スッタニパータ4

六、サビヤ      
七、セーラ      
八、矢      

六、サビヤ

510 わたしが聞いたところによると
──或るとき尊き師(ブッダ)は王舎城の竹園林にある
栗鼠飼養の所に住んでおられた。そのとき遍歴の行者サビヤに
昔の血縁者であるが(今は神となっている)一人の神が質問を発した
──「サビヤよ。<道の人>であろうとも、バラモンであろうとも
汝が質問したときに明確に答えることのできる人がいるならば
汝はその人のもとで清らかな行いを修めなさい」と。
そこで遍歴の行者サビヤは、その神からそれらの質問を受けて
次の[六師]のもとに至って質問を発した。
すなわちプーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ
アジタ・ケーサカンバリ、パクダ・カッチャーヤナ
ベッラーッティ族の子であるサンジャヤ
ナータ族の子であるニガタとであるが
かれは<道の人>あるいはバラモンであり
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり
教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇められていた。

[しかるに]かれらは、遍歴の行者サビヤに質問されても
満足に答えることができなかった。
そうして、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず
かえって遍歴の行者サビヤに反問した。
そこで遍歴の行者サビヤはこのように考えた
「これらの<道の人>またはバラモンであられる方々は
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり
多くの人々から立派な人として崇められている。
かれら、すなわちプーラナ・カッサパからさらについに
ナータ族の子であるニガンタに至るまで人々は
わたしに質問されても、満足に答えることが出来なかった。
満足に答えることができないで、
怒りと嫌悪と憂いの色をあらわにしたのみならず、わたしに反問した。
さあ、わたしは低く劣った状態(在俗の状態)に戻って
諸々の欲望を享楽することにしょう」と。

 そのとき遍歴の行者サビヤはまたこのように考えた
「ここにおられる<道の人>ゴータマもまた衆徒をひきい
団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり
多くの人々から立派な人として崇められている。
さあ、わたしは<道の人>ゴータマに近づいて
これらの質問を発することにしよう」と。

 さらに遍歴の行者であるサビヤは次のように考えた
「ここにおられる<道の人>・バラモンがたは
年老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達しているが
長老であり、経験を積み、出家してからすでに久しく
衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり
教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇められている。
すなわちプーラナ・カッサパからさらに
ナータ族の子ニガンダに至るまでの人々であるが
かれらはわたくしに質問されても、満足に答えることができなかった。
満足に答えられないで、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず
かえってそこでわたくしに反問した。
<道の人>ゴータマはわたくしの発したこれらの質問に
明確に答え得るであろうか。
<道の人>ゴータマは生年も若いし
出家したのも新しいことだからである」と。

 次いで遍歴の行者サビヤはこのように考えた
「<道の人>は若いからといって侮ってはならない。軽蔑してはならない。
たといかれが若い<道の人>であっても
かれは大神通があり、大威力がある。さあ、わたしは
<道の人>ゴータマのもとに赴いて、この質問を発してみよう」と。

 そこで遍歴の行者サビヤは王舎城に向かって順次に歩みを進め
王舎城の竹園林にある栗鼠飼養所におられる
尊き師(ブッダ)のもとに赴いた。そうして、師に挨拶した。
喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交わしたのち、かれは傍らに坐した。
それから遍歴の行者サビヤは師に詩を以て呼びかけた。──

510 サビヤがいった
「疑いがあり、惑いがあるので、わたくしは質問しようと願って
ここに来ました。わたくしのためにそれを解決してください。
わたくしが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えてください。」

511 師は答えた
「サビヤよ。あなたは質問しようと願って、遠くからやって来ましたね。
あなたのために、それを解決してあげましょう。
あなたが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えましょう。

512 サビヤよ。何でも心の中で思っていることを、わたくしに質問なさい。
わたくしは一つ一つ質問を解決してあげましょう。」

 そのとき遍歴の行者であるサビヤはこのように考えた
「まことにすばらしいことだ。まことに珍しいことだ
──わたくしが他の<道の人>たち、バラモンたちのところでは機会さえも
得られなかったのに道の人ゴータマがこの機会を与えてくれたと。
かれは、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、師に質問した。

513 サビヤがいった
「修行僧とは何ものを得た人のことをいうのですか?
何によって温和な人となるのですか?
どのようにしたならば自己を制した人と呼ばれるのですか?
どうして目ざめた人(ブッダ)と呼ばれるのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

