔<ブッダ>の言葉を心がけて
犀の角のようにただ独り歩め。

55 相争う哲学的見解を越え
(さとりに至る)決定に達し
道を得ている人は
「われは智慧が生じた。
もはや他の人に指導される要がない」と知って
犀の角のようにただ独り歩め。

56 貪ることなく
詐(いつわ)ることなく
渇望することなく
(見せかけで)覆うことなく
濁りと迷妄とを除き去り
全世界において
妄執のないものとなって
犀の角のようにただ独り歩め。

57 義ならざるものを見て
邪曲にとらわれている
悪い朋友を避けよ。
貪りに耽って怠っている人に
みずから親しむな。
犀の角のようにただ独り歩め。

58 学識ゆたかで真理をわきまえ
高邁、明敏な友と交われ。
いろいろと為になることがらを知り
疑惑を去って
犀の角のようにただ独り歩め。

59 世の中の遊戯や娯楽に
満足を感ずることなく
心ひかれることなく
身の装飾を離れて
真実を語り
犀の角のようにただ独り歩め。

60 妻子も、父母も、財産も穀物
親類やそのほかあらゆる欲望までも
すべて捨てて
犀の角のようにただ独り歩め。

61 「これは執著である。
ここは楽しみは少なし
快い味わいも少くて
苦しみが多い。
これは魚を釣る釣り針である」と知って
賢者は
犀の角のようにただ独り歩め。

62 水の中の魚が網を破るように
また火がすでに焼いたところに
戻ってこないように
諸々の(煩悩の)結び目を破り去って
犀の角のようにただ独り歩め。

63 俯して視
とめどなくうつろうことなく
諸々の感官を防いで守り
こころを護り(慎しみ)
(煩悩の)流れ出ることなく
(煩悩の火に)焼かれることもなく
犀の角のようにただ独り歩め。

64 葉の落ちた
パーリチャッタ樹のように
在家者の諸々のしるしを除き去って
出家して袈裟の衣をまとい
犀の角のようにただ独り歩め。

65 諸々の味を貪ることなく
えり好みすることなく
他人を養うことなく
戸ごとに食を乞い
家々に心をつなぐことなく
犀の角のようにただ独り歩め。

66 こころの五つの覆いを断ち切って
すべてに付随して起こる
悪しき悩み(随煩悩)を除き去り
なにものかにかたよることなく
愛念の過ちを断ち切って
犀の角のようにただ独り歩め。

67 以前に経験した
楽しみと苦しみを擲(なげう)ち
また快さと憂いとを擲って
清らかな平静と安らいとを得て
犀の角のようにただ独り歩め。

68 最高の目的を
達成するために努力策励し
こころが怯むことなく
行いに怠ることなく
堅固な活動をなし
体力と智力とを具え
犀の角のようにただ独り歩め。

69 独座と禅定を捨てることなく
諸々のことがらについて
常に理法に従って行い
諸々の生存には
患いのあることを確かに知って
犀の角のようにただ独り歩め。

70 妄執の消滅を求めて
怠らず、明敏であって
学ぶこと深く、こころをとどめ
理法を明らかに知り
自制し、努力して
犀の角のようにただ独り歩め。

71 音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め。

72 歯牙強く獣どもの王である獅子が
他の獣にうち勝ち
制圧してふるまうように
辺地の坐臥に親しめ。
犀の角のようにただ独り歩め。

73 慈しみと平静と
あわれみと解脱と喜びとを
時に応じて修め
世間すべてに背くことなく
犀の角のようにただ独り歩め。

74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て
結び目を破り
命の失うのを恐れることなく
犀の角のようにただ独り歩め。

75 今の人々は自分の利益のために
交わりを結び、また他人に奉仕する。
今日、利益をめざさない友は
得がたい。
自分の利益のみを知る人間は
きたならしい。
犀の角のようにただ独り歩め。

四、田を耕すバーラドブァージャ

 わたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)は
マガダ国の南山にある
「一つの茅」というバラモン村におられた。
そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。

 そのとき師(ブッダ)は
朝早く内衣を着け
鉢と上衣とをたずさえて
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが
仕事をしているところへ赴かれた。
ところでそのとき
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
食物を配給していた。

 そこで師は食物を配給しているところに近づいて
傍らに立たれた。
田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
師が食を受けるために立っているのを見た。
そこで師に告げていった、

