ダンマパダ2

第16章 愛するもの
第17章 怒り
第18章 汚れ
第19章 道を実践する人
第20章 道
第21章 さまざまなこと
第22章 地獄
第23章 象
第24章 愛執
第25章 修行僧
第26章 バラモン


第十六章 愛するもの 

209  道に違(たご)うたことになじみ
道に順(したが)ったことにいそしまず
目的を捨てて快いことだけを取る人は
みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。

210  愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。
また愛しない人に会うのも苦しい。

211  それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。
愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。

212  愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。
愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。
どうして恐れることがあろうか?

213  愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。
愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

214 快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。
快楽を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

215  欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。
欲情を離れたならば、憂いは存しない。どうして恐れることがあろうか。

216  妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。
妄執を離れたならば、憂いは存しない。どうして恐れることがあろうか。

217  徳行と見識とをそなえ、法にしたがって生き、真実を語り
自分のなすぺきことを行なう人は、人々から愛される。

218  ことばで説き得ないもの(ニルヴァーナ)に達しようとする志を起し
意(おもい)はみたされ、諸の愛欲に心の礙げられることのない人は
(流れを上る者)とよばれる。

219  久しく旅に出ていた人が遠方から無事に帰って来たならば
親戚・友人・親友たちはかれが帰って来たのを祝う。

220 そのように善いことをしてこの世からあの世に行った人を
善業が迎え受ける___親族が愛する人が帰って来たのを
迎え受けるように。

第十七章 怒り 

221  怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。
名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は
苦悩に追われることがない。

222 走る車を抑えるようにむらむらと起る怒りをおさえる人
___かれをわれは<御者>とよぶ。
他の人はただ手綱を手にしているだけである。
(<御者>とよぶにはふさわしくない)

223  怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言の人にうち勝て。

224  真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ。
これらの三つの事によって(死後には天の)神々のもとに至り得るであろう。

225  生きものを殺すことなく、つねに身をつつしんで聖者は
不死の境地(くに)におもむく。そこに至れば、憂えることがない。

226  ひとがつねに目ざめていて、昼も夜もつとめ学び
ニルヴァーナを得ようとめざしているならば
もろもろの汚れは消え失せる。

227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり
いまに始まることでもない。
沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され
すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。

228  ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は
過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。

229 もしも心ある人が日に日に考察して
「この人は賢明であり、行いに欠点がなく
智慧と徳行とを身にそなえている」といって称讃するならば

230 その人を誰が非難し得るだろうか?
かれはジャンブーナダ河から得られる黄金でつくった
金貨のようなものである。神々もかれを称讃する。
梵天でさえもかれを称讃する。

231  身体がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。
身体について慎んでおれ。
身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。

232  ことばがむらむらするのを、まもり落ち着けよ。
ことばについて慎んでおれ。
語(ことば)による悪い行ないを捨てて、語によって善行を行なえ。

233  心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。
心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。

234  落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ
ことばをつつしみ、心をつつしむ。
このようにかれれれらは実によく己れをまもっている。

第十八章 汚れ 

235 汝はいまや枯葉のようなものである。
閻魔王の従卒もまた汝はいま死出の門路に立っている。
しかし汝には資糧(かて)さえも存在しない。

236  だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。
賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、天の尊い処に至るであろう。

237  汝の生涯は終りに近づいた。汝は、閻魔王の近くにおもむいた。
汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧も存在しない。

238  だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。
賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ
汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。

239  聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし
___鍛冶工が銀の汚れを除くように。

240  鉄から起った錆が、それから起ったのに
鉄自身を損なうように悪をなしたならば、
自分の業が罪を犯した人を悪いところ(地獄)にみちびく。

241  読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋が汚れ
身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば
つとめ慎しむ人が汚れる。

242  不品行は婦女の汚れである。
もの惜しみは、恵み与える人の汚れである。
悪事は、この世においてもかの世においても(つねに)汚れである。

243  この汚れよりもさらに甚だしい汚れがある。
無明こそ最大の汚れである。
修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。