514 師は答えた
「サビヤよ。みずから道を修して完全な安らぎに達し、疑いを超え
生存と衰滅とを捨て、(清らかな行いに)安立して
迷いの世の再生を滅ぼしつくした人──かれが修行僧である。

515 あらゆることがらに関して平静であり、こころを落ち着け
全世界のうちで何ものをも害(そこな)うことなく、流れをわたり
濁りなく、情欲の昂まり増すことのない道の人
──かれは温和な人である。

516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し
この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて
死ぬ時の到来を願っている人──かれは(自己を制した人)である。

517 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを
二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで
生を滅ぼしつくすに至った人──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」

 そこで、遍歴の行者であるサビヤは、師の説かれたことをよろこび
随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快(きんかい)の心を生じて
さらに師に質問を発した。

518 サビヤがいった
「何を得た人をバラモンと呼ぶのですか?
何によって道の人と呼ぶのですか?
どうして沐浴をすませた者と呼ぶのですか?
どうして竜と呼ぶのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

519 師が答えた
「サビヤよ。一切の悪を斥け、汚れなく、よく心をしずめ持って
みずから安立し、輪廻を超えて完全な者となり、こだわることのない人
──このような人はバラモンと呼ばれる。

520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ
この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人
──このような人がその故に道の人と呼ばれる。

521 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落とし
時間に支配される神々と人間とのうちにありながら
妄想分別におもむかない人
──かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。

522 世間のうちにあっていかなる罪悪をもつくらず
一切の結び目・束縛を捨て去り
いかなることにもとらわれることなく解脱している人
──このような人はまさにその故に竜とよばける。

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて
さらに師に質問を発した。

523 サビヤがいった
「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を田の勝者と呼ぶのですか?
何によって巧みなのですか?どうして賢者なのですか?
どうして聖者と呼ばれるのですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

524 師が答えた
「サビヤよ。天の田・梵天の田という一切の田を弁別して
一切の田の根本の束縛から離脱した人
──このような人がまさにその故に田の勝者と呼ばれるのである。

525 天の蔵・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して
一切の蔵の根本の束縛から離脱した人
──このような人がまさにその故に(巧みな人)とよばれるのである。

526 内面的にも外面的にも二つながらの白く浄らかなものを弁別して
清らかな智慧あり、黒と白(善悪業)を超越した人は
まさにその故に(賢者)と呼ばれる。

527 全世界のうちで内面的にも外面的にも生邪の道理を知っていて
人間と神々の崇敬を受け、執著の網を超えた人
──かれは聖者である。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて
さらに師に質問を発した。

528 サビヤがいった
「何を得た人をヴェーダの達人とよぶのですか?
何によって知りつくした人となるのですか?
いかにして勤め励む者となるのですか?
育ちの良い人とはそもそも何ですか?
先生おたずねしますが、どうかわたくしに説明してください。」

529 師が答えた
「サビヤよ、道の人ならびにバラモンどもの有する
すべてのヴェーダを弁別して、一切の感受したものに対する貪りを離れ
一切の感受を超えている人、かれはヴェーダの達人である。

530 内的には差別的妄想とそれにもとづく名称と形態とを究め知って
また外的には病いの根源を究め知って
一切の病いの根源である束縛から脱れている人
──そのような人が、まさにその故に知りつくした人と呼ばれるのである。

531 この世で一切の罪悪を離れ、地獄の責苦を超えて努め励む者
精励する賢者──そのような人が勤め励む者と呼ばれるのである。

532 内面的にも外面的にも執著の根源である諸々の束縛を断ち切り
一切の執著の根源である束縛から脱れている人
──そのような人が、まさにその故に育ちの良い人と呼ばれるのである。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し、こころ喜び
楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

533 サビヤがいった
「何を得た人を学識ある人と呼ぶのですか?
何によってすぐれた人となるのですか?
またいかにして行いの具わった人となるのですか?
遍歴行者とはそもそも何ですか?
先生おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

534 師が答えた
「サビヤよ。教えを聞きおわって、世間における
欠点あり或いは欠点のないありとあらゆることがらを熟知して
あらゆることがらについて征服者・疑惑のない者・解脱した者
煩悩に悩まされない者を、学識のある人と呼ぶ。

535 諸々の汚れと執著のよりどころを断ち、智に達した人は
母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って
妄想分別に赴かない──かれをすぐれた人と呼ぶ。

