スッタニパータ2

一一、勝利      
一二、聖者    
 
第二 小なる章 
     
一、宝      
二、なまぐさ      
三、恥      
四、こよなき幸せ      
五、スーチローマ      
六、理法にかなった行い      
七、バラモンにふさわしいこと      
八、船      
九、いかなる戒めを      
一〇、精励      
一一、ラーフラ      
一二、ヴァンギーサ      
一三、正しい遍歴

十一、勝利

193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り
或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす
──これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ
深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて
ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち
肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血
関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔らはつねに不浄物が流れ出る。
眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き
或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり
墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれを喰らい
鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において智慧ある修行者は
覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて
このことを完全に了解する。
なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。
この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と
内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は
不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち
(花や香を以て)まもられている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い
また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

十二、聖者

207 親しみ慣れることから恐れが生じ
家の生活から汚れた塵が生ずる。
親しみ慣れることもなく家の生活もないならば
これが実に聖者のさとりである。

208 すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って
新たに植えることなく
現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば
この独り歩む人を<聖者>と名づける。
かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209 平安の境地、(煩悩の起こる)基礎を考究して
そのたねを弁(わきま)え知って
それを愛執する心を長せしめないならば
かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり
妄想をすてて(迷える者の)部類に赴かない。

210 あらゆる執著の場所を知りおわって
そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ
欲のない聖者は、作為によって求めることがない。
かれは彼岸に達しているからである。

211 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り
いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく
あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

212 智慧の力あり、戒と誓いをよく守り
心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ
落ち着いて気をつけていて、執著から脱して
荒れたところなく、煩悩の汚れのない人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

213 独り歩み、怠ることのない聖者は
非難と賞賛とに心を動かさず
音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
他人に導かれることなく、他人を導く人
──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても
水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち
欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

215 梭(かい)のように真っすぐにみずから安立し
諸々の悪い行為を嫌い
正と不正とをつまびらかに考察している人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

216 自己を制して悪をなさず、若いときでも
中年でも、聖者は自己を制している。
かれは他人に悩まされることなく
また何びとをも悩まさない。
諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

217 他人から与えられたもので生活し
[容器の]上の部分からの食物
中ほどからの食物、残りの食物を得ても
(食を与えてくれた人を)ほめることなく
またおとしめて罵ることもないならば
諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

218 婬欲の交わりを断ち
いかなるうら若き女人にも心をとどめず
驕りまたは怠りを離れ、束縛から解脱している聖者
──かれを諸々の賢者は(真の)<聖者>であると知る。

219 世間をよく理解して、最高の真理を見
激流を超え海をわたったこのような人
束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。
在家者は妻を養うが
善く誓戒を守る者(出家者)は
何ものをもわがものとみなす執著がない。
在家者は、他のものの生命を害って節制することがないが
聖者は自制していて、常に生命ある者を守る。

221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは
どうしても白鳥の速さに及ばないように
在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する
聖者・修行者に及ばない。

   <蛇の章>第一 おわる

 まとめの句

 蛇とダニヤと[犀の]角と耕す人と
チュンダと破壊と賤しい人と、慈しみを修めることと
雪山に住む者とアーラヴァカと、勝利とまた聖者と
── これらの十二の経が「蛇の章」と言われる。


第二 小なる章

一、宝

222 ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。
そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

223 それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。
昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。
それ故に、なおざりにせず。かれらを守れ。

224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも
天界における勝れた宝であろうとも
われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。
この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

225 心を統一したサキヤムニは
(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された
──その理法と等しいものは何も存在しない。
このすぐれた宝は理法のうちに存在する。
この真理によって幸せであれ。

226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

227 善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。
かれらは幸せ人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。
かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

228 ゴータマ(ブッダ)の教えに基づいて
堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく
不死に投入して、達すべき境地に達し
代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

229 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると
四方からの風にも揺るがないように
諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は
これに譬えられるべきである、とわれは言う。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

230 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた
諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は
たとい大いに等閑に陥ることがあっても
第八の生存を受けることはない。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。

231 [Ⅰ]自身を実在とみなす見解と
[Ⅱ]疑いと[Ⅲ]外面的な戒律・誓いという
三つのことがらが少しでも存在するならば
かれが知見を成就するとともに
それらは捨てられてしまう。
かれは四つの悪い場所から離れ
また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。
このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

232 またかれが身体によって、ことばによって
またはこころの中で、たとい僅かなりとも
悪い行為をなすならば
かれはそれを隠すことができない。
隠すことができないということを
究極の境地を見た人は説きたもうた。
このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