244  恥をしらず、烏のように厚かましく、図々しく、ひとを責め
大胆で、心のよごれた者は、生活し易い。

245  恥を知り、常に清きをもとめ、執著をはなたれ、つつしみ深く
真理を見て清く暮す者は、生活し難い。

246/247  生きものを殺し、虚言(いつわり)を語り
世間において与えられないものを取り、他人の妻を犯し
穀酒・果実酒に耽溺する人は
この世において自分の根本を掘りくずす人である。

248  人よ。このように知れ___慎みがないのは悪いことである。
___貪りと不正とのゆえに汝がながく苦しみを受けることのないように。

249 ひとは、信ずるところにしたがって
きよき喜びにしたがって、ほどこしをなす。
だから、他人のくれた食物や飲料に満足しない人は
昼も夜も心の安らぎを得ない。

250  もしひとがこの(不満の思い)を絶ち、根だやしにしたならば
かれは昼も夜も心のやすらぎを得る。

251  情欲にひとしい火は存在しない。
不利な骰(さい)の目を投げたとしても、怒りにひとしい不運は存在しない。
迷妄にひとしい網は存在しない。妄執にひとしい河は存在しない。

252 他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見がたい。
ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。
しかし自分の過失は、隠してしまう
___狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。

253  他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は
煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。

254  虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば
<道の人>ではない。
ひとびとは汚れのあらわれをたのしむが
修行完成者は汚れのあらわれをたのしまない。

255  虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば
<道の人>ではない。
造り出された現象が常住であることは有り得ない。
真理をさとった人々(ブッダ)は、動揺することがない。

第十九章 道を実践する人

256  あらあらしく事がらを処理するからとて、公正な人ではない。
賢明であって、義と不義との両者を見きわめる人。

257 粗暴になることなく、きまりにしたがって
公正なしかたで他人を導く人は、正義を守る人であり
道を実践する人であり、聡明な人であるといわれる。

258  多く説くからとて、それゆえにかれが賢明なのではない。
こころおだやかに、怨むことなく、恐れることのない人
___かれこそ<賢者>と呼ばれる。

259  多く説くからとて、それゆえにかれが
道を実践している人なのではない。
たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人
怠って道からはずれることの無い人
___かれこそ道を実践している人である。

260  頭髪が白くなったからとて<長老>なのではない。
ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。

261 誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷わず、つつしみあり
みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ
「長老」と呼ばれる。

262  嫉みぶかく、吝嗇(りんしょく=けち)で、偽る人は
ただ口先だけでも、美しい容貌によっても、「端正な人」とはならない。

263 これを断ち、根絶やしにし、憎しみをのぞき、聡明である人
___かれこそ「端正な人」とよばれる。

264 頭を剃ったからとて、いましめをまもらず、偽りを語る人は
<道の人>ではない。
欲望と貪りにみちている人が、どうして<道の人>であろうか?

265 大きかろうとも小さかろうとも悪をすべてとどめた人は
もろもろの悪を静め滅ぼしたのであるから、<道の人>と呼ばれる。

266  他人に食を乞うからとて、それだけでは<托鉢僧>なのではない。
汚らわしい行いをしているならば、それでは<托鉢僧>ではない。

267 この世の福楽も罪悪も捨て去って、清らかな行いを修め
よく思慮して世に処しているならば、かれこそ<托鉢僧>と呼ばれる。

268/269  ただ沈黙しているからとて
愚かに迷い無智なる人が<聖者>なのではない。
秤を手にもっているように、いみじきものを取り
もろもろの悪を除く賢者こそ<聖者>なのである。
かれはそのゆえに聖者なのである。
この世にあって善悪の両者を(秤りにかれてはかるように)
よく考える人こそ<聖者>とよばれる。

270 生きものを害うからとて<聖者>なのではない。
生きとし生けるものどもを害わないので<聖者>と呼ばれる。

271/272  わたしは、出離の楽しみを得た。
それは凡夫の味わい得ないものである。
それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても
また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても
得られないものである。修行僧よ。
汚れが消え失せない限りは、油断するな。 