536 この世において諸々の実践を実行し、有能であって
常に理法を知り、いかなることがらにも執著せず、解脱していて
害しようとする心の存在しない人──かれは行いの具わった人である。

537 上にも下にも横にも中央にも
およそ苦しみの報いを受ける行為を回避して
よく知りつくして行い、偽りと慢心と貪欲と怒りと
名称と形態(個体のもと)とを滅ぼしつくし、得べきものを得た人
──かれを遍歴の行者と呼ぶ。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し
こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、座から起ち上って
上衣を一方の肩にかけ(右肩をあらわし)、師に向かって合掌して
ふさわしい詩を以て目のあたり師を讃嘆した。

538 「智慧ゆたかな方よ。諸々の道の人の論争にとらわれた
名称と文字と表象とにもとづいて起った六十三種の異説を伏して
激流をわたりたもうた。

539 あなたは苦しみを滅ぼし、彼岸に達せられた方です。
あなたは真の人(拝まれる人)です。
あなたは完全にさとりを開かれた方です。
あなたは煩悩の汚れを滅ぼされた方だと思います。
あなたは光輝あり、理解あり、智慧ゆたかな方です。
苦しみを滅ぼした方よ。あなたはわたくしを救ってくださいました。

540 あなたはわたくしに疑惑のあるのを知って
わたくしの疑いをはらしてくださいました。
わたくしはあなたに敬礼します。
聖者の道の奥をきわめた人よ。心に荒みなき、太陽の末裔よ。
あなたはやさしい方です。

541 わたくしが昔いだいていた疑問を
あなたははっきりと説き明かしてくださいました。
眼ある方よ。聖者よ。まことにあなたはさとりを開いた人です。
あなたは、妨げの覆いがありません。

542 あなたの悩み悶えは、すべて破られ断たれています。
あなたは清涼となり、身を制し、堅固で、誠実に行動する方です。

543 象の中の象王であり偉大な英雄であるあなたが説くときには
すべて神々は、ナーラダ、パッバタの両[神群]とともに随喜します。

544 尊い方よ。あなたに敬礼します。最上の人よ。あなたに敬礼します。
神々を含めた全世界のうちで、あなたに比べられる人はおりません。

545 あなたは覚った人です。あなたは師です。
あなたは悪魔の征服者です、賢者です。
あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから[彼岸に]渡りおわり
またこの人々を渡すのです。

546 あなたは生存の要因を超越し
諸々の煩悩の汚れを滅ぼしておられます、あなたは獅子です。
何ものにもとらわれず、恐れおののきを捨てておられます。

547 麗しい百蓮華が泥水に染まらないように
あなたは善悪の両者に汚されません、雄々しき人よ
両足をお伸ばしなさい。サビヤは師を礼拝します。」

 そこで、遍歴の行者サビヤは尊き師(ブッダ)の両足に頭をつけて礼して
言った
──「すばらしいことです、譬えば倒れた者を起こすように
覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように
あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって
暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで
真理を明らかにされました。
ここでわたくしはゴータマ(ブッダ)さまに帰依したてまつる。
また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。
わたくしは師のもとで出家したいのです。完全な戒律を受けたいのです。」

 (師はいわれた)
「サビヤよ。かって異説の徒であった者が
この教えと戒律とにおいて出家しようと望み
完全な戒律を受けようと望むならば、かれは四カ月の間別に住む。
四カ月たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧はかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせる。
しかしこの場合は、人によって(期間の)差異のあることが認められる。」

尊いお方さま。もしもかつて異説の徒であった者が
この教えと戒律とにおいて出家しようと望み
完全な戒律を受けようと望むならば、かれは四カ月の間別に住み、
四カ月たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧がかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせるのであるならば
わたくしは(四カ月ではなくて)、四年間別に住みましょう。
そうして四年たってから、もういいな、と思ったならば
諸々の修行僧はわたくしを出家させて、完全な戒律を受けさせて
修行僧となるようにさせてください。」

 さて遍歴の行者サビヤは(直ちに)師のもとで出家し完全な戒律を受けた。
それからまもなく、この長者サビヤは独りで他人から遠ざかり
怠ることなく精励し専心していたが、やがて無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派に人々はそれを得るために正しく家を出て
家なき状態に赴いたのであるが──
を現世においてみずからさとり、証し、具現して日を送った。

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」
とさとった。そうしてサビヤ長老は聖者の一人となった。

