スッタニパータ3

一四、ダンミカ         

第三 大いなる章      

一、出家      
二、つとめはげむこと      
三、みごとに説かれたこと      
四、スンダリカ・バーラドヴァージャ   
五、マーガ


十四、ダンミカ

376 わたくしが聞いたところによると
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのときダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者とともに
師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。
そこで在俗信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。

376 「智慧ゆたかなゴータマ(ブッダ)さま。
わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は
家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと
どのように行うのが善いのですか?

377 実にあなたは神々とこの世の人々の帰趣と究極の目的とを
知っておられます。奥深いことがらを見る方で
あなたに比ぶ人はいません。世人はあなたを
優れた目ざめた人(ブッダ) だと呼んでいます。

378 あなたはすっかり証(さと)りおわって
生けるものどもをあわれんで、智識と理法を説かれます。
あまねく見る人よ。あなたは世の覆いを開き、汚れなくして
ひろく全世界に輝きたもう。

379 エーラーヴァナと名づける象王は、あなたが勝利者(ブッダ)であると
聞いたので、あなたのもとに来ましたる彼もまたあなたと相談して
(あなたの話を)聞いて、『いいなあ』といって、喜んで去りました。

380毘沙門天王であるクヴェーラも、また教えを請おうとして
あなたに近づいてきました。賢者よ。かれに尋ねられたときにも
あなたは話をなさいました。かれもまた(あなたの話を)聞いて
喜んだ姿を示しました。

381 アージーヴィカ教徒であろうとも、ジャイナ教徒であろうとも
論争を習いとするこれらのいかなる異説の徒でも、すべて
智慧であなたを超えることはできません。立ったままでいる人が
急いで走ってゆく人を追い越すことができないようなものです。

382 論争を習いとするいかなるバラモンでも、老年であろうとも
あるいは(中年、あるしは青年の)バラモンであろうとも
またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも
すべてあなたから<ためになることがら>を得ようと望んでいるのです。

383 先生、あなたがみごとに説きたもうたこの教えは幽微であり
また楽しいものです。あなたにお尋ねしますが
どうぞわれらにお説きください。最高の<目ざめた方>(ブッダ)よ。

384 これらの出家修行者たち、並びに在俗信者たちは、すべて
(目ざめた人の教えを)聞こうとして、ここに集まってきたのです。
けがれなき人(目ざめた人)がさとり、みごとに説いた理法を聞け
──神々がインドラ神のことばを聞くように。」

385 (師は答えた)
「修行者たちよ、われに聞け。
煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。
汝らすべてはそれを持て。目的をめざす思慮ある人は
出家にふさわしいそのふるまいを習い行え。

386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。
定められたときに、托鉢のために村に行け。
時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。
それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。

387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは
ひとびとをすっかり酔わせるものである。
これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに
朝食を得るために(村に)入れよ。

388 そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば
ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い
こころを外に放ってはならぬ。

389 もしもかれが、教えを聞く人、或いは他の修行者とともに
語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。
かげぐちや他の誹謗することばを発してはならぬ。

390 実に或る人々は(誹謗の)ことばに反発する。
かれらは浅はかな小賢しい人々をわれは称賛しない。
(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し
かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

391 智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は
幸せな人(ブッダ) の説きたもうた法を聞いて
食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水とを
よく気をつけて用いよ。

392 それ故に、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水
──これらのものに対して、修行者は執著して汚れることがない
──蓮の葉に宿る水滴[が汚されない]ようなものである。

393 次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。
このように実行する人は善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。
純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)
がこれを達成するのは実に容易ではない。

394 生きものを(みずから)殺してはならぬ。
また(他人をして)殺さしめてはならぬ。
また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。
世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも
すべての生きものに対する暴力を抑えて──。

395 次に教えを聞く人は、与えられていないものは
何ものであっても、またどこにあっても
知ってこれを取ることを避けよ。
また(他人をして)取らせることなく
(他人が)取りさるのを認めるな。
なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。

396 ものごとの解った人は婬行を回避せよ──
燃えさかる炭火の坑を回避するように。
もし不婬を修することができなければ、
(少なくとも)他人の妻を犯してはならぬ。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

398 また飲酒を行ってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、
他人をして飲ませてもならぬ。
他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。──
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って──。

399 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、
また他人の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。
この禍いの起るもとを回避せよ。
それは愚人の愛好するところであるが、
しかし狂酔せしめ迷わせるものである。

400 (1)生きものを害してはならぬ。
(2)与えられないものを取ってはならぬ。
(3)嘘をついてはならぬ。
(4)酒を飲んではならぬ。
(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。
(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