第二十章 道 

273  もろもろの道のうちでは
<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。
もろもろの真理のうちでは<四つの句>(四諦)がもっともすぐれている。
もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。
人々のうちで<眼ある人>(ブッダ)が最もすぐれている。

274 これこそ道である。
(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他に道は無い。
汝らはこの道を実践せよ。
これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。

275  汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。
(棘が肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って
わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。

276 汝らは(みずから)つとめよ。
もろもろの如来(修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。
心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。

277  「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

278  「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

279  「一切の事物は我ならざるものである」(諸法無我)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

280  起きるべき時に起きないで、若くて力があるのに怠りなまけていて
意志も思考も薄弱で、怠惰でものをいう人は
明らかな智慧によって道を見出すことがない。

281  ことばを慎しみ、心を落ち着けて慎しみ
身に悪を為してはならない。
これらの三つの行ないの道を浄くたもつならば
仙人(仏)の説きたもうた道を克ち得るであろう。

282  実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。
心が統一されないならば、豊かな智慧がほろびる。
生じることと滅びることとのこの二種の道を知って
豊かな智慧が生ずるように自己をととのえよ。

283 一つの樹を伐るのではなくて、(煩悩の)林を伐れ。
危険は林から生じる。
(煩悩の)林とその下生えとを切って、林(煩悩)から離れた者となれ。
修行僧らよ。

284 たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれない間は
その男の心は束縛されている___乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。

285 自己の愛執を断ち切れ___池の水の上に出て来た秋の蓮を
手で断ち切るように。静かなやすらぎに至る道を養え。
めでたく行きし人(仏)は安らぎを説きたもうた。

286  「わたしは雨期にはここに住もう。冬と夏とにはここに住もう」と
愚者はこのようにくよくよと慮って、死が迫って来るのに気がつかない。

287  子どもや家畜のことに気を奪われて心がそれに執著している人を
死はさらって行く___眠っている村を大洪水が押し流すように。

288  子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。
死に捉えられた者を、親族も救い得る能力がない。

289 心ある人はこの道理を知って、戒律をまもり
すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。

第二十一章 さまざまなこと 

290 つまらぬ快楽を捨てることによって
広大なる楽しみを見ることができるのなら
心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。

291 他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は
怨みの絆にまつわれて、怨みから免れることができない。

292  なすべきことをなおざりにし、なすべからざることをなす
遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。

293  常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず
為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には
もろもろの汚れがなくなる。

294 (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし
(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)
二人の武家の王をほろぼし
(主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である)国土と
(「喜び貪り」という)従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

295  (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とを
ほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)
二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし
第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

296  ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
昼も夜も常に仏を念じている。

297  ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
昼も夜も常に法を念じている。

298 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。

299  ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。

300  ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
その心は昼も夜も不傷害を楽しんでいる。

301  ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて
その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。

302  出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。
在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい。
心を同じくしない人々と共に住むのも難しい。
(修行僧が何かを求めて)旅に出て行くと、苦しみに遇う。
だから旅に出るな。また苦しみに遇うな。

303  信仰あり、徳行そなわり、名声と繁栄を受けている人は
いかなる地方におもむこうとも、そこで尊ばれる。

304  善き人々は遠くにいても輝く___雪を頂く高山のように。
善からぬ人々は近くにいても見えない___夜陰に放たれた矢のように。

305  ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく
わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。

第二十二章 地獄 

306 いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら
「わたしはしませんでした」と言う人
___この両者は死後にはひとしくなる
___来世では行ないの下劣な業をもった人々なのであるから。 

307 袈裟を頭から纒っていても、性質が悪く、つつしみのない者が多い。
かれらは、悪いふるまいによって、悪いところに(地獄)に生まれる。

308  戒律をまもらず、みずから慎むことがないのに
国の信徒の施しを受けるよりは
火炎のように熱した鉄丸を食らうほうがましだ。

309  放逸で他人の妻になれ近づく者は
四つの事がらに遭遇する___すなわち
禍をまねき、臥して楽しからず
第三に非難を受け、第四に地獄に墜ちる。

310  禍をまねき、悪しきところ(地獄)に墜ち
相ともにおびえた男女の愉楽はすくなく
王は重罰を課する。それ故にひとは
他人になれ近づくな。

311  茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように
修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。