「道の人よ。わたしは耕して種を播く。
耕して種を播いたあとで食う。
あなたもまた耕せ、また種を播け。
耕して種を播いたあとで食え。」と

(師は答えた)、「バラモンよ。
わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う」と。

 (バラモンがいった)
「しかしわれらはゴータマさん(ブッダ)の
軛(くびき)も鋤(すき)も
鋤先(すきさき)も突棒(つくぼう)も牛も見ない。
それなのにゴータマさんは
バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。
耕して種を播いてから食う。』という」と。

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
詩を以て師に呼びかけた。

76 「あなたは農夫であると
みずから称しておられますが
われらはあなたが耕作するのを
見たことがない。おたずねします。
──あなたが耕作するということを
われわれが了解し得るように
話してください。」

77 (師は答えた)
「わたしにとっては
信仰が種である。
苦行が雨である。
智慧がわが
軛(くびき)と鋤(すき)である。
慚(はじること)が
鋤棒(すきぼう)である。
心が縛る縄である。
気を落ちつけることが
鋤先と突棒とである。

78 身をつつしみ
ことばをつつしみ
食物を節して過食しない。
わたしは真実をまもることを
草刈りとしている。
緩慢が私にとって
(牛の)軛を離すことである。

79 努力がわが(軛をかけた牛)であり
安穏の境地に運んでくれる。
退くことなく進み
そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ
甘露の果実もたらす。
この耕作を行ったならば
あらゆる苦悩から解き放たれる。」

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
大きな青銅の鉢に乳粥を盛って師(ブッダ)にささげた。
──「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。
ゴータマさまは甘露の果実をもたらす
耕作をなさるのですから。」

81 詩を唱えて[報酬として]得たものを
わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、このことは
正しく見る人々(目ざめた人々)の
ならわしではない。
詩を唱えて得たものを
目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから
これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

82 全き人である大仙人
煩悩の汚れをほろぼし尽し
悪い行いを消滅した人に対しては
他の飲食をささげよ。
けだしそれは
功徳を積もうと望む者のための
(福)田であるからである。

「では、ゴータマ(ブッダ)さま
この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」

バラモンよ。実に
神々・悪魔・梵天とともなる世界において
神々・人間・道の人・バラモンを含む
生きものの中で
全き人(如来)とかれの弟子とを除いては
この乳粥を食べて
すっかり消化し得る人を見ない。
だから、バラモン
その乳粥を青草の少ないところに棄てよ
或いは生物のいない水の中に沈めよ。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
その乳粥を生物のいない水の中にうずめた。

さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると
チッチタ、チッチタと音を立てて大いに湯煙りを立てた。
譬えば終日、日に曝されて熱せられた鋤先を
水の中に入れると、チッチタ、チッチタと音を立て
大いに湯煙りを出すように
その乳粥は水の中に投げ棄てられると
チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出した。

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
恐れおののいて、身の毛がよだち師(ブッダ)のもとに近づいた。
そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、

──「すばらしいことです、ゴータマさま。
すばらしいことです、ゴータマさま。
譬えば倒れた者を起こすように、覆われたものを聞くように
方向に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように
ゴータマさまは種々のしかたで真理を明らかにされました。
故にわたくしはここにゴータマさまに帰依します。
また真理と修行僧のつどいに帰依します。
わたしはゴータマさまのもとで出家し
完全な戒律(具足戒)をうけましょう。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは
師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャさんは
独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが
まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために
正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが
──を現世においてみずからさとり、証、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない。」とさとった。
そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

五、チュンダ

83 鍛冶工のチュンダがいった
「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主
妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に
わたしはおたずねします。
──世間にはどれだけの修行者がいますか?
どうぞお説きください。」

84 師(ブッダ)は答えた
「チュンダよ。四種の修行者があり
第五の者はありません。
面と向かって問われたのだから
それらをあなたに明かしましょう。
──<道による勝者>と<道を説く者>と
<道において生活する者>と及び
<道を汚す者>とです。」

85 鍛冶工チュンダはいった
「目ざめた人々は誰を
<道による勝者>と呼ばれるのですか?
また<道を習い覚える人>は
どうして無比なのですか?
またおたずねしますが
<道によって生きる>ということを
説いてください。
また<道を汚す者>を
わたくしに説き明かしてください。」

86 「疑いを越え、苦悩を離れ
安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ
貪る執念をもたず
神々と世間とを導く人
──そのような人を
<道による勝者>であると
目ざめた人々は説く。

87 この世で最高のものを
最高のものであると知り
ここで法を説き判別する人
疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を
修行者たちのうちで第二の
<道を説く者>と呼ぶ