401 (7)花かざりを着けてはならぬ。
芳香を用いてはならぬ。
(8)地上に床を敷いて伏すべし。

これこそ実に八つの項目より成る
ウポーサタ(斎戒)であるという。

苦しみを修滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。

402 そうしてそれぞれ半月の第八日、第十四日、第十五日に
ウポーサタを修せよ。八つの項目より成る完全なウポーサタを
きよく澄んだ心で行え。また特別の月においてもまた同じ。

403 ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は次に
きよく澄んだ心で喜びながら、翌朝早く
食物とを適宜に修行僧の集いにわかち与えよ。

404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は
(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」

<小なる章>第二おわる

この章のまとめの句

 宝となまぐさと、恥と、こよなき幸せと、スーチローマと
理法にかなった行いと、バラモンにふさわしいことと、船の経と
いかなる戒めを、と、精励と、ラーフラ
ヴァンギーサと正しい遍歴と、さらにダンミカと──

 これらの十四の経が「小なる章」と言われる。

第三 大いなる章

一、出家

405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか
かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか。
かれの出家をわれは述べよう。

406 「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。
ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て
出家されたのである。

407 出家されたのちには、身による悪行をはなれた。
ことばによる悪行をもすてて、生活をすっかり清められた。

408 目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の(首都)・山に囲まれた王舎城に行った。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。

409 (マガダ王)ビンビサーラは高殿の上に進み出て、かれを見た。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人を見て、(侍臣に)このことを語った。

410 「汝ら、この人をみよ。美しく、大きく、清らかで
行いも具わり、眼の前を見るだけである。

411 かれは眼を下に向けて気をつけている。
この人は賤しい家の出身ではないようだ。
王の使者どもよ、走り追え。この修行者はどこへ行くのだろう。」

412 派遣された王の使者どもは、かれのあとを追って行った
──「この修行者はどこへ行くのだろう。
かれはどこに住んでいるのだろう」と。

413 かれは、諸々の感官を制し、よくまもり、正しく自覚し
気をつけながら、家ごとに食を乞うて、その鉢を速やかにみたした。

414 聖者は托鉢を終えて、その都市の外に出て、パンダヴァ山に赴いた
──かれはそこに住んでいるのであろう。

415 [ゴータマ(ブッダ)がみずから]住所に近づいたのを見て
そこで諸々の使者はかれに近づいた。
そうして一人の使者は(王城に)もどって、王に報告した、──

416 「大王さま。この修行者はパンダヴァ山の山窟の中に
また獅子のように座しています」と。

417 使者のことばを聞き終るや、そのクシャトリヤ(ビンビサーラ王)は
荘厳な車に乗って、急いでパンダヴァ山に赴いた。

418 かのクシャトリヤ(王)は、車に乗って行けるところまで車を駆り
車から下りて、徒歩で赴いて、かれに近づいて坐した。

419 王は坐して、それから挨拶のことばを喜び交わした。
挨拶のことばを交わしたあとで、このことを語った。──

420 「あなたは若く青春に富み、人生の初めにある若者です。
容姿も端麗で、生れ貴いクシャトリヤ(王族)のようだ。

421 象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて
わたしはあなたに財を与えよう。それを享受なさい。
わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」

422 (釈尊がいった)
「王さま。あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に一つの正直な民族がいます。
昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。

423 姓に関しては<太陽の裔>といい
種族に関しては<シャカ族>(釈迦族)といいます。
王さまよ。わたしはその家から出家したのです。
欲望をかなえるためではありません。

424 諸々の欲望に憂いがあることを見て
また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。
わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」

二、つとめはげむこと

425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために
つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに

426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて
言った。あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。

427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。
きみよ、生きよ。生きたほうがよい。
命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。

428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし
聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。
(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。

429 つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」・・・・

430 かの悪魔がこのように語ったときに
尊師(ブッダ)は次のように告げた。

──「怠け者の親族よ、悪しき者よ。
汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが

431 わたしはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。
悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。

432 わたしには信念があり、努力があり、また智慧がある。
このように専心しているわたくしに
汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?