233 夏の月の初めの暑さに
林の茂みでは枝が花を咲かせたように
それに譬うべき、安らぎに赴く
妙なる教えを(目ざめた人、ブッダが)説きたもうた
──ためになる最高のことがらのために。
このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

234 勝れたものを知り、勝れたものを与え
勝れたものをもたらす勝れた無上の人が
妙なる教えを説きたもうた。
このすぐれた宝が<目ざめた人>(ブッダ)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

235 古い(業)はすでに尽き
新しい(業)はもはや生じない。
その心は未来に執著することなく、種子をほろぼし
それが生長する事を欲しない。
それらの賢者は、灯火のように滅びる。
このすぐれた宝が(つどい)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。

236 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間のつかえるこのように完成した
<目ざめた人>(ブッダ)を礼拝しよう。幸せであれ。

237 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間とのつかえるこのように完成した<教え>を礼拝しよう。
幸せであれ。

238 われら、ここに集まった諸々の生きものは
地上のものでも、空中のものでも
神々と人間とのつかえるこのように完成した<つどい>を礼拝しよう。
幸せであれ。

二、なまぐさ

239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆
野菜・球根・蔓の実を善き人々から
正しいしかたで得て食べながら
欲を貪らず、偽りを語らない。

240 よく炊がれ、よく調理されて
他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を
舌鼓(づつみ)うって食べる人は
なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは
おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら
しかも<わたしはなまぐさものを許さない>と称している。
カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。
あなたの言う<なまぐさ>とはどんなものですか。」

242 「生き物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること
盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと
邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること
──これがなまぐさである。
肉食することが<なまぐさい>のではない。

243 この世において欲望を制することなく
美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ
虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

244 粗暴・残酷であって、陰口を言い
友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり
ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り
嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し
密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

247 この世でほしいままに生きものを殺し
他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め
たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

248 これら(生けるものども)に対して貪り求め
敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は
死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる
──これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も
裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも
粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも
あるいはまた世の中でなされるような
不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も
供犠も、祭祀も、季節の荒行も
それらは、疑念を超えていなければ
その人を清めることができない。

250 通路(六つの機官)をまもり
機官にうち勝って行動せよ。
理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ
執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は
見聞きしたことに汚されない。

251 以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。
ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。
なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、
跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。

252 目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた
──なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る──ことばを聞いて
(そのバラモンは、)謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し
即座に出家することをねがった。

三,恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って
「われは(汝の)友である」と言いながら
しかも為し得る仕事を引き受けない人
──かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに
ことばだけ気に入ることを言う人は
「言うだけで実行しない人」であると
賢者たちは知りぬいている。

255 つねに注意して友誼の破れることを懸念して
(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。
子が母の胸にたよるように、その人によっても
他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。

256 成果を望む人は、人間に相応した重荷を背負い
喜びを生じる境地と賞讃を博する楽しみを修める。

257 遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって
法の喜びの味を味わっている人は、苦悩を離れ、悪を離れている。

四、こよなき幸せ

 わたたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ
ジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。
そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。

258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。
最上の幸福を説いて下さい。」

259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ
尊敬すべき人々を尊敬すること
──これがこよなき幸せである。

260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて
みずからは正しい誓願を起こしていること
──これがこよなき幸せである。

261 深い学識あり、技術を身につけ
身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること
──これがこよなき幸せである。

262 父母につかえること、妻子を愛し護ること
仕事に秩序あり混乱せぬこと
──これがこよなき幸せである。

263 施与と、理法にかなった行いと
親族を愛し護ることと、非難を受けない行為
──これがこよなき幸せである。

264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ
徳行をゆるがせにしないこと
──これがこよなき幸せである。

265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと
──これがこよなき幸せである。

266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと
諸々の(道の人)に会うこと
適当な時に理法について聞くこと
──これがこよなき幸せである。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること
安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること
──これがこよなき幸せである。

268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず
憂いなく、汚れを離れ、安穏であること
──これがこよなき幸せである。

269 これらのことを行うならば
いかなることに関しても敗れることがない。
あらゆることについて幸福に達する
──これがこよなき幸せである。

五、スーチローマ

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のタンキク石床における
スーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。
そのときカラという神霊とスーチローマという神霊に言った
「かれは<道の人>である」と。(スーチローマという神霊は言った)