88 みごとに説かれた
<理法にかなったことば>である<道>に生き
みずから制し、落ち着いて気をつけていて
とがのないことばを奉じている人を
修行者たちのうちで第三の
<道によって生きる者>と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして
ずうずうしくて、家門を汚し
傲慢で、いつわりをたくらみ
自制心なく、おしゃべりで
しかも、まじめそうにふるまう者
──かれは<道を汚す者>である。

90 (彼らの特長を)聞いて
明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は
『かれら(四種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って
かれらを洞察し、このように見ても
その信徒の信仰はなくならない。
かれはどうして
汚れた者と汚れていない者と
清らかな者と清らかでない者とを
同一視してよいであろうか。」

六、破滅

 わたしが聞いたところによると
──あるとき師(ブッダ)は
サーヴァッティーのジェータ林
<孤独なる人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ
ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。
近づいてから師に敬礼して傍らに立った。
そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

91 「われらは、<破滅する人>のことを
ゴータマ(ブッダ)におたずねします。
破滅への門は何ですか?
師にそれを聞こうとして
われわれはここに来たのですが、──。」

92 (師は答えた)
「栄える人を識別することは易く
破滅を識別することも易い。
理法を愛する人は栄え
理法を嫌う人は敗れる。」

93 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第一の破滅です。先生
第二のものを説いてください。
破滅への門はなんですか?」

94 「悪い人々を愛し
善き人々を愛することなく
悪人のならいを楽しむ。
これは破壊への門である。」

95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第二の破滅です。先生
第三のものを説いてください。
破滅への門は何ですか?」

96 「 睡眠の癖あり、集会の癖あり
奮励することなく、怠りなまけ
怒りっぽいので名だたる人がいる
──これは破滅への門である。」

97 「よく分かりました。おっしゃるとおりです。
これが第三の破滅です。先生
第四のものを説いてください。
破滅への門は何ですか?」

98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに
年老いて衰えた母や父を養わない人がいる
──これは破滅への門である。」

99 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第四の破滅です。先生
第五のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

100 「バラモンまたは<道の人>または
他の<もの乞う人>を
嘘をついてだますならば
これは破滅の門である。」

101 「よくわかりました。おっしゃるとうりです。
これが第五の破滅です。先生
第六のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

102 「おびただしい富あり、黄金あり
食物ある人が
ひとりおいしい物を食べるならば
これは破滅への門である。」

103 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第六の破滅です。先生
第七のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

104 「血統を誇り、財産を誇り
また氏姓を誇っていて、しかも
已が親戚を軽蔑する人がいる
──これは破滅への門である。」

105 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第七の破滅です。先生
第八のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り
得るにしたがって得たものを
その度ごとに失う人がいる
──これは破滅への門である。」

107 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第八の破滅です。先生
第九のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

108 「おのが妻に満足せず
遊女に交わり、他人の妻に交わる
──これは破滅への門である。」

109 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第九の破滅です。先生
第十のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

110 「青春を過ぎた男が
ティンバル果のように盛り上がった
乳房のある若い女を誘き入れて
かの女について嫉妬から夜も眠れない
──これは破滅への門である。」

111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第十の破滅です。先生
第十一のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

112 「酒肉に荒み、財を浪費する女
またはこのような男に
実権を託すならば
これは破滅への門である。」

113 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。
これが第十一の破滅です。先生
第十二のものを説いてください。
破滅の門は何ですか?」

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が
財力が少ないのに欲望が大きくて
この世で王位を獲ようと欲するならば
これは破滅への門である。

115 世の中にはこのような
破滅のあることを考察して
賢者・すぐれた人は真理を見て
幸せな世界を体験する。」

七、賤しい人

 わたしが聞いたところによると
──あるとき師(ブッダ)は
サーヴァッティーのジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて
托鉢のためにサーヴァッティーに入った。

 そのとき火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャの住居には
聖火がともされ、供物がそなえられていた。
さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、かれの住居に近づいた。
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師が遠くから来るのを見た。

 そこで、師にいった
「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの<道の人>よ、そこにおれ。
賤しい奴よ、そこにおれ」と。

 そう言われたので、師は
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャに言った
バラモンよ。あなたはいったい
賤しい人はなにかを知っているのですか?
また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」

 「ゴータマさん(ブッタ)。
わたしは人を賤しい人とする条件をも
知っていないのです。
どうか、わたしが賤しい人を
賤しい人とさせる条件を知り得るように
ゴータマさんはわたくしに
その定めを説いてください。」

