ニサルガダッタ・マハラジ

◯マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻き込まれず
 離れて在りなさい。
 澄んで静かに在りなさい。
 油断なく冷静に在りなさい。
 そうすれば、ほかのすべては
 ひとりでに起こるだろう。

◯あなたの希望はマインドのなかでは沈黙を保ち
 ハートのなかでは
 静かにしていることにある。

 ◯すべての問題が現れるのは
 あなたが自分自身を定義し
 それゆえ限定したからだ。
 あなたが自分自身を
 あれやこれやと考えないとき
 すべての葛藤はやむ。

 問題に対処しようとする
 いかなる試みも
 失敗せざるをえない。
 なぜなら
 欲望によって起こることは
 欲望から自由になることによってのみ
 取り消すことができるからだ。

◯無知や不注意から生じた感情的な反応は
 けっして正当化されない。
 好きなことをする自由とは
 実は束縛であり
 正しいこと、するべきことを
 する事のある自由のあることが
 真の自由だ。

 ◯ただあなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念に
 マインドを固定することだ。
 それに注意を払わないことで、
 その常道にはまる習慣を
 捨て去りなさい。

 ◯あなたには問題をつくり出す傾向があり
 私には免疫がある。
 なんであれ
 起こることは起こるだろう。
 必要なのは誠実な関心をもつことだ。
 誠実さが要なのだ。
 無垢で単純なことを
 信頼する勇気をもつ者は
 非常にまれだ。

 何もマインドから求めず
 それを完全に放棄する用意のあることが
 誠実さだ。
 ほんとうの絶望から生まれた
 そのような誠実さが
 あなたに私を信頼させる。

 ◯誠実にあなたの見いだした真理を生きなさい。
 理解したわずかなことにしたがって
 行動しなさい。
 あなたを導くのは
 ほかの誰かの賢さではなく、
 あなた自身の誠実さなのだ。

 ◯死ぬほど真剣なとき
 あなたはあらゆる出来事
 あらゆる人生の瞬間を
 本来の目的に結びつける。
 あなたは目的に完全に献身する。
 ほんのわずかな誠実さが、
 大きな違いを生み出すのだ。

 ◯私は欲望と恐れから自由だ。
 なぜなら
 私は過去を思い出さず
 未来を想像しないからだ。
 予測があなたを不安にし
 記憶があなたを不幸にする。

 ◯あなたが過去と未来への
 すべての関わりを放棄し
 永遠の今に生きるやいなや
 マインドはそれ自身を正すだろう。

 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心
 結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば
 自由の世界はあなたのものだ。

 ◯自由とは心配からの自由なのだ。
 あなたが結果に影響を与えることは
 できないと自覚したからには
 欲望と恐れに
 注意を払うことはやめなさい。

 それらを来ては去っていかせなさい。
 それらに興味や注意といった栄養を与えて
 助長してはならない。

 質問者
 アートマとサットヴァの関連性とは何だろうか?

 マハラジ
 太陽とその光線のようなものだ。
 調和と美、理解と愛情はすべての実在の表現だ。
 それは行為のなかの実在性
 物質における魂の影響だ。 

 タマスは覆い隠しラジャスは歪ませ
 サットヴァは調和をもたらす。
 サットヴァが成長することで
 欲望と恐れは終焉する。
 歪曲していないマインドのなかに
 真の存在は反映される。

 物質は改善され魂は露わにされる。
 その二つはひとつとして見られる。
 それらは常にひとつだった。
 だが不完全なマインドは
 それを二つとして見ている。
 マインドの完成は人間の努めだ。 
 なぜなら物質と魂は
 マインドのなかで
 出会うものだからだ。

◯あなた自身を賢明に愛しなさい。
 変わらぬ信心は運命より強い。
 自信と正しい期待が
 たやすくそれを克服するだろう。
 サットヴァータマスなのだ。
 (サットヴァがタマスを滅し尽す)

 ◯欲望を満たすことが惨めさを生みだし
 欲望から自由になることが
 至福なのだ。
 もしあなたが不必要なものを
 望まなければ
 必要なものはやってくるでだろう。

 ◯あらゆる行為をその利己的な動機まで
 たどっていきなさい。
 そしてその動機を余念なく
 それが消え去るまで見つづけなさい。

 そうすればあなたが真理を探求する必要はない。
 真理があなたを見いだすだろう。

◯苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 障害を避けなさい。ただそれだけだ。
 探す必要はない。
 すでにもっているものを探すことはない。