433 (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。
ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。

434 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。
肉が落ちると、心はますます澄んでくる。
わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。

435 わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから
わが心は諸々の欲望にひかれることがない。
見よ、心身の清らかなことを。

436 汝の第一の軍隊は貪欲であり、第二の軍隊は嫌悪であり
第三の軍隊は飢餓であり、第四の軍隊は妄執といわれる。

437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり
第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり
汝の第八の軍隊はみせかけと強情と

438 誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と
また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。

439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
(勇者は)うち勝って楽しみを得る。

440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか?
(敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。
わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。

441 或る修行者たち・バラモンどもは
この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。
そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには
わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。
わたくしをこの場所から退けることなかれ。

443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが
わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る
──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。

444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し
国から国へと遍歴しよう
──教えを聞く人々をひろく導きながら。

445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ
怠ることなく、専心している。
そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。」

446 (悪魔はいった)
「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。
しかもよく気をつけている正覚者には
つけこむ隙をみつけることができなかった。

447 烏が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって
『ここに柔かいものが見つかるだろうか?味のよいものがあるだろうか?』といって飛び廻ったようなものである。

448 そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。
岩石ら近づいたその烏のように、われらは厭いて
ゴータマ(ブッダ)を捨て去る。」

449 悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた。つ
いで、かの夜叉は意気消沈してそこに消え失せた。

三、みごとに説かれたこと

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師ブッダはサーヴァッティー市のジェータ林
<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのとき師は諸々の<道の人>に呼びかけられた「修行僧たちよ」と。
「尊き師よ」と、<道の人>たちは師に答えた。
師は告げていわれた
「修行僧たちよ。四つの特徴を具えたことばは
みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。
諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。
その四つとは何であるか?道の人たちよ、ここで修行僧が

[Ⅰ]みごとに説かれた言葉のみを語り、悪しく説かれた言葉を語らず
[Ⅱ]理法のみを語って、理にかなわぬことを語らず
[Ⅲ]好ましいことのみを語って、好ましからぬことを語らず
[Ⅳ]真理のみを語って、虚妄を語らないならば

この四つの特徴を具えていることばは
みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。
諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。」
尊き師はこのことを告げた。そのあとでまた
<幸せな人>である師は、次のことを説いた。

450 立派な人々は説いた
──[Ⅰ]最上の善いことばを語れ。(これが第一である。)
[Ⅱ]正しい理を語れ、理に反することを語るな。これが第二である。
[Ⅲ]好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。
これが第三である。
[Ⅳ]真実を語れ。偽りを語るな。これが第四である。

 そのときヴァンギーサ長老は座から起ち上がって
衣を一つの肩にかけ(右肩をあらわして)、師(ブッダ)のおられる方に
合掌して、師に告げていった
「ふと思い出すことがあります!幸せな方よ」と。
「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。
そこでヴァンギーサ長老は師の面前で
ふさわしい詩を以て師をほめ称えた。

451 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。

452 好ましいことばのみを語れ。
その言葉は人々に歓び迎えられることばである。
感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るのである。

453 真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に
また理法の上に安立しているといわれる。

454 安らぎに達するために、苦しみを終減させるために
仏の説きたもうおだやかな言葉は
実に諸々のことばのうちで最上のものである。

四、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー
河の岸に滞在しておらめれた。ちょうどその時に
バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。
さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
聖火をまつり、火の祀りを行なったあとで、座から立ち
あまねく四方を眺めていった
──「この供物のおさがりを誰にたべさせようか。」

 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
遠からぬところで尊き師(ブッダ)が或る樹の根もとで
頭まで衣をまとって坐っているのを見た。
見おわってから左手で供物のおさがりをもち
右手で水瓶をもって師のおられるところに近づいた。
そこで師はかれの足音を聞いて、頭の覆いをとり去った。
そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
「この方は頭を剃っておられる。この剃髪者である」といって
そこから戻ろうとした。そうしてかれはこのように思った
「この世では、或るバラモンたちは、頭を剃っているということもある。
さあ、わたしはかれに近づいてその生れ(素姓)を聞いてみよう」と。

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
師のおられるところに近づいた。それから師にいった
「あなたの生まれは何ですか?」と

 そこで師は、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャに
詩を以て呼びかれた。

455 「わたしはバラモンではないし、王族の者でもない。
わたしはヴァイシヤ族(庶民)の者でもないし、また他の何ものでもない。

456 わたしは家なく、重衣を着け、髭髪(ひげかみ)を剃り
心を安らかならしめて、この世で人々に汚されることなく、歩んでいる。
 バラモンよ。あなたがわたしに姓をたずねるのは適当でない。」

457 「バラモンバラモンと出会ったときは
『あなたはバラモンではあられませんか?』とたずねるものです。」

「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば
バラモンでないわたしに答えなさい。わたしは、あなたに
三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」

458 「この世の中では、仙人や王族やバラモンというような人々は
何のために神々にいろいろと供物を献じたのですか?」

 (師が答えた)
「究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る
(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世俗の)人の(祭祀の行為は)
効果をもたらす、とわたくしは説く。」