七、セーラ

 わたくしが聞いたところによると、──或るとき師は
大勢の修行僧千二百五十人とともにアングッタラーパ[という地方]を
遍歴して、アーバナと名づけるアングッタラーパの或る町に入られた。
結髪の行者ケーニヤはこういうことを聞いた
「シャカ族の子である<道の人>ゴータマ(ブッダ)は
シャカ族の家から出家して、修行僧千二百五十人の大きなつどいとともに
アングッタラーパを遍歴して、アーバナに達した。
そのゴータマさまには、次のような好い名声がおとずれている
──すなわち、かの師は、真の人・さとりを開いた人
明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知った人・無上の人
人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)
尊い師であるといわれる。
かれは、みずからさとり、体得して、神々・悪魔・梵天を含む
この世界や道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどもに
教えを説く。

かれは、初めも善く、中ほども善く、終りも善く、意義も文字も
よく具わっている教えを説き、完全円満で清らかな行いを説き明かす、と。
ではそのような立派な尊敬さるべき人に見えるのは幸せ
みごとな善いことだ。」

 そこで結髪の行者ケーニヤは師のおられるところに赴いた。
そうして、師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶のことばを
交わしたのち、かれは傍らに坐した結髪の行者ケーニヤに対して
師は法に関する話を説いて、指導し、元気づけ、喜ばされた。
結髪の行者ケーニヤは、師に法に関する話を説かれ、指導され
元気づけられ、喜ばされて、師にこのように言った
「ゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」

 そのように告げられて、師は結髪の行者ケーニヤに向かって言われた
「ケーニヤよ。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいます。
またあなたはバラモンがたを信奉しています。」

 結髪の行者ケーニヤは再び師に言った
「ゴータマさま。修行僧の方々は大勢で、千二百五十人もいるし
またわたくしはバラモンがたを信奉していますが
しかしゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」

 師は結髪の行者ケーニヤに再び言われた
「ケーニヤよ。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいます。
またあなたはバラモンがたを信奉しています。」

 結髪の行者ケーニヤは三たび師に言った
「ゴータマさま。修行僧のつどいは大勢で、千二百五十人もいるし
またわたくしはバラモンがたを信奉していますが
しかしゴータマさまは修行僧の方々とともに
明日わたくしのささげる食物をお受けください。」
師は沈黙によって承諾された。

 そこで結髪の行者ケーニヤは、師が承諾されたのを知って
座から起って、自分の庵に赴いた。
それから、友人・朋輩・近親・親族に告げていった
「友人・朋輩・近親・親族の皆さん。わたくしのことばをお聞きなさい。
わたくしは<道の人>ゴータマを修行僧の方々とともに
明日の食事に招待しました。
だから皆さんは、身を動かしてわたくしに手伝ってください。」

 結髪の行者ケーニヤの友人・朋輩・近親・親族は、「承知しました」と
かれに答えて、或る者は竈の坑を掘り、或る者は薪を割り
或る者は器を洗い、或る者は水瓶を備えつけ、或る者は座席を設けた。
また結髪の行者ケーニヤはみずから(白い帳を垂れた)
円い集会場をしつらえた。

 ところでそのときセーラ・バラモンはアーバナに住んでいたが
かれは三ヴェーダの奥義に達し、語彙論・活用論・音韻論
語源論(第四のアタルヴァ・ヴェーダと)第五としての史詩に達し
語句と文法に通じ、順世論や偉人の観相に通達し
三百人の少年にヴェーダの聖句を教えていた。
そのとき結髪の行者ケーニヤはセーラ・バラモンを信奉していた。

 ときにセーラ・バラモンは三百人の少年に取り巻かれていたが
(長く坐っていたために生じた疲労を除くために)膝を伸ばす散歩をし
あちこち歩んでいたが、結髪の行者ケーニヤの庵に近づいた。
そこでセーラ・バラモンは、ケーニヤの庵に属する結髪の行者たちが
或る者は竈の坑を掘り、或る者は薪を割り、或る者は器を洗い
或る者は水瓶を備えつけ、或る者は座席を設け
また結髪の行者ケーニヤはみずから円い集会場をしつらえているのを見た。
見てから結髪の行者ケーニヤに問うた
「ケーニヤさんは息子の嫁取りがあるのでしょうか?
あるいは息女の嫁入りがあるのでしょうか?
大きな祭祀が近く行われるのですか?
あるいはマガダ王セーニヤ・ビンビサーラが軍隊とともに
明日の食事に招待されたのですか?」