「かれは真の<道の人>であるか、或いは似而非の<道の人>であるかを
わたしが知らないうちは、かれは真の<道の人>ではなくて
似而非の<道の人>である。」

 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り
そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。
そこでスーチローマという神霊は師にいった
「<道の人>よ。汝はわたしを恐れるのか。」
(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。
しかし汝に触れることは悪いのだ。」
(スーチローマという神霊はいった)
「<道の人>よ。わたしは汝に質問しよう。
もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し
汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえて
ガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)
「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において
道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで
わが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえて
ガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を
実にわたしは見ない。
友よ、汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。──

270 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生じるのであるか。
好きと嫌いと身の毛もよだつこと(戦慄)とは
どこから生ずるのであるか。
諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?
──あたかも子供らが鳥を投げて棄てるように。

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。
好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。
諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ
──あたかも子供らが鳥を投げて棄てるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。
あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。
それらが、ひろく諸々の執著していることは
譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

273 神霊よ、聞け。それらの煩悩が
いかなる原因にもとづいて起こるかを知る人々は、煩悩を除きさる。
かれらは、渡りがたく、未だかつて渡った人のいないこの激流を渡り
もはや再び生存をうけることがない。

六、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い、清らかな行い
これが最上の宝であると言う。
たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても

275 もしもかれが荒々しいことばを語り
他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば
その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は
目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし
煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。

278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り
母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。
死後には苦しみを受ける。

279 あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。
不潔な人は、実に清めることがむずかしい。

280 修行僧らよ。このような出家修行僧を、実は
<家にたよっている人、邪まな欲望あり、邪まな思いあり
邪まな行いをなし、悪いところにいる人>であると知れ。

281 汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。
籾殻を吹き払え。屑を取り除け。

282 次いで、実は<道の人>であると思いなしている籾殻どもを除き去れ
──悪を欲し、悪い行いをなし、悪いところにいるかれらを吹き払って。

283 みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって
清らかな人々と共に住むようにせよ。
そこで、聡明な者どもが、ともに仲よくして
苦悩を終滅せしめるであろう。

七、バラモンにふさわしいこと

 わたしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのときコーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち
──かれらは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが
──かれらは師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。
喜ばしい思い出に関する挨拶のことばを交わしたのち
かれらは傍らに坐した。

 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った
「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモン
昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めに
したがっているでしょうか?」[師は答えた]
バラモンたちよ。今のバラモンたちは
昔のバラモンたちの守ったバラモンの法に従ってはいない。」
「では、ゴータマさんは、昔のバラモンたちの守った
バラモンの法をわれらに話してください
──もしもゴータマさまにお差支えがなければ。」
「では、バラモンたちよ、お聞きなさい、よく注意なさい。
わたしは話してあげましょう。」「どうぞ」と
大富豪であるバラモンたちは、師に答えた。

 師は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。
かれは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)理想を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし
黄金もなかったし、穀物もなかった。
しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし
穀物ともなし、ブラフマンを倉として守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物
すなわち信仰心をこめて調理せられた食物を求める
(バラモンたち)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 豊かに栄えていた地方や国々の人々は
種々に美しく染めた衣服や臥床や住居をささげて
バラモンたちに敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので
かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。
かれらはかれらが家々の戸口に立つのを
なんびとも決して妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。
知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶(めと)らなかった。
かれらはまたその妻を買うこともなかった。
ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは
(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは
その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と
温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモン
実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。

294 この世における聡明な性の或る人々は
かれの行いにならいつつ、不婬と戒律と耐え忍びとをほめたたえた。

295 米と玩具と衣服とバターと油とを乞い
法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。
かれらは、祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。

296 母や父や兄弟や、また他の親族のように
牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297 それから(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え
皮膚に光沢を与え、また楽しませてくれる。
(牛に)このような利益のあることを知って
かれらは決して牛を殺さなかった。

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく
容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って
為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに
熱心に努力した。
かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。

299 しかるにかれらに誤った見解が起こった。
次第に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって

300 また駿馬に牽かせた立派な車、美しく彩られた縫物
種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て

301 バラモンたちは、牛の群が栄え
美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

302 そこでかれはヴェーダの呪文を編纂して
かの甘蔗王のもとに赴いていった
「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。
あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて
──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り
ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り
──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人
またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に
種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが
さらにそれを蓄積することを願った。
かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。
そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが
生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。
祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。
あなたの財産は多い。」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて
幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた。

309 牛は、脚を以ても、何によっても決して
(他のものを)害うことがなくて、羊に等しく柔和で
瓶をみたすほど乳を搾らせてくれる。
しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた。

310 刃が牛におちるや、そのとき神々と祖霊と
帝釈天と阿修羅と羅刹たちは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。
ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは
昔から行われて、今に伝わったという。
何ら害のない(牛が)殺される。
祭祀を行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに
隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し
また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし
妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに
種姓(の制度)によって守られている他の人々も
生れる誇る論議を捨てて、欲望に支配される至った、と。