バラモンよ、ではお聞きなさい。
よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」

 「どうぞ、お説きください」、と火に事える
バラモン・バーラドヴァーシャは師に答えた。

師は説いていった
116 「怒りやすく恨みをいだき
邪悪にして、見せかけであざむき
誤った見解を奉じ、たくらみのある人
──かれを賤しい人であると知れ。

117 一度生まれたもの(胎生)でも
二度生まれるもの(卵生)でも
この世で生きものを害し
生きものに対するあわれみのない人
──かれを賤しい人であると知れ。

118 村や町を破壊し、包囲し
圧制者として一般に知られる人
──かれを賤しい人であると知れ。

119 村にあっても、林にあっても
他人の所有物をば
与えられないのに盗み心をもって取る人
──かれを賤しい人であると知れ。

120 実際に負債があるのに
返済するように督促されると
『あなたからの負債はない』といって
言い逃れる人
──かれを賤しい人であると知れ。

121 実に僅かの物を欲しくて
路行く人を殺害して
僅かの物を奪い取る人
──かれを賤しい人であると知れ。

122 証人として尋ねられたとき
自分のために、他人のため
また財のために、偽りを語る人
──かれを賤しい人であると知れ。

123 或いは暴力を用い
或いは相愛して
親族または友人の妻と交わる人
──かれを賤しい人であると知れ。

124 己は財豊かであるのに
年老いて衰えた母や父を養わない人
──かれを賤しい人であると知れ。

125 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち
またはことばで罵る人
──かれを賤しい人であると知れ。

126 相手の利益となることを
問われたのに不利益を教え
隠し事をして語る人
──かれを賤しい人であると知れ。

127 悪事を行なっておきながら
『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み
隠し事をする人
──かれを賤しい人であると知れ。

128 他人の家に行っては
美食をもてなされながら
客として来た時には
返礼としてもてなさない人
──かれを賤しい人であると知れ。

129 バラモンまたは<道の人>
または他の<もの乞う人>を
嘘をついてだます人
──かれを賤しい人であると知れ。

130 食事のときが来たのに
バラモンまたは<道の人>を
ことばで罵り食を与えない人
──かれを賤しい人であると知れ。

131 この世に迷妄に覆われ
わずかの物が欲しくて
事実でないことを語る人
──かれを賤しい人と知れ。

132 自分をほめたたえ
他人を軽蔑し
みずからの慢心のために
卑しくなった人
──かれを賤しい人であると知れ。

133 人を悩まし、欲深く
悪いことを欲し、ものおしみをし
あざむいて
(徳がないのに敬われようと欲し)
恥じ入る心のない人
──かれを賤しい人であると知れ。

134 目ざめた人(ブッダ)をそしり
或いは出家・在家の
その弟子(仏弟子)をそしる人
──かれを賤しい人であると知れ。

135 実際は尊敬さるべき人ではないのに
尊敬さるべき人(聖者)であると自称し
梵天を含む世界の盗賊である人
──かれこそ実に最下の賤しい人である。

わたしがそなたたちに説き示したこれらの人々は
実に<賤しい人>と呼ばれる。

136 生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり
行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが
これによってわが説示を知れ。
チャンダーラ族の子で
犬殺しのマータンガという人は
世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。
多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って
情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ
ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも
しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ
来世においては悪いところに生まれる。
(身分の高い)生まれも、かれらが悪いところに生まれ
また非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人となり
行為によってバラモンともなる。

このように説かれたときに
火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは、師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです、ゴータマさま。
あたかも倒れた者をおこすように、覆われたものを開くように
方角に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色を見るであろう』といって暗夜に灯火をかかげるように
ゴータマさまは種々のしかたで法を明らかにされました。
ですから、わたしは、ゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。
ゴータマさまは、わたくしを在俗信者として受けいれてください。
今日以降命の続く限り帰依します。」

八、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が
この平安の境地に達してなすべきことは
次のとおりである。
能力あり、直く、正しく
ことばやさしく、柔和で
思い上がることのない者であらねばならぬ。

144 足ることを知り、わずかの食物で暮し
雑務少く、生活もまた簡素であり
諸々の感官が静まり、聡明で
高ぶることなく
諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

145 他の識者の非難を受けるような
下劣な行いを決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

146 いかなる生物生類であっても
怯えているものでも強剛なものでも
悉く、長いものでも、大きいものでも
中ぐらいのものでも、短いものでも
微細なものでも、粗大なものでも、