 ◯苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れている。
 生の流れとともに流れていくことを
 拒んだとき、それは問題となる。

 生の流れとともにいくとは
 来るものは拒まず
 去るものは追わずという
 受容を意味している。

 ◯自己抑制が自然と身につけば
 気づきは存在と行為のより深い層に
 焦点を移行する。
 マインドが静まったなら
 それを静かに保ちなさい。
 平安に退屈にあってはならない。
 そのなかに在りなさい。
 そのなかにより深く
 入っていきなさい。

 質問者
 私には理解しがたいことです。

 マハラジ
 これらのことを実行するには
 しばらく自分自身に
 時間を与えなければならないだろう。
 新しい轍(わだち)をつくることなく
 あなたの脳から古い轍を
 消し去らなければならない。

 あなたはあなた自身が
 不動なものであること
 起こることすべての
 沈黙の観照者であることを
 認識しなければならない。

 質問者
 つまり私は活動的な人生という
 考えすべてを捨て去らなければ
 ならないということでしょうか?

 マハラジ
 まったくそうではない。
 そこには結婚が、子どもが
 そして家族を維持するために
 収入を稼ぐことがあるだろう。
 すべては出来事の自然の流れに
 沿って起こるだろう。
 運命はそれ自身を
 満たしていかなければならないからだ。
 あなたはやってくる
 大小含めた仕事を
 注意深く周到にこなし
 抵抗なく通り抜けていくことだろう。

 ◯だが全体的な姿勢は
 愛情深い冷静さ
 かぎりない善意
 見返りを期待せず
 求めることなく
 絶え間なく与えつづけることだ。

 ◯熱烈に冷静でありなさい。
 ただそれだけだ。

◯理解力の低い人たちは
あらゆる証拠にも反して
彼だけは例外であり
世界が彼に幸福をもたらすことこそ
当然だと信じている。
だが、もっていないものを
世界が与えることはできない。

◯幸福となるために
ものが必要だと信じているかぎり
ものの不在によって
不幸になるに違いないと
信じることだろう。
マインドは
それが信じることにしたがって
形づくられる。
それゆえ人は、幸福になろうと
駆りたてられる必要はないと
確信することが重要なのだ。

◯その反対に
快楽は混乱と厄介者であり
幸福になるには何かをもち
何かをしなければならないという
偽りの確信を
単に増長するだけなのだ。

◯しかし、なぜ幸福について
話さなければならないのだろうか?
不幸であるとき以外
幸福について話したりはしない。
「私はいま幸せです」という人は
過去と未来という
二つの不幸の間にいる。
この幸福は
苦痛から解放されたことによる
単なる興奮にすぎない。
真の幸福とは
まったく自己意識のない状態だ。

◯「何にもなるな
何も知るな
何も持つな」だ。
これが唯一
生きる価値のある生き方
唯一手にする価値のある
幸福なのだ。

◯あなたが幸福でないから
幸福になりたいのだ。
なぜ幸福でないのかを
見いだしなさい。

◯幸福ではないから
快楽のなかに
幸福を探し求める。
快楽は苦痛をもたらすため
あなたはそれを
世俗的と呼ぶ。
それから、あなたは
苦痛をともなわない
何かほかの快楽を切望する。
そしてそれを
神聖なものと呼ぶ。

◯実際には快楽とは
苦痛からの
一時的な休息にすぎない。
幸福とは世俗的なものと
ないものの両方だ。
そのなかで、そして
その彼方で起こることの
すべてなのだ。

◯いかなる分別も
してはならない。
分別できないものを
分別してはならない。
そしてあなた自身を
人生から遠ざけてはならない。

 ◯もし本当にある人を
 助けたいと思うならば
 近づかずにいることだ。
 感情的に助けることに
 専心しようとすれば
 果たせずに終わってしまうだろう。 
 人がほんとうに助けられるのは
 彼がもはや助けを
 必要としなくなったときなのだ。

 ◯やってくるものは何であれ
 喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。
 そして
 すべての創造物を愛しなさい。

 マハラジ
 もしあなたが動機の中にはいっていけば
 そこに愛を見いだすだろう。

 自分自身そして自己への愛を。
 人びとは彼らが愛していると
 想像しているもののために戦うのだ。

 質問者
 そのために死をも厭(いと)わないならば
 彼らの愛はまさに本物に違いありません。

 マハラジ
 愛はかぎりないものだ。
 数人のひとに限られたものを
 愛と呼ぶことはできない。

 質問者
 あなたはそのような無限の愛を
 知っているのでしょうか?