 「セーラよ。わたくしには息子の嫁取りがあるのでもなく
息女の嫁入りがあるのでもなく、マガダ王セーニヤ・ビンビサーラが
軍隊とともに明日の食事に招かれているのでもありません。
そうではなくて、わたくしは近く大きな祭祀を行うことになっています。
シャカ族の子・道の人ゴータマ(ブッダ)は、シャカ族の家から出家して
アングッタラーパ国を遊歩して、大勢の修行僧千二百五十人とともに
アーバナに達しました。
そのゴータマさまには次のような好い名声がおとずれている
──すなわち、かの師は、真の人・さとりを開いた人
明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知った人・無上の人
人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)
尊き師であるといわれる。
わたくしはあの方を修行僧らとともに明日の食事に招きました。」

 「ケーニヤさん。あなたはかれを<目ざめた人>(ブッダ)と呼ぶのか?」
 「セーラさん。わたくしはかれを<目ざめた人>と呼びます。」
 「ケーニヤさん。あなたはかれを<目ざめた人>と呼ぶのか?」
 「セーラさん。わたくしはかれを<目ざめた人>と呼びます。」

 そのときセーラ・バラモンは心に思った。
「<目ざめた人>という語を聞くことは
世間においてはむずかしいのである。
ところでわれわれの聖典の中に偉人の相が三十二伝えられている。
それを具えている偉人にはただ二つの途があるのみで
その他の途はありえない。
[第一に]もしもかれが在家の生活を営むならば
かれは転輪王となり、正義を守る正義の王として四方を征服して
土人民を安定させ、七宝を具有するに至る。
すなわちかれは輪という宝・象という宝・馬という宝・珠という宝
資産者という宝及び第七に指揮者という宝が現われるのである。
またかれには千人以上の子があり、みな勇敢で雄々しく外敵をうち砕く。
かれは、四海の果てるに至るまで、この大地を武力によらず
刀剣を用いずに、正義によって征服して支配する。
[第二に]しかしながら、もしもかれが家から出て出家者となるならば
真の人・覚りを開いた人となり
世間における諸々の煩悩の覆いをとり除く」と。

 「ケーニヤさん。では真の人・覚りを聞いた人であられる
ゴータマさまは、いまどこにおられるのですか?」

 かれがこのように言ったときに、結髪の行者ケーニヤは
右腕を差し伸ばして、セーラ・バラモンに告げていった
「セーラさん。この方角に当って一帯の青い林があります。
(そこにゴータマさまはおられるのです)。」

 そこでセーラ・バラモンは三百人の少年とともに
師のおられるところに赴いた。
そのときセーラ・バラモンはそれらの少年たちに告げていった
「きみたちは(急がすに)小股に歩いて、響きを立てないで来なさい。
諸々の尊き師は獅子のように独り歩む者であり、近づきがたいからです。
そうしてわたしが<道の人>ゴータマと話しているときに
きみたちは途中でことばを挿んではならない。
きみたちはわたしの話が終るのを待て。」

 さてセーラ・バラモンは尊き師のおられるところに赴いた。
そこで、師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交わしたのち
かれは傍らに坐した。
それから、セーラ・バラモンは師の身に三十二の<偉人の相>が
あるかどうかを探した。セーラ・バラモンは、師の身体に
ただ二つの相を除いて、三十二の偉人の相が殆んど具わっているのを見た。
ただ二つの<偉人の相>に関しては
(それらがはたして師にあるかどうかを)かれは疑い惑い
(<目ざめた人(ブッダ)>)であるということを)信用せず、信仰しなかった。
その二つとは体の膜の中におさめられた隠所と広長舌相とである。

 そのとき師は思った
「このセーラ・バラモンはわが身に三十二の偉人の相を
殆んど見つけているが、ただ二つの相を見ていない。
ただ体の膜の中におさめられた隠所と広長舌相という
二つの偉人の相に関しては
(それらがはたしてわたくしの身にあるかどうかを)かれは疑い惑い
(目ざめた人(ブッダ)であるということを)信用せず、信仰していない」と。

 そこで師は、セーラ・バラモンが師の体の膜の中におさめられた
隠所を見得るような神通を示現した。
次に師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし
両耳孔を上下になめまわし、前の額を一面に舌で撫でた。