312 その行いがだらしなく、身のいましめが乱れ
清らかな行いなるものもあやしげであるならば
大きな果報はやって来ない。

313 もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。
それを断固として実行せよ。
行いの乱れた修行者はいっそう多く塵をまき散らす。

314  悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。
悪いことをすれば、後で悔いる。
単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。
なしおわって、後で悔いがない。

315 辺境にある、城壁に囲まれた都市が内も外も守られているように
そのように自己を守れ。瞬時も空しく過ごすな。
時を空しく過した人々は地獄に墜ちて、苦しみ悩む。

316  恥じなくてよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は
邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。

317 恐れなくてもよいことに恐れをいだき
恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解をいだいて
悪いところ(地獄)におもむく。

318  避けねばならないことを避けなくてもよいと思い
避けてはならぬ(必ず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は
邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。

319 遠ざけるべきこと(罪)を遠ざけるべきであると知り
遠ざけてはならぬ(必らず為さねばならぬ)ことを
遠ざけてはならぬと考える人々は、正しい見解をいだいた
善いところ(天上)におもむく。

第二十三章  象

320  戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように
われらはひとのそしりを忍ぼう。
多くの人は実に性質(たち)が悪いからである。

321 馴らされた象は、戦場にも連れて行かれ、王の乗りものとなる。
世のそしりを忍び、自らをおさめた者は
人々の中にあっても最上の者である。

322  馴らされた騾馬は良い。インダス河のほとりの血統よき馬も良い。
クンジャラという名の大きな象も良い。
しかし自己をととのえた人はそれらよりもすぐれている。

323 何となれば、これらの乗物によっては
未到の地(ニルヴァーナ)に行くことはできない。
そこへは、慎しみある人が、おのれ自らをよくととのえておもむく。

324 「財を守る者」という名の象は、発情期にこめかみから
液汁をしたたらせて強暴になっているときは、いかんとも制し難い。
捕らえられると、一口の食物も食べない。象は象の林を慕っている。

325  大食いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て
まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り
くりかえし母胎に入って(迷いの生存をつづける)。

326  この心は、以前には、望むがままに、欲するがままに
快きがままに、さすらっていた。
今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう___象使いが鉤をもって
発情期に狂う象を全くおさえつけるように。

327 つとめはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。
自己を難処から救い出せ___泥沼に落ち込んだ象のように。

328  もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を
伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って
こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

329  しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を
伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように
また林の中の象のように、ひとり歩め。

330  愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。
孤独(ひとり)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ
___林の中にいる象のように。

331  事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい。
(大きかろうとも、小さかろうとも)どんなことにでも満足するのは楽しい。
善いことをしておけば、命の終るときに楽しい。
(悪いことをしなかったので)、あらゆる苦しみ(の報い)を除くことは楽しい。

332  世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。
世に修行者を敬うことは楽しい。世にバラモンを敬うことは楽しい。

333  老いた日に至るまで戒めをたもつことは楽しい。
信仰が確立していることは楽しい。明らかな智慧を体得することは楽しい。
もろもろの悪事をなさないことは楽しい。

第二十四章 愛執

334 恣(ほしいまま)のふるまいをする人には
愛執が蔓草(つるくさ)のようにはびこる。
林の中で猿が果実を探し求めるように
(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。

335 この世において執著のもとであるこのうずく
愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する
___雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。

336  この世において如何ともし難いこのうずく愛欲を断ったならば
憂いはその人から消え失せる___水の滴が蓮華から落ちるように。

337  さあ、みんなに告げます。___ここに集まったみなさんに幸あれ。
欲望の根を掘れ___(香しい)ウシーラ根を求める人が
ビーラナ草を掘るように。葦が激流に砕かれるように
魔にしばし砕かれてはならない。