459 バラモンがいった
「わたくしはヴェーダの達人であるこのような立派な方に
お目にかかったのですから、実にその方に対する(わたくしの)献供は
きっと効果があるでしょう。(以前には)あなたのような方に
お目にかからなかったので、他の人が献供の菓子(のおさがり)を
食べていたのです。」

460 (師が答えた)
「それ故に、バラモンよ、あなたは求めるところあってきたのであるから
こちらに近づいて問え。恐らくここに、平安で、(怒りの)煙の消えた
苦しみなく、欲求のない聡明な人を見出すであろう。」

461 (バラモンがいった)
「ゴータマ(ブッダ) さま。わたくしは祭祀を楽しんでいるのです。
祭祀を行おうと望むのです。しかしわたくしははっきりとは
知っていません。あなたはわたくしに教えてください。
何にささげた献供が有効であるかを言ってください。」

 (師が答えた)
「では、バラモンよ、よく聞きなさい。
わたくしはあなたに理法を説きましょう。

462 生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。
賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり
恥を知って慎むならば高貴の人となる。

463 真実もてみずから制し、(諸々の感官を)慎しみ
ヴェーダの奥義に達し、清らかな行いを修めた人
──そのような人にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

464 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから慎んで
梭(かい)のように真っすぐな人々
──そのような人々にそこ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

465 貪欲を離れ、諸々の感官を静かにたもち
月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。 

466 執著することなくして、常に心をとどめ
わがものと執したものを(すべて)捨て去って、世の中を歩き廻る人々
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝ってふるまい、生死のはてを知り
平安に帰し、清涼なること湖水のような<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

468 全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と
等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。
かれは無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。
<全き人>(如来)はお供えの菓子を受けるにふさわしい。

469 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ
わがものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き
こころ静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく
この世についてもかの世についてもとらわれることがない
<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

471 こころをひとしく静かにして激流をわたり
最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして
最後の身体をたもっている<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

472 かれは、生存の汚れも、荒々しいことばも
除き去られ滅びてしまって、存在しない。
かれはヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して
解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

473 執著を超えていて、執著をもたず
慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく
畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている
<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

474 欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見
他人の教える異なった見解を超越して
何らこだわってとらわれることのない<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

475 あれこれ一切の事物をさとって
それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで
平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

476 煩悩の束縛と迷いの生存への生れかわりとが滅び去った
究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく
清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である<全き人>(如来)は
お供えの菓子を受けるにふさわしい。

477 自己によって自己を観じ(それを)認めることなく
こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し
動揺することなく、疑惑のない(全き人)(如来)は
お供えの供物を受けるにふさわしい。

478 迷妄にもとづいて起る障りは何ら存在せず
あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をたもち
めでたい無上のさとりを得──これだけでも人の霊は清らかとなる
──(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。」

479 「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから
わが供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人としてみそなわせ。
先生、ねがわくはわたくしから受けてください。
先生、ねがわくはわがお供えの菓子を召し上がってください。」

480 「詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)の
なすきまりではない。
詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。
バラモンよ。このきまりが存するのであるから、
これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法)である。

481 全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し
悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。
けだしそれは功徳を積もうと望む者(福)田であるからである。」

482 「先生、わたくしのような者の施しを受け得る人
祭祀の時に探しもとめて供養すべき人、をわたくしは
──あなたの教えを受けて──どうか知りたいのです。」

483 「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し
ものうさ(無気力)を除き去った人、

484 限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め
聖者の特性を身に具えたそのような聖者が祭祀のために来たとき、

485 かれに対して眉をひそめて見下すことをやめ
合掌してかれを礼拝せよ。飲食物をささげて、かれを供養せよ。
このような施しは、成就して果報をもたらす。」

486 「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは
お供えの菓子を受けるにふさわしい。
あなたは最上の福田であり全世界の布施を受ける人であります。
あなたにさし上げた物は、果報が大きいです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
尊き師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように
覆われたものを開くように、方向に迷った者に道を示すように
あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中に灯火をかかげるように、ゴータマさまは
種々のしかたで理法を明らかにされました。
だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。
また法と修行僧のつどい帰依したてまつる。
わたくしはゴータマさまのもとで出家し
完全な戒律(具足戒)を受けたいものです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは
師のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは
独りで他から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが
まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て
家なき状態に赴いたのであるが
──を現世においてみずからさとり、証し、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そうしてスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