 そこでセーラ・バラモンは思った
──「道の人ゴータマは三十二の偉人の相を完全に身に具えていて
不完全ではない。しかしわたしは
『かれがブッダであるか否か』ということをまだ知らない。
ただわたしは、年老い齢高く師またはその師であるバラモンたちが
『諸々の<尊敬さるべき人、完全な覚りを開いた人>は
自分が讃嘆されるときには自身を示現する』と語るのを聞いたことがある。
さあ、わたしは、適当な詩を以て、<道の人>ゴータマ(ブッダ)を
その面前において讃嘆しましょう」と。そこでセーラ・バラモン
ふさわしい詩を以て尊き師をその面前において讃嘆した。──

548 「先生あなたは身体が完全であり、よく輝き
生れも良く、見た目も美しい。黄金の色があり、歯は極めて白い。
あなたは精力ある人です。

549 実に、生れの良い人の具えるすがた・かたちは
すべて、偉人の相として、あなたの身体のうちにあります。

550 あなたは、眼が清らかに、容貌も美しく
(身体は)大きく、真っ直ぐで、光輝あり
道の人の群の中にあって、太陽のように輝いています。

551 あなたは見るも美しい修行者(比丘)で、その膚は黄金のようです。
このように容色が優れているのに、
どうして道の人となる必要がありましょうか。

552 あなたは転輪王(世界を支配する帝王)となって、戦車兵の主となり
四方を征服し、ジャンブ州(全インド)の支配者となるべきです。

553 クシャトリヤ(王侯たち)や地方の王どもは
あなたに忠誠を誓うでしょう。ゴータマ(ブッダ)よ。
王の中の王として、人類の帝王として、統治をなさってください。」

554 師(ブッダ)は答えた
「セーラよ。わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。
真理によって輪をまわすのです──(だれも)反転しえない輪を。」

555 セーラ・バラモンがいった
「あなたは完全にさとった者であると、みずから称しておられます。
ゴータマ(ブッダ)よ。あなたは『われは無上の真理の王であり
法によって輪をまわす』と説いておられます。

556 では、誰が、あなたの将軍なのですか?
師の相続者である弟子は誰ですか?あなたがまわされたこの真理の輪を
誰が(あなたに)つづいてまわすのですか?」

557 師が答えた
「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の真理の輪(法輪)を
サーリプッタがまわす。かれは全き人につづいて出現した人です。

558 わたしは、知らねばならぬことをすでに知り
修むべきことをすでに修め、断つべきことをすでに断ってしまった。
それ故に、わたしはさとった人(ブッダ)である。バラモンよ。

559 わたしに対する疑惑をなくせよ。バラモンよ。わたしを信ぜよ。
諸々のさとりを開いた人に、しばしば見えることはいともむずかしい。

560 かれは(さとりを開いた人々)が、しばしば世に出現することは
そなたらにとって、いとも得がたいことであるが私はその人なのである。
バラモンよ、わたしは(煩悩の)矢を抜き去る最上の人である。

561 わたしは神聖な者であり、無比であり、悪魔の軍勢を撃破し
あらゆる敵を降服させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ。」

562 (セーラは弟子どもに告げていった)
──「きみたちよ。眼ある人の語るところを聞け。
かれは(煩悩の)矢を断った人であり、偉大な健き人である。
あたかも、獅子が林の中で吼えるようなものである。

563 神聖な者、無比なる者、悪魔の軍勢を撃破する者、を見ては
だれが信ずる心をいだかないであろうか。
たとい、色の黒い種族の生れの者でも、(信ずるであろう)。

564 従おうと欲する者は、われにわれに従え。また従いたくない者は
去れ。わたしもすぐれた智慧ある人のもとで出家しましょう。」

565 (セーラの弟子どもが言った)
──「もしもこの完全にさとった人の教えを、先生が喜ばれるのでしたら
わたくしたちもまた、すぐれた智慧ある人のもとで、出家しましょう。」

566 (セーラは言った)
──「これら三百人のバラモンたちは、合掌してお願いしています。
『先生私たちは、あなたのみもとで清らかな行いを実践しましょう。』

567 師(ブッダ)が答えた
──「セーラよ。清らかな行いが、みごとに説かれている。
それは目のあたり、即時に果報をもたらす。
怠りなく道を学ぶ人が、出家して(清らかな行いを修めるのは)
空しくはない」