147 目に見えるものでも、見えないものでも
遠くに住むものでも、近くに住むものでも
すでに生まれたものでも
これから生まれようと欲するものでも
一切の生きとし生けるものは
幸せであれ。

148 何びとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても
他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて
互いに他人に苦痛を与えることを
望んではならない。

149 あたかも、母が已が独り子を
命を賭けて護るように、そのように
一切の生きとし生れるものどもに対しても
無量の(慈しみの)意を起すべし。

150 また全世界に対して
無量の慈しみの意を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく
敵意なき(慈しみを行うべし)。

151 立ちつつも、歩みつつも
坐しつつも、臥つつも
眠らないでいる限りは
この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

152 諸々の邪まな見解にとらわれず
戒を保ち、見るはたらきを具えて
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は
決して再び母胎に宿ることがないであろう。

九、雪山に住む者

153 七岳という神霊(夜叉)がいった
「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ
われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」

154 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった
「このように立派な人のこころは
一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。
望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても
かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

155 七岳という神霊は答えた
「このように立派なかれ(ブッダ)のこころは
一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。
また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても
かれの意欲はよく制されている。」

156 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは与えられないものを取らないであろうか?
かれは生きものを殺さないように心がけているであろうか?
かれは怠惰から遠ざかっているであろうか?
かれは精神の統一をやめないであろうか?」

157 七岳という神霊は答えた
「かれは与えられないものを取らない。
かれは生きものを殺さないように心がけている。
かれは怠惰から遠ざかっている。
目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることができない。」

158 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは嘘をつかないであろうか?
粗暴なことばを発しないであろうか?
中傷の悪口を言わないだろうか?
くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」

159 七岳という神霊は答えた
「かれは嘘をつかない。
粗暴なことばを発しない。
また中傷の悪口を言わない。
くだらぬおしゃべりを言わない。」

160 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか?
その心は濁っていないだろうか?
迷妄を越えているであろうか?
諸々のことがらを明らかに見とおす
眼をもっているだろうか?」

161 七岳という神霊は答えた
「かれは欲望の享楽に耽らない。
その心は濁っていない。
迷妄を越えている。
目ざめた人として
諸々のことがらを明らかに見とおす
眼をもっている。」

162 雪山に住む者という神霊がいった
「かれは明知を具えているだろうか?
かれの行いは全く清らかであろうか?
かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか?
かれはもはや再び世に生まれるということが
ないであろうか?」

163 七岳という神霊は答えた
「かれは明知を具えている。
またかれの行いは清らかである。
かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。
かれはもはや再び
世に生まれるということがない。」

163a (雪山に住む者という神霊がいった)
「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。
明知と行いとを完全に具えているかれを
汝が讃嘆するのは、当然である。」

163b 「聖者の心は
行動とことばとをよく具現している。
明知と行いとを完全に具えているかれに
そなたが随喜するのは、当然である。」

164 (七岳という神霊がいった)
「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。
さあ、われらは明知と行いとを
完全に具えているゴータマに見えよう。」

165 (雪山に住む者という神霊がいった)
「かの聖者は羚羊のような脛があり
痩せ細って、聡明であり
小食で、貪ることなく
森の中で静かに瞑想している、
来たれ、われらはゴータマ(ブッダ)に見えよう。

166 諸々の欲望をかえりみることなく
あたかも獅子のように象のように
独り行くかれに近づいて、われらは尋ねよう
──死の縛めから解き放たれる道を。」

167 (その二つの神霊がいった)
「説き示す人、説き明かす人
あらゆることがらの究極をきわめ
怨みと恐れを越えた目ざめた人
ゴータマに、われらは問おう。」

168 雪山に住む者という神霊がいった
「何があるとき世界は生起するのですか?
何に対して親しみ愛するのですか?
世間の人々は何ものに執著しており
世間の人々は何ものに悩まされているのですか?」

169 師は答えた
「雪山に住むものよ。
六つのものがあるとき世界が生起し
六つのものに対して親しみ愛し
世界は六つのものに執著しており
世界は六つのものに悩まされている。」

170 「それによって世間が悩まされる
執著とは何であるか?
お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてください。
どうしたら苦しみから解き放たれるのでしょうか。」