五、マーガ

 わたくしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ) は、王舎城の<鷲の峰>という山におられた。
そのときマーガ青年は師のおられるところに赴いた。
そこに赴いて師に挨拶した。
喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交したのち、かれらは傍らに坐した。
そこでマーガ青年は師に言った、──

 「ゴータマ(ブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり
寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ
正しい法によって財を求めます。
そのあとで、正しい法によって獲得して儲けた財物を
一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え
五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え
九人にも与え、十人にも与え、二十人にも与え、三十人にも与え
四十人にも与え、五十人にも与え、百人にも与え
さらに多くの人にも与えます。
ゴータマさま。わたくしがこのように与え
このようにささげるならば、多くの福徳を生ずるでしょうか。」

 「青年よ。実にあなたはそのように与え、そのようにささげるならば
多くの福徳を生ずる。誰であろうとも、実に、与える人、施主であり
寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財を求め
そのあとで、法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え
さらにつづいては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は
多くの福徳を生ずるのである。」

487 マーガ青年がいった
「袈裟を着け家なくして歩む寛仁なるゴータマさまに
わたくしはお尋ねします。この世で、施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をめざして供物をささげ、他人に飲食物を与える人が
祀りを実行するときには、何者にささげた供物が
清らかとなるのでしょうか。」

488 尊い師は答えた
「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
この世で他人に飲食物を与えるならば
まさに施与を受けるにふさわしい人々とともに
目的を達成することになるであろう。」

489 マーガ青年はいった
「施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
この世で他人に飲食物を与えるに当って
<まさに施与を受けるにふさわしい人々>のことを
わたしに説いてください。先生」

490 実に執著することなく世間を歩み、無一物で
自己を制した<全き人>がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

491 一切の結び・縛めを断ち、みずから慎しみ、解脱し
苦しみなく、欲求のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

492 一切の結び・縛めから解き放たれ、みずから慎しみ、解脱し
苦しみなく、欲求のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

493 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを減しつくし
清らかな行いを修めている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

494 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ
わがものとして執することなく、欲望をもたぬ人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

495 実に諸々の愛執に耽らず、すでに激流をわたりおわって
わがものという執著なしに歩む人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても
移りかわる生存への妄執の存在しない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

497 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから制して
梭(かい)のように真っすぐな人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

498 欲望を離れ、諸々の感官をよく静かにたもち
月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

499 安らぎに帰して、貪欲を離れ、怒ることなく
この世で(生存の諸要素を)捨て去って
もはや(迷いの生存)に行く道のない人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

500 生と死とを捨てて余すところなく、あらゆる疑惑を超えた人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

501 自己を洲(よりどころ)として世間を歩み
無一物で、あらゆることに関して解脱している人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

502 『これは(わたしの)最後の生存であり
もはや再び生を享けることはない』ということを
この世で如実にしっている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

503 ヴェーダに通じ、安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて
全きさとりに達し、多くの人々に帰依されている人々がいる
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

504 (マーガがいった)
「実にわたくしの質問はむだではありませんでした。
尊き師は、まさに施与を受けるにふさわしい人々のことを
わたくしに説いてくださいました。
先生、あなたはこの世ですべてのことがらを如実にしっておられます。
あなたはこの理法を知っておられるからです。」

505 マーガ青年が(さらにつづけて)いった
「この世で施しの求めに応ずる在家の施主
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が
他人に飲食を与えるに当って、どうしたならば
祀りが成功成就するかということをわたくしに説いてください。先生」

506 尊き師(ブッダ)は答えた
「マーガよ。祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清らしめよ。
祀り実行者の専心することは祀りである。
かれはここに安立して邪悪を捨てる。

507 かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して
日夜つねに怠らず、無量の(慈しみの)心をあらゆる方角にみなぎらせる。」

508 (マーガがいった)
「誰が清らかとなり、解脱するのですか?誰が縛せられるのですか?
何によってひとはみずから梵天界に至るのですか?
聖者よお尋ねしますが、わたくしは知らないのですから説いてください。
尊き師は、わたくしの<あかし>です。
わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。
真にあなたはわれわれにとっては梵天に等しい方だからです。
光輝ある方よ。どうしたならば、梵天界に生まれるのでしょうか?」

509 尊き師は答えた
「マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は
施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。
施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば
梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。」

 このように説かれたときに、マーガ青年は師にいった
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。
すばらしいことです。ゴータマさま。
あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように
方角に迷った者に道を示すように、あるいは
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで
真理を明らかにされました。
だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。
ゴータマさまはわたくしを在家信者として受け入れてください。
今日から命の続く限り帰依いたします。」

六、サビヤ