338  たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ
樹が再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる
潜勢力をほろぼさないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。

339 快いものに向って流れる三十六の激流があれば、その波浪は
悪しき見解をいだく人を漂わし去る
___その波浪とは貪欲にねざした想いである。

340  (愛欲の)流れは至るところに流れる。
(欲情の)蔓草は芽を生じつつある。その蔓草が生じたのを見たならば
智慧によってその根を断ち切れ。

341  人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤される。
実に人々は歓楽にふけり、楽しみをもとめて、生と老衰を受ける。

342  愛欲に駆り立てられた人々は
わなにかかった兎のように、ばたばたする。
束縛の絆にしばられ愛著になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。

343  愛欲に駆り立てられた人々は
わなにかかった兎のように、ばたばたする。
それ故に修行僧は、自己の離欲を除き去れ。

344  愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね
愛欲の林から免れていながら、また愛欲の林に向って走る。
その人を見よ。
束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。

345/346  鉄や木材や麻紐でつくられた枷を
思慮ある人々は堅固な縛とは呼ばない。
宝石や耳環・腕輪をやたらに欲しがること、妻や子にひかれること
___それが堅固な縛である、と思慮ある人々は呼ぶ。
それは低く垂れ、緩く見えるけれども、逃れ難い。
かれらはこれをさえも断ち切って、顧みること無く
欲楽をすてて、遍歴修行する。

347 愛欲になずんでいる人々は激流に押し流される
___蜘蛛がみずから作った網にしたがって行くようなものである。
思慮ある人々はこれをも断ち切って、顧みることなく
すべての苦悩をすてて、歩んで行く。

348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。
生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて
もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

349 あれこれ考えて心が乱れ、愛欲がはげしくうずくのに
愛欲を淨らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。
この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる。

350  あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、つねに心にかけて
(身体などを)不浄であると観じて修する人は
実に悪魔の束縛の絆をとりのぞき、断ち切るであろう。

351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無我で
わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。これが最後の身体である。

352 愛欲を離れ、執著なく、諸の語義に通じ諸の文章と
その脈絡を知るならば、その人は最後の身体をたもつものであり
「大いなる智慧ある人」と呼ばれる。

353  われはすべてに打ち勝ち、すべてを知り
あらゆることがらに関して汚されていない。
すべてを捨てて、愛欲は尽きたので、こころは解脱している。
みずからさとったのであって、誰を(師と)呼ぼうか。

354 教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり
教えの妙味はすべての味にまさり
教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。
妄執をほろぼすことはすべての苦しみうち勝つ。

355 彼岸にわたることを求める人々は享楽に害われることがない。
愚人は享楽のために害われるが、享楽を妄執するがゆえに
愚者は他人を害うように自分も害う。

356 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は愛欲によって害われる。
それ故に愛欲を離れた人々に供養して与えるならば
大いなる果報を受ける。

357 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は怒りによって害われる。
これ故に怒りを離れた人々に供養して与えるならば
大いなる果報を受ける。

358  田畑は雑草によって害われ、この世は人々は迷妄によって害われる。
それ故に迷妄を離れた人々に供養して与えるならば
大いなる果報を受ける。

359  田畑は雑草によって害われ、この世は人々は欲求によって害われる。
それ故に欲求を離れた人々に供養して与えるならば
大いなる果報を受ける。

第二十五章 修行僧 

360  眼について慎しむのは善い。耳について慎しむは善い。
鼻について慎しむのは善い。舌について慎しむのは善い。

361 身について慎むのは善い。ことばについて慎しむのは善い。
心について慎しむのは善い。あらゆることについて
慎しむのは善いことである。
修行僧はあらゆることがらについて慎しみ、すべての苦しみから脱れる。

362  手をつつしみ、足をつつしみ、ことばをつつしみ、最高につつしみ
内心に楽しみ、心を安定統一し、ひとりで居て、満足している
___その人を<修行僧>と呼ぶ。