171 「世間には五種の欲望の対象があり
意(の対象)が第六であると説き示されている。
それらに対する貪欲を離れたならば
すなわち苦しみから解き放たれる。

172 世間の出離であるこの道が
汝らに如実に説き示された。
このことを、われは汝らに説き示す
──このようにするならば
苦しみから解き放たれるのである。」

173 「この世において誰が激流を渡るのでしょうか?
この世において誰が大海を渡るのでしょうか?
支えなくよるべのない深い海に入って
誰が沈まないのでしょうか?」

174 「常に戒を身にたもち、智慧あり
よく心を統一し、内省し
よく気をつけている人こそが
渡りがたい激流を渡り得る。

175 愛欲の想いを離れ
一切の結び目(束縛)を越え
歓楽による生存を滅しつくした人
──かれは深海のうちに沈むことがない。」

176 (雪山に住む者という神霊がいった)
「深い智慧があり、微妙な意義を見
何ものをも有せず、欲の生存に執著せず
あらゆることがらについて解脱し
天の路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

177 世に名高く、微妙な意義を見
智慧をさずけ、欲望の起る根源に執著せず
一切を知り、よく聡明であり
気高い路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

178 今日われわれは美しい[太陽]を見
美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった。
激流をのり越え、煩悩の汚れのなくなった<覚った人>に
われらは見えたからである。

179 これらの千の神霊どもは、神通力あり
誉れたかきものどもであるが、かれらはすべてあなたに帰依します。
あなたはわれらの無上の師であります。

180 われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう
──覚った人をも、真理のすぐれた所以をも礼拝しつつ。」

十、アーラブァカという神霊

 わたしか聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)は
ア-ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。
そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
「よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊は言った)、「道の人よ、入れ」と。
「よろしい、友よ」といって、師は入った。

ふたたびアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。
「よろしい、友よ」といって師は出て行った。

(また神霊は言った)、「道の人よ、入れ」と。
「よろしい、友よ」といって師は入った。
三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊は言った)、「道の人よ。入れ」と。
「よろしい、友よ」といって師は入った。

四たびまたアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。

(師は答えた)
「では、わたしはもう出て行きません
汝のなすべきことをなさい」と。

 (神霊が言った)
「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。
もしも汝がわたしに解答できないならば
汝の心を乱し、汝の心臓を裂き
汝の両足をとらえて
ガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」

(師は答えた)
「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において
道の人・バラモン・神々・人間を含む
生けるものどものうちで
わが心を乱し、わが心臓を裂き
わが両足をとらえて
ガンジス河の向こうの岸に
投げつけ得るような人を
実にわたしは見出さない。友よ。

 汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。
そこでアーラヴァカ神霊は
師に次の詩をもって呼びかけた。──

181 「この世で人間の最高の富は何であるか?
いかなる善行が安楽をもたらすのか?
実に味の中での美味は何であるか?
どのように生きるのが
最上の生活であるというのか?」

182 「この世では信仰が人間の最上の富である。
徳行に篤(あつ)いことは安楽をもたらす。
実に真実が味の中で美味である。
智慧によって生きるのが
最高の生活であるという」

183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか?
いかにして海を渡るのであるか?
いかにして苦しみを越えるのであろうか?
いかにして全く清らかとなるのであるか?」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り
精励によって海を渡る。
勤勉によって苦しみを超え
智慧によって全く清らかとなる。」

185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか?
いかにして財を獲るのであるか?
いかにして名声を得るのであるか?
いかにして交友を結ぶのであるか?
どうすれば、この世からかの世に赴いたときに
憂いがないのであろうか?」

186 [師いわく、──]
「諸々の尊敬さるべき人が
安らぎを得る理法を信じ
精励し、聡明であって
教えを聞こうと熱望するならば
ついに智慧を得る。

187 適宜に事をなし
忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得
何ものかを与えて交友を結ぶ。

188 信仰あり在家の生活を営む人に
誠実、真理、堅固、施与という
これら四種の徳があれば
かれは来世に至って憂えることがない。

189 もしもこの世に
誠実、自制、施与、耐え忍びよりも
さらに勝れたものがあるならば
さあ、それら他のものをも広く
<道の人>、バラモンどもに問え。」

190 [神霊いわく、──]
「いまやわたしは、どうして道の人
バラモンどもに広く問う要がありましょうか。
わたしは今日<来世のためになること>を
覚り得たのですから。

191 ああ、目ざめた方がア-ラヴィーに住むためにおいでになったのは
実はわたくしのためをはかってのことだったのです。
わたしは今日、何に施与すれば
大いなる果報が得られるかということを知りました。

192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう
──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」


十一、勝利