 このように説かれたときに、大富豪であるバラモンたちは、師にいった
「すばらしいことです!ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです!ゴータマさま。
あたかも倒れた者を起こすように、覆われているものを開くように
方向に迷った者を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、
ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされた。
ここで、われらはゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。
ゴータマさまは、われわれを在俗信者として、受け入れてください。
今日から命の続く限り帰依いたします。」

八、船

316 ひとがもしも他人から習って理解を知るならば
あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくになすべきである。
学識の深いその(師)は、尊敬されれば
その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。

317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して
理法にしたがった教えを順次に実践し
このような人に親しんで怠ることがないならば
識者・弁え知る者・聡明なる者となる。

318 未だことがらを理解せず、嫉妬心のある
くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば
ここで真理(理法)を弁え知ることなく
疑いを超えないで、死に至る。

319 あたかも人が水かさが多く流れの疾い河に入ったならば
かれは流れにはこばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。
かれはどうして他人を渡すことができるであろうか。

320 それと同じく、真理(理法)を弁え知らず
学識の深い人にことがらの意義を聞かないならば
みずから知らず、疑いを超えていない人が
どうして他人の心を動かすことができるであろうか。

321 堅牢な船に乗って、橈と舵とを具えているならば
操縦法を知った巧みな経験者は
他の多くの人々をそれに乗せて渡すように

322 それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ
自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は
実に(みずから)知っていて、傾聴し侍坐しようという
気持ちを起こした他の人々の心を動かす。

323 それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。
ものごとを知って実践しつつ、真理を理解した人は
安楽を得るであろう。

九、いかなる戒めを

324 いかなる戒めをまもり、いかなる行いをなし
いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し
また最上の目的を達し得るのであろうか。

325 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り
法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。
みごとに説かれたことを謹んで聞け。

326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。
ものごとと真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。

327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し
真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。
みごとに説かれた真実にもとづいて暮らせ。

328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺
貪欲、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて
驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。

329 みごとに説かれたことばは、聞いてそれを理解すれば、精となる。
聞きかつ知ったことは、精神の安定を修すると、精になる。
人が性急であってふらついているならば
かれには智慧も学識も増大することがない。

330 聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は
ことばでも、こころでも、行いでも、最上である。
かれらは平安と柔和と瞑想とのうちに安立し
学識と智慧との真髄に達したのである。

十、精励

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。
矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。
この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。
時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。

334 怠りは塵垢(じんこう)である。怠りによって塵垢がつもる。
つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

十一、ラーフラ

335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。
しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか?
諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」

336 (ラーフラは答えた)
「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを
わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を
わたくしは常に尊敬しています。」

以上、序の詩

337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて
信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。」

338 「善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった
騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。」

339 「衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所
──これらのものに対して欲を起こしてはならない。
再び世にもどってくるな。」

340 「戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し
そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。
切に世を厭い嫌う者となれ。」

341 「愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。
その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて
心をしずかに統一せよ。」

342「 無相のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。
そうすれば汝は傲慢をほろぼして
心静まったものとして日を送るであろう。」

 実に尊き師(ブッダ)はこのように
ラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

十二、ヴァンギーサ

 わたしがこのように聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィーにおける
アッガーラウァ霊樹のもとにおられた。
そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が
アッガーラウァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。
そのときヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが
このような思念が心に起こった
──「わが師は実際に亡くなったんだろうか
あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。

 そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て
師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍らに坐った。
傍らに坐ったヴァンギーサさんは師にいった
尊いお方さま。わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき
このような思念が心に起こりました
──<わが師は実際に亡くなったのだろうか
或いはまだ亡くなっていないのだろうか?>」と。

 そこでヴァンギーサさんは座から立ち上がって
衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向かって合掌し
師にこの詩を以て呼びかけた。

343 「現世において、もろもろの疑惑を断たれた
無上の智慧ある師におたずね致します
──世に知られ、名声あり、心が安らぎに帰した[ひとりの]修行者が
アッガーラウァ[霊樹のもと]で亡くなりました。

344 先生、あなたは、そのバラモン
『ニグローダ・カッパ』という名をつけられました。
ひたすらに真理を見られた方よ。
かれは、あなたを礼拝し、解脱をもとめ、つとめ励んでおりました。

345 サッカ(釈迦族の人、釈尊)よ、あまねく見る人よ。
われらはみな、(あなたの)かの弟子のことを知ろうと望んでいます。
われわれの耳は、聞こうと待ちかまえています。
あなたはわれらの師です。あなたは、この上ない方です。

