ラマナ・マハルシ

われわれは
列車がすべての荷物を
運んでくれることを
知っている。

烈車に乗ってまでも、
自分の小さな荷物を頭にのせて
苦労する必要がどこにあるのか。

荷物をおろして安心なさい。

神の意志にゆだねて、
ただ静かにしていなさい。

どんな重荷を負わされようと、
神はそれに耐える。

神の至高の力が
すべての物事を動かしているというのに、
なぜわれわれは
その力に身をまかせず、
何をどうすべきか
どうすべきではないかと、
思い悩むのか。

現状における困難は、
人は自分を
行為者だと考えていることにある。
だが、それは誤りだ。

すべてを為すのは
高次の力であり、
人は単なる道具にすぎない。

もしこれを受け入れれば、
彼は災難から解放され、
さもなければ
自ら災難を招く。

神の恩寵によって、
あなたは神のことを想うのだ。

きっぱりと明け渡し、
欲望は棄て去りなさい。

「私が行為者である」という感覚を
持ち続けている限り、
欲望は消えないだろう。
それはまた人格でもある。

これが去れば、
純粋に輝く真我を見るだろう。

行為者であるという感覚が
束縛なのであって
行為そのものが、ではない。


放棄とは心の中にあり
義務や責任を棄てて、
森や人里離れたところに
入っていくことではない。

重要なことは、
心が外側を向かず、
内側へと向かうことだ。

それはほんとうに、
あなたが仕事を放棄するかしないか
この場所へ行くか
あの場所へ行くかといった、
問題ではない。
そういったことはすべて、
運命に従って起こる。

身体が通り抜ける
すべての行動は、
それが生まれたときに
決定されている。

唯一あなたに与えられた自由は
心を内面へと向け、
そこで活動を放棄することだけだ。

すべての人が同じように
幸福、あるいは賢明
あるいは健康であったことは
一度もなかったし、
これからも決してないだろう。
幸福、賢明、健康は
その対極がないかぎり、
何の意味も持たないのだ。

だが、あなた自身より
不幸な人や苦しんでいる人を見たときは
慈しみを感じて、
できるかぎり救いの手を差し伸べ
苦しみから解放されるよう、
助けなければならない。

実際、あなたはすべてを愛し
すべてを助けなければならない。

なぜならこれがあなた自身を助ける、
唯一の方法だからだ。

『アルナーチャラ・ラマナ 愛と明け渡し』
 福間 巌訳

時々、馬鹿げたことに
まじめすぎる人を見ると、
マハルシが言われたことを
思い出します。

 汽車で旅をしているとき、
 荷物を頭の上に

 乗せたままでいるか、
 それとも足元に置くか?
 これが賢者と
 残りの宇宙との違いです。
 賢者は荷物を背負いませんが、
 ほとんどすべての人が
 荷物を背負って
 汽車に乗っています。

過ぎ去ったことや
まだやって来ないこと、
友達やお金のことを考えて
心配していることが
荷物を背負っていることです。
これが平和に生きているか、
苦しんでいるかの違いです。

背負っている荷物が
重いと感じたら、
それを降ろしなさい。
そして悟りに向かって
歩いて行きなさい。

何も背負わないことです。
これは何も考えない
という意味です。

これについて
話をしてあげましょう。

 昔、とても年若い弟子を
 持ったグルがいました。
 彼らは別の村に行く途中で
 小川を渡らなければ
 なりませんでしたが、
 雨のために水かさが
 首の深さまで増していました。
 荷物は頭の上に乗るぐらい
 小さかったので、二人とも
 川を渡ることが出来ると
 思いました。

 しかし、川の側に
 娼婦が一人立っているのを見ました。
 彼女は結婚式に
 参加するために着飾っていたので
 川を渡ることが出来ません。
 それで、この聖人(グル)が
 彼女に言いました。

「私があなたを肩に担いで
 他の岸まで渡してあげましょう。」
 彼女は喜んで同意しました。
 岸に着いて彼女は彼女の道を、
 二人の出家者は彼らの道へと
 急いでいきました。

 さて、弟子はとても混乱して
 困っていました。
 彼のグルは女性には触るなと
 いつも言っていたのに、
 娼婦を肩に乗せるとは
 なんということか。
 1Km行った先で
 弟子は謙虚に尋ねました。

 「マスター、質問があります。
 私はあなたの取った行動に
 当惑しています。
 あなたは私達は僧侶だから、
 出家者だから、どんな女性も
 見たり触ったりしないようにと
 教えていますが、あなたは
 あの女性に触れました。」

 グルはいいました。

 「はい、はい。あの女性は
 川を渡りたかったから
 彼女を運んであげました。
 そして彼女を降ろして
 彼女は去って行きました。」

 「いま私達はそこから
 1Km歩いて来たのに、
 なぜあなたは今だに
 彼女を背負っているのでしょうか?
 私は彼女を10m背負いました。」

 「しかしあなたは彼女を
 1Kmも背負って来ました。
 なぜまだ彼女を
 憶えているのですか?
 それはもう終わったことです。」

このようにあなたの前に
やって来るものには
状況に応じて対処し、
後は忘れてしまうことです。
これが教訓です。

やって来るものを
避けないことです。
不必要なものは
招き入れないことです。

あなたの出来る限り
状況に対処してください。
そして
忘れてしまいなさい。