363  口をつつしみ、思慮して語り、心が浮わつくことなく
事がらと真理とを明らかにする修行僧
___かれの説くところはやさしく甘美である。

364  真理を喜び、真理を楽しみ、真理をよく知り分けて
真理にしたがっている修行僧は、正しいことわりから墜落することがない。

365  (托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。
他人の得たものを羨むな。
他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない。

366  たとい得たものは少なくても
修行僧が自分の得たものを軽んずることが無いならば
怠ることなく清く生きるその人を、神々も称讃する。

367 名称とかたちについて「わがもの」という想いが全く存在しないで
何ものも無いからとて憂えることの無い人
___かれこそ<修行僧>とよばれる。

368  仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は
動く形成作用の静まった、安楽な、静けさの境地に到達するであろう。

369  修行僧よ。この舟から水を汲み出せ。
汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。
貪りと怒りとを断ったならば、汝はニルヴァーナにおもむくであろう。

370 五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。
さらに五つ(のはたらき)を修めよ。
五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。

371  修行僧よ。瞑想せよ。なおざりになるな。
汝の心を欲情の対象に向けるな。なおざりのゆえに鉄丸を呑むな。
(灼熱した鉄丸で)焼かれるときに、「これは苦しい!」といって泣き叫ぶな。

372  明らかな智慧の無い人には精神の安定統一が無い。
精神の安定統一していない人には明らかな智慧が無い。
精神の安定統一と明らかな智慧とがそなわっている人こそ
すでにニルヴァーナの近くにいる。

373 修行僧が人のいない空家に入って心を静め
真理を正しく観ずるならば、人間を超えた楽しみがおこる。

374 個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを
正しく理解するに従って、その不死のことわりを知り得た人々にとって
喜びと悦楽なるものを、かれは体得する。

375  これは、この世において明らかな智慧のある修行僧の
初めのつとめである
___感官に気をくばり、満足し、戒律をつつしみ行ない
怠らないで、淨らかに生きる善い友とつき合え。

376  その行いが親切であれ。(何ものでも)わかち合え。
善いことを実行せよ。そうすれば、喜びにみち、苦悩を減するであろう。

377  修行僧らよ。ジャスミンの花が花びらを捨て落とすように
貪りと怒りとを捨て去れよ。

378  修行僧は、身も静か、語(ことば)も静か、心も静かで
よく精神統一をなし、世俗の享楽物を吐きすてたならば
<やすらぎに帰した人>と呼ばれる。

379 みずから自分を励ませ。みずから自分を反省せよ。修行僧よ。
自己を護り、正しい念いをたもてば、汝は安楽に住するであろう。

380 実に自己は自分の主(あるじ)である。
自己は自分の帰趨(よるべ)である。 故に自分をととのえよ
___商人が良い馬を調教するように。

381  喜びにみちて仏の教えを喜ぶ修行僧は、動く形成作用の静まった
幸いな、やすらぎの境地に達するであろう。

382 たとい年の若い修行僧でも、仏の道にいそしむならば
雲を離れた月のように、この世を照らす。

第二十六章 バラモン

383 バラモンよ。流れを断って。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。
諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知る者であれ。

384  バラモンが二つのことがら(止と観)について
彼岸に達した(完全になった)ならば、かれはよく知る人であるので
かれの束縛はすべて消え失せるであろう。

385  彼岸もなく、此岸もなく、彼岸・此岸なるものもなく、恐れもなく
束縛もない人___かれをわれはバラモンと呼ぶ。

386  静かに思い、塵垢(ちりけがれ)なく、おちついて
為すべきことをなしとげ、煩悩を去り、最高の目的を達した人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

387 太陽は昼にかがやき、月は夜に照し。武士は鎧を着てかがやき
バラモンは瞑想に専念してかがやく。
しかしブッダはつねに威力もて昼夜に輝く。

388  悪を取り除いたので<バラモン>(婆羅門)と呼ばれ
行いが静かにしているので<道の人>(沙門)と呼ばれる。
おのれの汚れを除いたので、そのゆえに<出家者>と呼ばれる。