346 われらの疑惑を断ってください。これをわたくしに説いてください。
智慧ゆたかな方よ。かれらが亡くなったのかどうかを知って
われらの間で説いてください
──千の眼ある帝釈天が神々の間で説くように。あまねく見る方よ。

347 この世で、およそ束縛なるものは、迷妄の道であり
無智を棚とし、疑いによって存するが
全き人(如来)にあうと、それらはすべてなくなくなってしまう。
この(全き人)は人間のための最上の眼であります。

348 風が密雲を払いのけるように、[この人](ブッダ)が
煩悩の汚れを払うのでなければ、全世界は覆われて
暗黒となるでありましょう。光輝ある人々も輝かないでありましょう。

349 聡明な人々は世を照らします。聡明な方よ。
わたしは、あなたをそのような人だと思います。
われらはあなたを<如実に見る人>であると知って
みもとに近づきました。集会の中で、われらのために
(ニグローダ)カッパのことを明かにしてください。

350 すみやかに、いとも妙なる声を発してください。
白鳥がその頸をもたげて徐(おもむ)ろに鳴くように
よくととのった円やかな声を徐に発してください。
われらはすべて、素直に聞きましょう。

351 生死を残りなく捨て、悪を払い除いた(ブッダ)に請うて
真理を説いて頂きましょう。諸々の凡夫は[知ろうと欲し言おうと]
欲することをなしとげることができないが
諸々の全き人(如来)たちは、慎重に思慮してなされるからです。

352 この完全な確定的な説明が、正しい智者であるあなたによって
よく持たれているのです。わたくしは、さらにこの合掌をささげます。
(みずからは)知りながら(語らないで、われらを)迷わしたもうな。
智慧すぐれた方よ。

353 あれこれの尊い理法を知っておられるのですから(みずからは)
知りながら[語らないで、われらを]迷わしたりなさいますな。
励むことにすぐれた方よ。夏に暑熱に苦しめられた人が
水をもとめるように、わたしは(あなたの)ことばを望むのです。
聞く者に[ことばの雨を]降らしてください。

354 カッパ師が清らかな行いを行って達成しようとした目的は
かれにとって空しかったのでしょうか?
かれは、消え滅びたのでしょうか?それとも
生存の根源を残して安らぎに帰したのでしょうか?
かれはどのように解脱したのでしょうか
──わたくしたちはそれを聞きたいのです。」

355 師は答えた
「かれはこの世において
名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。
長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」
五人の修行者の最上者であった尊き師はそのように語られた。

356 [ヴァンギーサいわく、──]
「第七の仙人(ブッダ)さま。あなたのおことばを聞いて
わたしは喜びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。
バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。

357 目ざめた人(ブッダ)の弟子(ニグローダ・カッパ)は
ことばで語ったとおりに実行した人でした。
ひとを欺く死魔のひろげた堅固な網を破りました。

358 先生、カッパ師は執著の根元を見たのです。
ああ、カッパ師は、いとも渡りがたい死魔の領域を超えたのです。」

十三、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し
安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。
家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには
どのようにしたらよいのでしょうか。」

360 師はいわれた
「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ
吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって
人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて
順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて
何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず
諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく
他人の誘いに惑わされないならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても
逆らうことなく、正しく理法を知って
ニルヴァーナの境地をもとめるならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく
罵られても心にふくむことなく
他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

367 修行者が、貪りと迷いの生存(煩悩の)矢を抜いたのであれば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

368 修行者が、自分に適当なことを知り
世の中で何ものをも害うことなく
如実に理法を知っているのであるならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

369 かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存せず
悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく
求めることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

370 煩悩の汚れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え
みずから制し、安らぎに帰し、こころが安立しているならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

371 信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見
諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず
貪欲と嫌悪と憤怒とを慎しむならば
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

372 清らかな行いによって煩悩にうち克った勝者であり
覆いを除き、諸々の事物を支配し、彼岸に達し
妄執の動きがなくなって、生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を
立派に完成するならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

373 過去及び未来のものに関して(妄りなる)はからいを超え
極めて清らかな智慧あり、あらゆる変化的生存の領域から
解脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

374 究極の境地を知り、理法をさとり
煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て
あらゆる<生存を構成する要素>を滅しつくすが故に
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。」

375 「尊いお方(ブッダ)<さま。まことにこれはそのとおりです。
このように生活し、みずから制する修行者は
あらゆる束縛を超えているのです。
かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」

十四、ダンミカ