 セーラ・バラモンは仲間とともに師のもとで出家して
完全な戒律を受けた。

 ときに、結髪の行者ケーニヤは、その夜が過ぎてから
自分の庵で味のよい硬軟の食物を用意させて、師に時の来たことを告げて
「ゴータマ(ブッダ) さま。時間です。食事の用意ができました」と言った。
そこで師は午前中に内衣を着け、重衣をきて、鉢を手にとって
結髪の行者ケーニヤの庵に赴いた。
そうして、修行僧のつどいとともに、あらかじめ設けられた席についた。
それから結髪の行者ケーニヤは、ブッダを初め修行僧らに、手ずから
味のよい硬軟の食物を給仕して、満足させ、あくまでもてなした。
そこで結髪の行者ケーニヤは、師が食事を終り鉢から手を離したときに
みずから一つの低い座を占めて、傍らに坐した。
そうして結髪の行者ケーニヤに、師は次の詩を以て、喜びの意を表した。──

568 火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
王は人間のうちでは最上の者である。
大洋は、諸河川のうちで最上のものである。

569 月は、諸々の星のうちで最上のものである。
太陽は、輝くもののうちで最上のものである。
修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。

 師はこれらの詩を唱えて結髪の行者ケーニヤに喜びの意を示して
座から起って、去って行かれた。

 そこでセーラさんは、自分の仲間とともに、独りで他人から遠ざかり
怠ることなく、精励し専心していたが、まもなく
──諸々の立派な人々がそれらを得るために正しく家を出て
家なきに赴く目的であるところの
──無上の清らかな行いの究極を現世においてみずからさとり、得し
具現していた。
「(迷いの生存のうちに)生まれることは消滅した。
清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。
もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。
そしてセーラさんとその仲間とは、聖者の一人一人となった。

 そののちセーラさんはその仲間とともに師のおられるところに赴いた。
そうして、衣を一方の(左の)肩にかけて[右肩を洗わして]
師に向かって合掌し、次の詩を以て師に呼びかけた。──

570 「先生眼ある方よ。今から八日以前に、
われらはあなたに帰依しましたが、七日のあいだに
われらはあなたの教えの中で身をととのえました。

571 あなたは覚った方(ブッダ)です。あなたは師です。
あなたは悪魔を征服した聖者です。
あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから渡りおわり
またこの人々を渡してくださいます。

572 あなたは生存の素因を超越し
諸々の煩悩の汚れを滅ぼしておられます。
あなたは執著することのない獅子のようです。
恐れおののきを捨てておられます。

573 これら三百人の修行僧は、合掌して立っています。
健き人よ、足をお伸ばしください。
諸々の竜(行者)をして師を拝ませましょう。」

八、矢

574 この世における人々の命は、定まった相なく
どれだけ生きられるかも解らない。
惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。

575 生まれたものどもは、死を遁(のが)れる道がない。
老いに達しては、死ぬ。
実に生ある者どもの定めは、この通りである。

576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく
生まれた人々は死なねばならぬ。
かれらにはつねに死の怖れがある。

577 たとえば、陶工のつくった土の器が
終りにはすべて破壊されてしまうように
人々の命もまたその通りである。

578 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。

579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが
父もその子を救わず親族もその親族を救わない。

580 見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆にくれているのに
人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

581 このように世間の人々は死と老いとによって害われる。
それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。

582 汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。
汝は(生と死の)両端を見きわめないで
わめいて、いたずらになき悲しむ。

583 迷妄にとらわれて自己を害なっている人が
もし泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば
賢者もそうするがよかろう。

584 泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。
ただ彼にはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

585 みずから自己を害いながら、身は痩せ醜くなる。
そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。
嘆き悲しむのは無益である。

586 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。
亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。

587 見よ。他の(生きている)人々はまた自分のつくった業にしたがって
死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕らえられて
この世で慄えおののいている。

588 人々が色々と考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。
壊れて消え去るのは、この通りである。世の成りゆくさまを見よ。

589 たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも
終には親族の人々すら離れて、この世の生命を捨てるに至る。

590 だから(尊敬されるべき人)の教えを聞いて
人が死んで亡くなったのを見ては
「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって
嘆き悲しみを去れ。

591 たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように
そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は
悲しみが起こったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい
──譬えば風が綿を吹き払うように。

592 おのが悲嘆と愛執と憂いとを除け。
おのが楽しみを求める人は、おのが(煩悩の)矢を抜くべし。

593 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく
心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。


九、ヴァーセッタ