389  バラモンを打つな。
バラモンはかれ(打つ人)にたいして怒りを放つな。
バラモンを打つものには禍がある。
しかし(打たれて)怒る者にはさらに禍がある。

390 愛好するものから心を遠ざけるならば
このことはバラモンにとって少なからずすぐれたことである。
害する意(おもい)がやむにつれて、苦悩が静まる。

391  身にも、ことばにも、心にも、悪い事を為さず
三つのところについてつつしんでいる人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

392 正しく覚った人(ブッダ)の説かれた教えを
はっきりといかなる人から学び得たのであろうとも
その人を恭しく敬礼せよ___バラモンが祭の火を恭しく尊ぶように。

393 螺髪を結んでいるからバラモンなのではない。
氏姓によってバラモンなのでもない。
生れによってバラモンなのでもない。
真理と理法とをまもる人は、安楽である。
かれこそ(真の)バラモンなのである。

394  愚者よ。螺髪を結うて何になるのだ。
かもしかの皮をまとって何になるのだ。
汝は内に密林(汚れ)を蔵して、外側だけを飾る。

395  糞掃衣をまとい、痩せて、血管があらわれ
ひとり林の中にあって瞑想する人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

396 われは、(バラモン女の)胎から生れ(バラモンの)母から生れた人を
バラモンと呼ぶのではない。
かれは「<きみよ>といって呼びかける者」といわれる。
かれは何か所有物の思いにとらわれている。
無一物であって執著のない人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

397  すべての束縛を断ち切り、恐れることなく、執著を超越して
とらわれることの無い人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

398  紐と革帯と網とを、手網ともども断ち切り
門をとざす閂(かんぬき)を滅ぼして、めざめた人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

399 罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び
忍耐の力あり、心の猛き人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

400 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく
身をととのえ、最後の身体に達した人
___かれをわれは<バラモン>とよぶ。

401  蓮葉の上の露のように、錐の尖の芥子のように
緒の欲情に汚されない人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

402  すでにこの世において自分の苦しみの滅びたことを知り
重荷をおろし、とらわれの無い人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

403  明らかな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し
最後の目的を達した人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

404 在家者・出家者のいずれとも交らず、住家がなくて遍歴し
欲の少ない人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

405  強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく
殺さずまた殺させることのない人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

406 敵意ある者どもの間にあって敵意なく
暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに
執著する者どもの間にあって執著しない人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

407 芥子粒が錐の尖端から落ちるように
愛著と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

408  粗野ならず、ことがらをはっきりと伝える真実のことばを発し
ことばによって何人の感情をも害することのない人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

409  この世において、長かろうと短かろうと
微細であろうと粗大であろうとも、浄かろうとも不浄であろうとも
すべて与えられていないもの物を取らない人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

410 現世を望まず、来世をも望まず、欲求がなくて
とらわれの無い人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

411  こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑なく
不死の底に達した人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

412  この世の禍福いずれにも執著することなく、憂いなく、汚れなく
清らかな人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

413  曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく
歓楽の生活の尽きた人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

414  この障害・険道・輪廻(さまよい)・迷妄を超えて
渡りおわって彼岸に達し、瞑想し、興奮することなく、疑惑なく
執著することなくて
心安らかな人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

415 この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し
欲望の生活の尽きた人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

416  この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し
愛執の生存の尽きた人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

417  人間の絆を捨て、天界の絆を越え
すべての絆をはなれた人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

418  <快楽>と<不快>とを捨て、清らかに涼しく
とらわれることなく、全世界にうち勝った英雄
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

419  生きとし生ける者の生死をすべて知り、執著なく、よく行きし人
覚った人___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

420  神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間も
その行方を知り得ない人、煩悩の汚れを滅ぼしつくした真人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

421  前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、無一物で
何ものをも執著して取りおさえることの無い人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

422 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者
欲望の無い人・沐浴者・覚った人(ブッダ)
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

423  前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見
生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者
完成すべきことをすべて完成した人
___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。