 マハラジ
 知っている。

 質問者
 それはどう感じられるのでしょうか?

 マハラジ
 すべては愛され愛すべきものなのだ。
 何ひとつ例外はない。

 質問者
 たとえ醜く罪を犯した人も
 愛されるべきなのでしょうか?

 マハラジ
 すべては私の意識の中に在る。
 すべては私のものなのだ。 
 自分自身を好きや嫌いで
 分割することは狂気だ。
 私はその両方を超えている。
 私は疎外されない。

 質問者
 好き嫌いから自由になることは
 無関心の状態です。

 マハラジ
 はじめのうちはそう見え
 そう感じられるかもしれない。
 そのような無関心に屈せずにいなさい。

 そうすればそれはすべてに浸透し
 すべてを抱擁する愛へと
 花開くことだろう。

 

 マハラジ
 愛は分かつことと区別することへの拒絶だ。
 個人的な愛はいかに強烈で
 真正なものであっても
 かならず束縛することになる。
 自由のなかでの愛は
 すべての愛なのだ。

 あなたが愛しているのは
 あなた自身であり
 すべてである生命なのだ。
 それをその全体性において認識しなさい。
 すべての区別と限界を超えて。

 ◯あなたが愛そのものであるとき
 あなたは時間と数を超える。

 ひとりを愛することのなかで
 あなたはすべてを愛し
 すべてを愛することのなかで
 あなたはひとりひとりを愛する。

 ◯気づき(awareness)とは動的で
 愛は存在だ。
 気づきとは
 行為のなかの愛なのだ。

 ◯最も偉大なグルも
 弟子が学ぶことに熱心でなければ
 まったく無力となる。
 熱心さと真剣さが重要なことのすべてだ。

 ◯自信は体験とともにやってくるだろう。
 あなたが目的に対して献身的であれば
 あなたを導く人への献身も
 それに従ってくるだろう。

 ◯あなた自身で道を
 見いださなければならないのだ。
 あなた自身で見いださないかぎり
 それはあなた自身の道ではないだろう。
 そしてそれは
 どこへもあなたを導きはしないだろう。

 ◯あなた自身を
 鏡と鏡のなかのイメージから
 引き離すことを学びなさい。
 つねに
「私はマインドでもその考えでもない」
 ということを覚えておきなさい。

 ◯あなたの内なる真我が
 もっとも偉大なグルだ。
 本当に彼が至高の師なのだ。
 彼だけが
 あなたを導くことができる。

 道の終わりに
 あなたが出会うのも彼だけだ。
 彼を信頼しなさい。

 ◯「あれ」や「これ」として
 在るのではなく
 ただ在るということが
 どういった意味をもつのか
 感じ取ってみなさい。

 ◯私の世界は絶対的に自由だ。
 そのなかのすべてが
 自己決定する。
 それゆえ
 わたしはすべては
 ひとりでに起こると
 言いつづけている。

 ◯あなたに
 あるがままの世界を見せる
 その同じ鏡が
 あなた自身の顔をも見せるでだろう。 
「私は在る」という想いが
 鏡を磨く布だ。
 それを使いなさい。

 ◯全てをあきらめなさい。
 そうすれば
 あなたは全てを得るだろう。
 しかしあなたは
 自分に正直でなければならず
 ほんとうに
 ほかに何も求めてはならないのだ。

 Chapter 95

 Accept Life as it Comes
 人生をあるがままに受けとめなさい

 If you know how to do it,
 you will not do it.
 Abandon every attempt,
 just be;
 don’t strive,
 don’t struggle,
 let go every support,
 hold on to the blind sense of being,
 brushing off all else.
 This is enough.

 あなたがそれを
 どうやって為すのか知っているなら
 それはなされないだろう。
 あらゆる試みを放棄しなさい。
 ただ在りなさい。
 努力してはならない。
 闘ってはならない。
 すべての支えを手放し
 存在の盲目的な感覚に
 つかまりなさい。
 それ以外のすべてを
 払いのけなさい。
 それで十分だ。